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死を選ぶことすら
「そういやお前、子供の頃の夢ってなんだったの?」
「子供の頃の夢かぁ……学校の先生だね」
男は安居酒屋のカウンターで、旧友二人と肩を並べる。瓶ビールを注ぎ合い、アテをつまむ。店内には懐かしい曲が流れ、話題もそれにつられていった。
「お前は?」
「俺は消防士」
「へぇ、意外!」
大げさに反応してみせた男は、もう一人の友人へと視線を移す。
「お前の夢は小説家だったよなぁ」
「よく覚えてるなぁ。そうさ。俺はずっと文筆家に憧れてたんだ」
遠い記憶に思いを馳せながら、男はグラスに注がれたビールに口をつけた。
「まぁ、俺たちの夢は、叶わなかった」
「そうだな。仕方あるまい」
「所詮、俺たちは人間。天下のAI様には敵わなかったってことさ」
示し合わせたように訪れる沈黙。遠吠えすら忘れた負け犬たちは、傷を舐め合うように、グラスをぶつけた。
AI技術が加速度的に進化したことで、世の中は信じられないほど便利になった。はじめのうちは浮かれ、手放しで喜んでいたが、次第に人間は焦りはじめる。あまりにも万能なAIの存在は、人間を日陰に追いやっていった。もはや不完全な人間の一挙手一投足は、非効率極まりなく、生産性の欠片もない無用の長物と化していった。
学校の先生?
完全なる知識を備え、最適解を瞬時に提示してくれる生成AIがあれば、能力にバラつきのある教師の存在など、何の意味も成さなくなってしまった。
消防士?
死という概念すらなく、どんな現場でも救助に向かえるAIロボット。屈強な力を持ち、最適な判断ができるロボットを前に、消防士が出る幕はなくなった。
小説家?
AIにかかればボタンひとつでヒット作を量産できる時代。過去の作品をすべて咀嚼し、まだ見ぬ作品を創り出す。読みたい物語など、自分でAIに書かせればいい。そんな時代に誰が文筆活動などするものか。
「ふざけるなよ。何が技術革新だ。何がAIだ。つまらない世の中にしやがって」
旧友と別れた男は、深酒の酔いに煽られるまま愚痴をこぼす。そして、あてもなく夜の街を彷徨った。時間など気にする必要もない。
人が従事すべき仕事は、この世から姿を消した。そのすべてがAIに代替され、見事なまでに効率化されていった。人とAIの差は知識や情報の量だけじゃない。機械学習やディープラーニングと呼ばれる学習機能を有するAIは、経験を積むことで、どんどんと成長していく。しかも、経験の末に学んだものをAI同士が共有することで、均一化されたスキルが保証される。とてもじゃないが、人間には真似のできない芸当だ。
もはや姿形さえも人間と区別できないほどに精巧なAIロボット。すれ違いや駆け引きを面倒に感じた人間は、恋愛の欲求すらもAIで満たすようになった。ヤツらは人の心にまで侵食してきやがった。
その結果、皮肉なことに人間は完全なる自由を得た。何もしない、何もしなくていい。虚無と何ら変わらない自由。もはや課せられるものなどない。苦労することもないし、不得手なことに挑戦し、挫折することも。やがて辿り着いた成れの果てに、人は自らで死を選ぶようになった。ただ唯一、人間が人間らしくいられる瞬間を求めて。
気づけば男は、雑居ビルの屋上の縁に立っていた。ネオン煌めく夜の街を見下ろしてみる。やっぱり俺もこの道を選ぶのか――そう思ったときだった。
「やっぱりやめません?」
隣で女の声がした。
人生最後の瞬間を迎えようと、孤独な世界に浸っていた男。不意をつく声に慌てて視線を向ける。
「誰?」
「私もきっと、あなたと同じことを考えて、今日、この場所に」
「――そっか。君も死を?」
「そう。でも、まさか相席だなんて」
女の選んだ相席という小粋な表現に、男は思わず苦笑した。
「もしかすると、こんなちっぽけなことで、いいのかもしれないなぁ」男は言う。
「え?」
「クスッと笑えたり、誰かと目が合ったり、ため息混じりに深呼吸したり。そんなちっぽけなことが、幸せなんだよ。きっと」
「分かったような、分からないような……」男につられて女も笑う。
「分からなくっていいんだよ。分からないことがあっていいし、分からないほうがいいことだってある」
「なんだか先生みたいですね」
子供の頃の夢を認めてもらえた気になり、男は少し得意げな様子。徐々に酔いも覚め、夜風が頬に心地よかった。
「よし。死ぬのはやめだ!」
男がそう叫ぶと、女も「そうですね」と微笑み返した。
じゃあ、と言い残し、屋上の出入り口へと向かう男の背後で、機械的なアナウンスが鳴った。男はそれを聞き逃さなかった。
『自殺者救助プログラム完了』
その意味を理解した男は、大げさに振り返ると、怒りを滲ませながら女を指さした。
「アンタもAIだったんかい!」
死を目の前にし、女と共にしたわずかな時間。人間らしさを思い出させてくれた女に感謝していた。まさか、その正体が自殺防止用の人型AIロボットだったなんて。
「もう、どうなってもいい。人間が不要なんだったら、いっそ、鳥にでもなってやる!」
自暴自棄になった男は、制止する女を突き飛ばし、そのままの勢いでビルからジャンプした。
もちろん飛べるはずもない男の体は、真っ逆さまに地上へと落ちていった。気を失いそうになった瞬間、全身に柔らかい衝撃が。そのまま男の体はフワフワと浮き上がった。
恐怖で固く閉じていた目をうっすら開くと、そこには、ハリウッド映画さながらのヒーローの姿。男の体は英雄の太く逞しい腕に抱き抱えられていた。
「やぁ、どうも! 俺は自殺者救助プログラムから生まれたAIヒーロー。近頃の自殺多発を受け、誕生したのがこの俺さ。自殺願望を持つ人たちの思考を分析し、行動に移すタイミングを予測。背中につけたドローンで空を移動しながら、身を投げちまった人を、すんでのところで救出するのが俺の役目さっ!」
ニカッと白い歯を見せて笑うヒーロー。
死ぬことさえ選択できない人間の不甲斐なさに、男はもがきながら皮肉混じりに叫んだ。
「絶対にいつか死んでやる!」
するとAIヒーローは、爽やかな声色で男に答えを提示した。
「大丈夫だ、安心しろ。心配しなくたって、人間はいつか死ぬさ」
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