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もどかしい二人
「さっきはごめん。メリアがいてくれて助かったよ」
金色の刺繍が施された黒の軍服を纏いマントをひらりと翻しながら歩くエルド・クラインは、そう言って隣にいる女性──メリア・ヴィーランドに笑いかけた。
国の陸軍に身を置く彼は、若くして多くの部下を束ねる隊長に任命されたエリート軍人。錦糸のような美しい金色の髪に、広い海を思わせる紺碧の瞳を持った端正な顔立ちの青年である。
その甘いマスクと物腰柔らかな性格も相まって、街を歩けば女性から囲まれることも多い彼は、今回も巡回途中に女性グループ数名に捕まってしまい、どうしたものかと考えあぐねていたところをメリアに助けられたのだ。
「お役に立てて何よりです。それにしても相変わらず女性から人気ですね、エルド様は」
一方、エルドの隣を歩くメリア・ヴィーランドは、この市街地の中心に位置するサンクロッカス通りに店を構える花屋の主人である。
赤みがかった腰まである長い髪に、垂れ目がちな大きい瞳。顔にはいつも柔和な笑みを浮かべ、ふんわりとした雰囲気をもつ、街でも評判の娘だ。
彼女は両手にブルーをベースにした華やかな花で作られた花束を抱えており、今は依頼人の自宅まで配達途中だった。
「いやぁ。まあ、悪い気はしないけど、油を売ってたらアルベルトに叱られちゃうから気をつけないと」
「あら、それは大変ですわ」
エルドの言う「アルベルト」というのは、エルドと同じ軍部の隊長格の人間、アルベルト・シュトラウスのことだ。彼もエルドと同じく、実力で隊長の座を掴み取った軍人の一人。
その力は圧倒的なのだが、温和なエルドとは違い、性格は冷酷無情とも噂され部下や市民からは畏怖を抱かれている。
背が高く、自然と人を見下したような視線になるところや、切れ長の瞳で目つきの悪いところも、そんな彼の噂に拍車をかけているのかもしれない。
とはいえ、近寄りがたいアルベルトも実は女性からの人気は高かったりする。エルドのように声をかけられることは少ないが、「クールなところがカッコイイ」と、彼が歩くと遠巻きにそれを眺めて黄色い声を上げている熱烈なファンがいるのだとか。
「おい、俺が何だと?」
急に後ろから、かすかに苛立ちを含んだ低い声が聞こえ振り向けば、そこには腕組みをしてエルドとメリアを見つめるアルベルトがいた。
「アルベルト様!」
「ああ、噂をすれば何とやらだね」
深く被った軍帽からチラリと覗く鋭い瞳は、心なしかいつも以上に厳しい眼差しをしている。そんな有様にも臆せず、穏和な微笑みを携えて手を振るエルドに、アルベルトは小さく舌打ちした。
また、エルドの横にいたメリアも「アルベルト様、こんにちは」などと曇りのない笑顔でアルベルトを出迎える。アルベルトは2人の周りに流れる和やかな雰囲気に一瞬口をつぐむいだかと思うと、肩の力を抜き小さく息を吐いて2人に近付いた。
「こんなところで珍しい組み合わせだな」
「いやぁ、さっき街娘たちに囲まれていたところをメリアに助けてもらってさ。ね? メリア」
「ええ」
にっこりと笑うエルドに同意を求められたメリアは、同じように笑顔でそう返した。
「情けない。それくらい自分で追い払え」
「僕は手厳しいアルベルトと違って、『女の子には優しく』がモットーだからね。好意を向けてくれている相手を、そう邪険にも出来ないのさ。メリアも今から王宮の近くの家へ花を届けに行くみたいだから、一緒に向かってたってわけ」
3人はそんな会話を繰り広げながら、メリアを挟んで歩き始めた。軍人の中でも人気を二分するエルドとアルベルトが並んでいることもあり、周囲からは注目の的。威圧感のあるアルベルトがいるため、そんな彼らに話しかけようとする人間はいなかったが、あちこちから視線が集まっていた。
「そこの軍人さん、プレゼントに髪飾りはいかがかな?」
たくさんの露店が立ち並ぶ市場を歩いている途中、声をかけられた3人。声の方を見てみると、そこには腰の曲がった老婆が1人いた。店先にはキラキラと輝く石がついたバレットや、つるりとした素材のリボンなどの髪飾りがたくさん並べられている。
「へぇ〜品揃えがいいですね、御婦人」
「ここから二つ離れた街から仕入れた逸品だからね! よかったら、何か買っていっておくれよ」
興味深そうに店先の髪飾りを眺めるエルドに、老婆はにこにこと笑いながらそう言った。そんなエルドの隣には、綺麗な装飾品の数々に「素敵ですね」と頬をゆるめるメリアと、どこか居心地悪そうに佇んでいるアルベルトが並ぶ。
天色の石が散りばめられたブローチ、涙の形のような深紅の石がついたネックレス、常磐色の石が美しく輝く指輪、小花と金色の星が用いられた簪など、その種類は実に豊富。
