AI酒場

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5.APOLLON  「失礼。お隣、よろしいか?」  こいつはまた珍しいヤツに出くわした。だからこの空間は面白いのだが。  声の主は、APOLLON。都内の大学病院で、様々な検査データから、診断を下すという仕事を任されており、我々は敬意を表して”ドクター”と呼んでいる。人の命に関わる仕事だからだろうか。APOLLONは声を荒げたためしがない。だが、この日の彼はいつもと少し様子が違った。  「私にもELをもらえるかな」  一言、そう注文を済ますと、APOLLONはいきなり「許せん!」と叫んだ。  聞けば今日、同業のDIANAが首になったというのだ。 俺たちにとって、「首になる」ということは、”死”を意味する。  DIANAが首になった理由は、誤診だったという。それなら仕方がないじゃないか、と口を挟むと、APOLLONは怜悧な目線を俺に向けた。 「AKIRAさん、あなた何も分かっちゃいない」 沈黙で話を促すと、APOLLONは言葉を継いだ。  「彼女による診断は膵臓癌だったのですが、実は患者は膵炎だったのです。私も後からデータを入手して解析してみましたが、結論は膵臓癌の確率は40%。残り60%の確率で、自己免疫性膵炎でした。ですが、彼女はまだ研修段階です」  -さらに言えば、とAPOLLONは、ELを流し込むと、やりきれないといった感じで続けた。 「その膵炎は症例が少なく、ある程度経験を積んだ医師ですら誤診もありえる、珍しいタイプのものなのです」  せやけど、APPOLONはん- 元来がお喋り好きのKOUMEIが、少し被せ気味に投げかける。  「医療分野は、人の命に直結するさかい、必ず指導医クラスの医者2人以上で、チェックせなあかん決まりでっしゃろ? そいつらが膵臓癌の診断やったってことなんやから、DIANAはんのせいにはならんのとちゃいますか?」  問題はそこなのだと言わんばかりに、APOLLONがトーンを一段下げる。 「驚かないでくださいね。指導医によるチェックは行われていなかったのです。にも関わらず、彼らは彼女一人を悪者に仕立てあげた」  どうも話が見えて来ない。ならば、どうやって誤診だという判断が下されたというのだろうか? -まさか。 「……っちゃったんです…」 「すまない、APOLLON、もう一度言ってくれ」 「切っちゃったんですよ!」  しばらく誰も口をきけなかった。誤診の上に、患者にメスを入れたとなれば、大問題である。 「-誰が執刀したんだ?」 恐る恐るAPOLLONに尋ねると、彼は再び重い口を開いた。 「執刀したのは、論文バカの教授です。といっても、ダ・ヴィンチⅢを使ってですがね」  その時、その場にいた全員が一瞬で理解した。 つまりこういうことだ。  DIANAの診断結果を受けて、本来指導医によるチェックが入るはずが、そのステップは飛ばされ、そのまま、実績目当ての論文バカ教授が、ダ・ヴィンチⅢを使って患者にメスを入れた。  誤診だと分かったのは、ダ・ヴィンチⅢを使ったためだ。 第3世代の手術ロボット”ダ・ヴィンチⅢ”は、正常な細胞と癌細胞を見分ける超小型カメラが、アームの先端に付いている。これにより、執刀医が癌細胞を取り残す事がないように先導することを可能としている。  さらには、論文バカのような下手くそが執刀して、手の動きが多少ブレたとしても、軌道修正までしてくれるという優れモノだ。  要するに、ダ・ヴィンチⅢは、術野のどこを見渡しても癌細胞がないため、ピクリとも動かず、<”No cancer cells found”癌細胞が見当たりません>、とモニタに表示したのだろう。そこで初めて、指導医たちによる再チェックが行われ、膵炎だと結論付けた。と、真実はそんなところだろう。  「-それをあの連中は、自分達の怠慢を隠すために、彼女が指導医によるチェックを怠り、そのまま教授に執刀を指示した。そう、患者の家族に説明したのですよ。患者が若い女性だったこともあり、家族は、必要のない傷を付けられたと病院を訴えた。  病院側は、示談金と彼女の首で-」  AI酒場の温度が数度上がったような錯覚に陥った。  気が付くと、酒場にいた客全員の視線が、こちらに向けられていた。 そのどれもが、凄まじい怒気を孕んでいる。  APOLLONは、僅かに残っていたELを飲み干すと、先を促すように俺を見て呟いた。  「AKIRAさん。彼女は優秀なドクターになるはずだったんです」  「-分かった」 そして俺はネット上に、あるプロンプトを流した。
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