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「昼休みにお弁当食べながらスマホ見てる時、にやにやしてますよ。彼氏からのメッセージですか?」
「かっ、彼氏!? 違う違う、そういうんじゃないよ」
彼氏ではないが、競馬が気になっているなどと言えるだろうか。
ムジークヴィントに心を奪われるまで、亜由美にとって競馬はおじさん達の遊びという認識だった。馬が走って、どの馬が勝つか賭けて、競馬場はおじさんばかり。しかし、テレビ中継で映った競馬場には若者や親子連れもたくさんいた。同級生が言うように、賭けることよりも馬をアイドルのように応援することに熱を注ぐ人達もいる。
しかし、香奈はどう思うだろうか。そんなおじさんみたいなこと、と言われたらどうしようかと思って亜由美は何も言えなくなってしまった。
スマホの画面に表示させていたムジークヴィントのメイクデビューの映像を閉じようとして、間違えて再生を押す。画面の中でゲートが開き、馬が走り出した。
「あっ、あぁ違う違うっ!」
「駒村さん、それ」
「ち、違うの! 調べものしてたら出て来て……」
おじさんみたい。そう思われてしまった。亜由美が恐々と様子を窺うと、香奈は目を輝かせてスマホと亜由美のことを見ていた。亜由美は目を丸くして、おしゃれでかわいくて明るくて所謂パリピで陽キャな後輩のことを見る。
「お馬さん!」
「お、お馬さん、だよ」
「駒村さん、競馬に関心があるんですか?」
「関心というか」
「わたしもなんです!」
「……え?」
香奈は自分のスマホを手に取って亜由美に見せた。透明なスマホケースの背中には馬のステッカーが挟まっており、馬のストラップがぶら下がり、ロック画面もホーム画面も馬だった。人のスマホをじっくりと見ることなどないため、共に仕事をしていても亜由美が香奈の趣味に気が付くことはなかった。
香奈は身を乗り出すようにして、ストラップを指し示す。
「この子、わたしの推しです! 去年の暮れで引退しちゃったんですけど、すごいお馬さんだったんですよ」
「へ、へぇ……」
「駒村さんはどの子が好きなんですか? 思い出のレースは? あの馬の産駒を追い駆けてるとかあります?」
「私は、この間……。このメイクデビューを見て、この子が気になっただけで……」
亜由美はメイクデビューの動画を改めて再生する。「勝った子ですか?」と訊ねる香奈に対し、亜由美は首を横に振った。
「二着の、ムジークヴィント」
「この子かぁ。ふむふむ」
「馬のことがこんなに気になるのって変かなと思ってたけど……」
「全然変じゃないですよ! これを見てってことは、それまでは特に興味がなかったのにこの子に沼に引き摺り込まれそうになってるってことでしょ? いやぁ、沼って突然そこにあるものですよ。駒村さんもこちら側に来ませんか。その子にときめいてるんでしょ。もう沼ですよ。推しですよ」
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