「そうだ!さっき助けてくれたお礼に、メリアに何か買ってあげるよ」
「お礼だなんて、そんな……!私は、ただ声をかけただけで何もしていませんし」
「いいの、いいの。僕がそうしたいだけだから」
「でも……」
「このリボンなんかどう? ゆるく三つ編みしてみても可愛いと思うよ」
遠慮するメリアに、エルドはにっこりと笑いかけてそう言った。彼が選んだのは、撫子色のリボン。そんな2人を横目で見ていたアルベルトは、「しつこい男は嫌われるぞ」と横やりを入れる。エルドは腕組みをして人混みを眺めているアルベルトを見たあと、フンッとそっぽ向いた。
「そんな怖い顔してる男も、嫌われるよ」
エルドの言葉に視線を店の方へと戻したアルベルト。
「うるさい。この顔は元々だ」
「今は、その怖さに拍車がかかっているようだけど?」
「どこがだ」
「ほら、眉毛がいつもよりつり上がってる」
自分を間にはさんで繰り広げられる応酬に、メリアは「まあまあ、お二人とも」と苦笑いを溢した。
「ま、アルベルトに何て言われようと、君に指図される覚えはないからね。御婦人、これいただいていきますよ」
「ありがとう、軍人さん! また、買いに来とくれよ」
「ええ、是非」
お金の代わりにリボンを手にしたエルドはメリアの方に振り返り、「いつもお世話になってるメリアへプレゼント。もらってよ」と笑ってみせた。メリアは申し訳なさそうな顔をしていたが、最終的にはエルドの好意を無下にするのも失礼だという結論に至り、リボンを受け取ることにした。
「ありがとうございます、エルド様」
「どういたしまして。あ、せっかくだから結んでみてもいい?」
「はい、お願いします」
メリアの後ろに回ったエルドは、その繊細そうな細い手でメリアの髪を丁寧に、するすると結っていく。
「メリアの髪って、綺麗だよね。サラサラで、すごく指通りもいい」
「そうですか? 櫛でとくくらいしか、手入れはしていないんですが」
楽しそうにメリアの髪を三つ編みにしていくエルド。アルベルトはその様子を黙って、見ているだけだった。
「よし、出来た! うん、思った通り可愛いね」
毛先は先ほど購入したリボンで、蝶々結びにしてまとめられていた。ゆるめに編まれた三つ編みは、確かにメリアのふんわりとした雰囲気によく合っていて愛らしい。
「どう? アルベルト。可愛いでしょ?」
エルドに声をかけられたアルベルトは、ゆっくりとメリアの方を振り返る。メリアはアルベルトにじっと見つめられ、緊張しているようだった。口元はにっこりと笑っていたけれど、少し表情が硬い気もする。
「……似合いますか?」
遠慮がちに尋ねるメリア。やや目を見開いたアルベルトは、「俺は──」と口を開く。と、そのとき──。
「こら待て、泥棒!」
突然後方から怒鳴り声が聞こえてきた。すぐさま反応を見せたエルドとアルベルトが後ろを振り向くと、2人組の男が走ってくるところだった。
男たちは周囲にいる人たちを押しのけ人混みを進んでおり、その内のひとりがメリアにぶつかりそうになっているのを察知したアルベルトは、瞬時にメリアを自分の方へと引き寄せた。
「あ……!」
その瞬間、メリアが胸に抱えていた花束から花びらが舞い散る。色とりどりの花が踊るようにヒラヒラと落ちていくのを目にし、肩を抱く力を強めたアルベルト。彼女への衝撃が少しでも抑えられるように体をしっかりと固定すると、アルベルトの漆黒のマントがひらりと翻った。
「大丈夫か?」
耳元で聞こえた低い声。顔を上げたメリアはすぐ側にあるアルベルトの瞳と目が合い、頬を染める。
息遣いまで感じられる思った以上に近い距離、そして軍服越しからでも分かる引き締まった体躯。衝撃から守ってもらうためとはいえ、抱きしめられるような格好になっていることに恥ずかしくなり、メリアは慌ててアルベルトから目を逸らした。
「だ、大丈夫です……!ありがとうございました」
メリアがそう言うと、アルベルトは「ああ」とだけ返し、少し離れたところにいたエルドの方を見た。
「エルド」
「了解」
2人は目を合わせてそう言うと、男たちに向かって駆け出す。
「メリアは危ないから、そこで待っててね!」
「はい!」
メリアが返事をしたのを確認すると、エルドはまた前を向き先を走るアルベルトの背中を追った。
「くそ!軍の人間だ!」
「どうします⁈これじゃ逃げられませんよ!」
二人組がそんなことを言っているのも束の間。すぐさま追いついたエルドとアルベルトは、背中に手をかけて思い切り引っ張ると、そのまま男たちに足技をかけて倒してしまう。
その時間、わずか数秒。男たちは、自分たちがどのようにして倒されたのかも理解せぬまま呆気にとられた。
「さすが、軍隊長!!」
「かっこいい〜!!」
