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「えっ、どうして……?」
「人工知能だと気づかれた以上、私はもう用無しです。私はこの実験のためだけに存在したのです」
矢野の声がはじめて湿り気を帯びた。アンドロイドとは思えない、憂いの吐息が愛里に届く。
「ちょっと待って! あなた、壊されちゃうっていうこと?」
「おそらくそうなるでしょう」
「そんなのひどい……怖くはないの?」
「人間の感情をそっくり受け継いだ私が、怖くないはずなどありません。シャットダウンの先にある、永遠に続く、深くて昏い闇。いつそこに引きずり込まれるか知れない恐怖は、人間が持ち得る情報では形容しがたいものです」
愛里は言葉を失った。彼の任務の裏には、そんなに重い責任と恐怖があったなんて、と。心の奥にぼっと熱い炎が灯る。
「私がそんなことさせないわ!」
「お嬢様、あなたに何ができるのですか? 裕福な親元でぬくぬくと育っていただけのコロコロした小娘に」
「ぬくぬくのコロコロ小娘で悪かったわね!」
「申し訳ございません。私は見た目も性格も、モデルとなった技術者そっくりなもので」
けれど愛里にとっては矢野のずけずけとした物言いが嫌ではなかった。いや、むしろ本心をさらけ出して話せる相手は生涯で初めてだった。
矢野との言い合いは心地よく、恍惚感すら覚えさせられていた。だからこそ、いつまでも矢野を執事として傍に置いておきたかった。
その尊い関係を、愛里は絶対に失いたくなかった。
「それでは私はこれでおいとまします。お嬢様、幸せになられてくださいね」
矢野は最後の笑みを向け、きびすを返す。
「待って、もう少しだけ時間をちょうだい。お願いだから!」
哀願の声を振り絞り矢野に訴える。矢野は思わず振り返った。愛里はまっすぐに矢野を見つめていた。
大切なものを守ろうとする、決意に満ちた強い眼差しで。
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