3R アイドル=偶像

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 GⅠで勝てばもちろんすごい。しかし、GⅠに出るだけでもすごいのだ。重賞で勝てばもちろんすごい。しかし、重賞に出るだけでもすごいのだ。もっと言えば、今日も元気に走ってレースに出て、無事に帰って来てご飯を食べて寝ているだけですごい。馬はいつも頑張っていて偉いと香奈は語る。  時として馬も騎手も怪我をする可能性があり、命を落とすことさえある競技だ。どうかみんなが今日も無事にゴールして帰ってきますようにと、推しの出走に関係なく香奈はレースのたびに祈っているという。亜由美よりも競馬歴の長い香奈は、何頭もの推しの引退を見て来た。走り切った者もいれば、無念のリタイアとなった者もいた。パスケースに付けているストラップは足を怪我して引退したとある推しだそうだ。  亜由美にはまだ香奈が熱く語る内容全てを深く理解することはできない。ムジークヴィントのことは好きだ。けれど、怪我をしたり命を落としたりするリスクを動物に背負わせながら走らせていることを気にしてしまう。騎手や調教師、世話をする厩務員などが馬のことを大切にしていることは分かっている。働き口がなくなれば人も馬も困り果ててしまうほど大きな世界だ。これからも馬は走り続けるし、人も乗り続けるだろう。分かっているし、走る姿が好きだ。けれど。 「だから、元気でいるだけで偉いんです。あぁ、病気になった子や怪我をした子が偉くないってわけじゃないですからね。そこで元気に走ってくれていることがとても嬉しくて。……通ってた動物園で好きだった熊が亡くなったことがあったんです。たくさんの人がお花を持って来て、熊の思い出話をたくさんしました」  香奈はカクテルを飲む。 「推しは推せる時に推せって言葉をよく聞くんですが、その通りだとわたしは思います。そうすればきっと、応援してたわたし達はその子のことをきっと忘れない。その子がそこにいたこと、たくさん推してあげればたくさん覚えていられますから」  気が付けば、ムジークヴィントと出会ってから四ヶ月が過ぎていた。  趣味も好きなこともこれといってなかった亜由美が熱心に馬を追い駆けて四ヶ月も経ったのだ。ムジークヴィントを応援する日々は亜由美にとって充実したものだった。そして亜由美は、ムジークヴィントにとっても応援する人間がいることが彼の力になっていてほしいと思っていた。 「誰かが応援してくれて、誰かが覚えていてくれれば、きっと関係者の人って嬉しいんじゃないですかね。馬も……。ううん、馬だけじゃなくて。スポーツ選手とかアイドルとかも、やっぱり誰かの記憶に残ることって大切だと思うんです。例え世界中の全ての人がわたしの推しのことを忘れてしまっても、わたしは絶対に推しのことを忘れないんだ……」
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