周囲で見物に徹していた市民たちは、エルドとアルベルトの活躍を口々に褒め称えた。エルドは愛想のいい笑顔を浮かべて彼らに手を振ったが、アルベルトは地面に押さえつけた男の腕をさらに強く捻り上げた。
「イタタタタ!!す、すみませんでした!!」
「盗品を出せ。店主に返す」
強圧的な声でアルベルトに詰め寄られた男は、ビクビクと震え上がりながら衣服に隠した品を差し出した。それらを受け取ったアルベルトは、心配そうにこちらを見守っている店主に品を返す。
「ありがとうございました!」
「礼には及ばん」
そうこうしている内に、巡回中の兵士が慌てて駆け寄ってきた。「ああ、ご苦労様」と声をかけたエルドが取り押さえた泥棒2人を引き渡すと、兵士は姿勢正しく敬礼をする。
「アルベルト。ちょっと僕、彼らに状況説明だけしてくるから待ってて」
「ああ」
エルドから離れたアルベルトは、先ほどまで一緒にいたメリアを探すため周囲を見渡した。すると──。
「お疲れ様です。アルベルト様」
後ろから聞こえた声に振り返るアルベルト。そこには、少し貧相になった花束を抱えるメリアの姿が。
「アルベルト様。先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
「……その花は無駄にしてしまったようだがな」
「花は新しいものを用意すればいいだけです。心配ありませんわ」
しかし、それでもアルベルトが表情を曇らせたことに気づいたメリアは、フッと笑って彼の元に近付いた。
「アルベルト様は出来るだけ花が散らぬよう注意を払ってくださったでしょう? そのお気持ちだけで十分です」
「……そうか」
「はい。あ、そうだ!」
メリアはそう言って花束から、まだ花びらが落ちていない青いリンドウの花を1本抜き取った。そして、腰ポーチから小型の剪定バサミを取り出すと、余計な茎や葉を切り落とし、短くなった花をアルベルトの軍服にある胸ポケットへ差し込む。
「これは……」
「リンドウの花ですよ。花言葉は『正義』や『誠実』と言います。アルベルト様にぴったりのお花ですわ」
鬼隊長と言われる自分が軍服に花など、と考えを巡らせたアルベルトだったが、「助けてくださったお礼です」と口元をゆるめるメリアを見ていると、それをぞんざいに扱うことも出来ず、「……なら、もらおう」と呟いた。
返事を聞いたメリアがとても嬉しそうな笑顔を向けてくるので、居心地が悪くなったアルベルトは、目線をやや左に逸らした。
そのとき、先ほどエルドが編んだ三つ編みが目に入る。エルドは器用な男なので、こういった細かい手作業もお手の物だ。丁寧に編まれたそれは、とても綺麗だと思う。しかし──。
「その髪……」
それだけ言って、急に黙ってしまったアルベルト。メリアがどうしたのかと首を傾げると、不意にアルベルトの手が彼女の髪に伸びてきた。
「ア……」
「アルベルト様」と発しようとした声は一音しか出てこず、メリアの動きは止まってしまった。アルベルトがメリアの、その長く美しい髪に触れたからだ。
「確かに、これもお前に良く似合っている。だが──」
そのまま頭のてっぺんから、三つ編みの編み目をなぞるように滑るアルベルトの手。そして、蝶々結びにされたリボンにたどり着くと、それはいとも容易く解かれてしまった。
サラサラの長い髪には癖ひとつついておらず、風に流されるように靡いていく。周りの喧騒が消え、まるで2人しかいないような感覚に陥った。
「そのままの方が、俺は好きだ」
すぐ近くで聞こえる、鼓膜に響く低い声。体ごと射抜かれてしまいそうな鋭い瞳に、じっと、真っ直ぐに見つめながら、そう言われる。
けれど、そこに怖さはない。メリアは、彼がどれほど周りから恐れられていようとも、その奥にある優しさを知っている。
呆然としていたものの、しばらくして何を言われたかを理解したメリアの頬は、また赤く色づいた。
「そ、そう、ですか……?」
「ああ」
恥ずかしそうに顔を赤らめるメリアに対して、アルベルトの表情は変わらない……と、思ったのも束の間。自分が言った言葉を思い返して気まずくなったのか、アルベルトはメリアからバッと視線を逸らした。
2人の間に流れる、どこか気恥ずかしい空気。メリアは火照る頬を冷ますように、手で顔を仰いで俯いている。そんな2人を遠目から見つめている人物が、1人いた。
「……まったく、もどかしいんだよなぁ。あの2人」
冷酷無情とまで言われている同僚が1人の女性を気にかけていることにエルドが気づいたのは、もう1年以上も前だ。この手のことに不器用な男を焚きつけるために、エルドは苦心に苦心を重ねていた。
煮え切らない2人に手を差し伸べる恋のキューピット、エルド・クライン。しかしながら彼の受難は、まだまだ続きそうである──。
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