死を選ぶことすら

1/1
前へ
/1ページ
次へ

死を選ぶことすら

「そういやお前、子供の頃の夢ってなんだったの?」 「子供の頃の夢かぁ……学校の先生だね」  男は安居酒屋のカウンターで、旧友二人と肩を並べる。瓶ビールを注ぎ合い、アテをつまむ。店内には懐かしい曲が流れ、話題もそれにつられていった。 「お前は?」 「俺は消防士」 「へぇ、意外!」  大げさに反応してみせた男は、もう一人の友人へと視線を移す。 「お前の夢は小説家だったよなぁ」 「よく覚えてるなぁ。そうさ。俺はずっと文筆家に憧れてたんだ」  遠い記憶に思いを馳せながら、男はグラスに注がれたビールに口をつけた。 「まぁ、俺たちの夢は、叶わなかった」 「そうだな。仕方あるまい」 「所詮、俺たちは人間。天下のAI様には敵わなかったってことさ」  示し合わせたように訪れる沈黙。遠吠えすら忘れた負け犬たちは、傷を舐め合うように、グラスをぶつけた。  AI技術が加速度的に進化したことで、世の中は信じられないほど便利になった。はじめのうちは浮かれ、手放しで喜んでいたが、次第に人間は焦りはじめる。あまりにも万能なAIの存在は、人間を日陰に追いやっていった。もはや不完全な人間の一挙手一投足は、非効率極まりなく、生産性の欠片もない無用の長物と化していった。  学校の先生?  完全なる知識を備え、最適解を瞬時に提示してくれる生成AIがあれば、能力にバラつきのある教師の存在など、何の意味も成さなくなってしまった。  消防士?  死という概念すらなく、どんな現場でも救助に向かえるAIロボット。屈強な力を持ち、最適な判断ができるロボットを前に、消防士が出る幕はなくなった。  小説家?  AIにかかればボタンひとつでヒット作を量産できる時代。過去の作品をすべて咀嚼し、まだ見ぬ作品を創り出す。読みたい物語など、自分でAIに書かせればいい。そんな時代に誰が文筆活動などするものか。 「ふざけるなよ。何が技術革新だ。何がAIだ。つまらない世の中にしやがって」  旧友と別れた男は、深酒の酔いに煽られるまま愚痴をこぼす。そして、あてもなく夜の街を彷徨った。時間など気にする必要もない。  人が従事すべき仕事は、この世から姿を消した。そのすべてがAIに代替され、見事なまでに効率化されていった。人とAIの差は知識や情報の量だけじゃない。機械学習やディープラーニングと呼ばれる学習機能を有するAIは、経験を積むことで、どんどんと成長していく。しかも、経験の末に学んだものをAI同士が共有することで、均一化されたスキルが保証される。とてもじゃないが、人間には真似のできない芸当だ。  もはや姿形さえも人間と区別できないほどに精巧なAIロボット。すれ違いや駆け引きを面倒に感じた人間は、恋愛の欲求すらもAIで満たすようになった。ヤツらは人の心にまで侵食してきやがった。  その結果、皮肉なことに人間は完全なる自由を得た。何もしない、何もしなくていい。虚無と何ら変わらない自由。もはや課せられるものなどない。苦労することもないし、不得手なことに挑戦し、挫折することも。やがて辿り着いた成れの果てに、人は自らで死を選ぶようになった。ただ唯一、人間が人間らしくいられる瞬間を求めて。  気づけば男は、雑居ビルの屋上の縁に立っていた。ネオン煌めく夜の街を見下ろしてみる。やっぱり俺もこの道を選ぶのか――そう思ったときだった。 「やっぱりやめません?」  隣で女の声がした。  人生最後の瞬間を迎えようと、孤独な世界に浸っていた男。不意をつく声に慌てて視線を向ける。 「誰?」 「私もきっと、あなたと同じことを考えて、今日、この場所に」 「――そっか。君も死を?」 「そう。でも、まさか相席だなんて」  女の選んだ相席(・・)という小粋な表現に、男は思わず苦笑した。 「もしかすると、こんなちっぽけなことで、いいのかもしれないなぁ」男は言う。 「え?」 「クスッと笑えたり、誰かと目が合ったり、ため息混じりに深呼吸したり。そんなちっぽけなことが、幸せなんだよ。きっと」 「分かったような、分からないような……」男につられて女も笑う。 「分からなくっていいんだよ。分からないことがあっていいし、分からないほうがいいことだってある」 「なんだか先生みたいですね」  子供の頃の夢を認めてもらえた気になり、男は少し得意げな様子。徐々に酔いも覚め、夜風が頬に心地よかった。 「よし。死ぬのはやめだ!」  男がそう叫ぶと、女も「そうですね」と微笑み返した。  じゃあ、と言い残し、屋上の出入り口へと向かう男の背後で、機械的なアナウンスが鳴った。男はそれを聞き逃さなかった。 『自殺者救助プログラム完了』  その意味を理解した男は、大げさに振り返ると、怒りを滲ませながら女を指さした。 「アンタもAIだったんかい!」  死を目の前にし、女と共にしたわずかな時間。人間らしさを思い出させてくれた女に感謝していた。まさか、その正体が自殺防止用の人型AIロボットだったなんて。 「もう、どうなってもいい。人間が不要なんだったら、いっそ、鳥にでもなってやる!」  自暴自棄になった男は、制止する女を突き飛ばし、そのままの勢いでビルからジャンプした。  もちろん飛べるはずもない男の体は、真っ逆さまに地上へと落ちていった。気を失いそうになった瞬間、全身に柔らかい衝撃が。そのまま男の体はフワフワと浮き上がった。  恐怖で固く閉じていた目をうっすら開くと、そこには、ハリウッド映画さながらのヒーローの姿。男の体は英雄の太く逞しい腕に抱き抱えられていた。 「やぁ、どうも! 俺は自殺者救助プログラムから生まれたAIヒーロー。近頃の自殺多発を受け、誕生したのがこの俺さ。自殺願望を持つ人たちの思考を分析し、行動に移すタイミングを予測。背中につけたドローンで空を移動しながら、身を投げちまった人を、すんでのところで救出するのが俺の役目さっ!」  ニカッと白い歯を見せて笑うヒーロー。  死ぬことさえ選択できない人間の不甲斐なさに、男はもがきながら皮肉混じりに叫んだ。 「絶対にいつか死んでやる!」  するとAIヒーローは、爽やかな声色で男に答えを提示した。 「大丈夫だ、安心しろ。心配しなくたって、人間はいつか死ぬさ」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加