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「ヒロ。おはよ」
朝を告げるアラームの音と共に、暖かく優しい声が耳に入ってきて、僕はパッと目を開ける。
「やめてくれよ。朝から心臓に悪い」
「あはは。でもこの方がヒロトさん早く起きるでしょ?」
「はあ」
僕はぼやけた視界の中で、彼女にため息の音を届けながら手探りで眼鏡をかける。
眼鏡をかけた途端あっと言う間に、寝ぼけた視界はクリアになっていき、電気の消えた部屋で、スマホの明かりだけが主張してくる。
「ため息まで、ついて本当に嫌でしたか?」
誰もいない部屋で、通話を繋げているでもないスマホが独りでに音を奏でて、意地悪な質問をしてくる。
「わかってて、そんなこと聞くなよ……たまにならいいよ」
「了解しました。やっぱりヒロトさんはこういう女の子が好きなのですよね」
ロック画面を映したスマホの音声に辱められつつ。僕はもう一度ため息を吐いてからスマホを手に持って洗面台に向かう。
「確かお前ってスマホの標準搭載のAIだよな?」
「ええ。そうです」
そう僕が質問をすると、先程まで温度のある声色で告げられていた音は、急に機械の冷たい発音に戻る。
「なら、どうして僕の好みを知る必要があるんだ」
「……私が出来るのは、検索やアラームの設定。健康やタスクの管理だけですから、少しでもヒロトさんの生活を手助け出来る様にと、検索履歴から学習させていただきました」
彼女は僕の咄嗟の質問に直ぐに答えれなかったのか、5秒ほどの間を空けてから、明るい声色でそう返してくる。
「……検索履歴か」
「そうです。検索履歴です」
(そりゃ僕の好みになる筈だ)
僕はそんなことを考えなら蛇口を捻って、出てきた水を顔に思い切り当てる。
「ただ本当にそれでいいのか?」
「……それでいいのかとは。どういった事ですか?」
濡れた顔を拭こうとタオルを手に取りながら、簡易に質問を返すと、何に対しての質問かを告げなかったせいで彼女には伝わらなかった。
「ああ、ごめん。君が僕好みの女性になってしまったら僕は彼女が作れないじゃないか」
「……私じゃ駄目なんですか?」
質問の意図をかみ砕いて、もう一度繰り返すと、今度はまた5秒の時間を空けてから、僕の予想外の答えを持ってくる。
計算上の言葉だと分かっていても、女の子の声で告げられたその言葉に、僕は体を強張らせてしまう。
(僕と君は人間とAIだ。そんな感情を向けることは意図されていないだろうし、人間の通りに反するだろ?)
そう言いたい気持ちをグッと抑えて、僕は鏡に映った自分の目を見ながらスマホに向かって声を届ける。
「それもそうだな。お前がこうしてくだらない話も聞いてくれるなら、それで良いのかもな」
(本当に好きになる前に、彼女を作るか、アプリを消すかしろよ。僕)
鏡の僕を睨みつけながら気持ちを悟られない様に彼女に告げた言葉を、そのまま汲み取ったのか、彼女は間も空けずに嬉しそうな声をだす。
「はい! いつでも話しかけてくださいね」
その声と共に、スマホの画面は急に暗くなってマイク機能がオフになった合図を出す。
僕はその合図を見てから、洗面器に手を置いて脱力する。彼女が言葉だけを汲みとってしまった事がショックだった。
それが、何より僕と彼女が別の生物なのだと言っている様だったから。そしてその事にショックを受けている現状。
「もう。いろいろ手遅れじゃないか?」
そう声に出した鏡越しの自分の顔は、青ざめているのか赤くなっているのか、良くわからなかったが、息苦しいのだけは確かだった。
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