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彼は、私が同じ会社で働いているなんて、微塵も気づいてないでしょうね。 人に気を遣うのもそこそこに、もっと適当に楽しく生きていけばいいのに。 ちなみに、山で会うのが4回目ってことも、気づいてないでしょうね。 彼と初めて山ですれ違ったのは、雨の降る日だった。中央本線高尾駅の一駅先を最寄りとする山。山頂すら木々に覆われていて眺望が望めない。晴天でも登山客は決して多くない。その日はあいにくの雨で、すれ違った登山客は、1日トータルでたった2組だった。 長野で生まれて4歳で登山を始めたから、関東の低山は散歩感覚だ。よく細身だと言われるが、登山で使う下半身と体幹の強さには自信がある。たまたま時間ができたので、未踏の山にふらっと足を運んだ。少しの雨くらい、どうってことはない。 山頂に到達し、下山し始めたところで、登ってくる彼とすれ違った。 「こんにちは」「こんにちは」 登る側の人間からは、下る側の人間の顔は見づらい。疲れも溜まる山頂間近では、顔を上げるのも億劫だ。息が切れて挨拶する余裕がない人も多い。その時の彼もうつむき気味で、目が合うことはなかった。 一方、下る側の人間からは、登る側の人間の様子はよく見える。スッと鼻筋の通った、美しい顔立ち。会社のカフェテリアや廊下で見覚えがある。レインジャケットのフードをかぶっていても、私にははっきり彼だと認識できた。 帰宅後、当日の登山アプリの山行履歴投稿から、彼のアカウントは簡単に発見できた。すれ違ったのがたった2組だったから。登山のたびに、毎回律儀にアップロードしているようだ。こうして特定される危険があると気づいていないのだろうか? 人が少ない山に登るなら、もう少し用心したほうがいい。 彼の過去の山行履歴を、まとめてざっと見る。土日を中心に、月に3回程度の登山。都内から日帰りで行ける低山。おおむね累積標高差800m以下、山行時間6時間以内。公共交通機関でアクセス可能な山限定。顔ぶれからして、関東百名山から選んでいるようだ。行動原理は非常にわかりやすい。 これなら、彼が次に向かう山も、ある程度予想できそうだ。 偶然思いついたゲームに胸が躍る。 予想するからには答えを知りたい。後日、登山アプリの山行履歴投稿を見れば結果がわかりそうだが、ここはひとつ、自分でも足を運んでみるのはどうだろう。いくら自分が女で、相手が男でも、これじゃストーカーだって? ストーカーかどうかを判断するのは、あくまで相手だ。外野は黙っててほしいな。家から尾けるなんて、芸のない真似もしない。 会社での様子から察するに、彼は人間嫌いみたいだけど、いろいろな山で同じ人間と何度も会ったら、どうリアクションするだろう? 徹底的に拒否されたら、お手上げだけど。もしかしたら、そこまで気が合う人間には、運命なんか感じてしまうのだろうか? 私は、運命とかよくわからない。 彼に興味を持ったのも、会社での評判が悪くないのと、顔がまあまあ好みだからって程度だし。 運命なんて信じて待つより、掴み取った方が早いし確実だ。 山で出会ったときに彼の印象に残るよう、白いレインジャケットを買った。それだけでは目立つには不十分だと思って、登山用ザックも白に合わせた。全身白コーデはさすがにおかしいから、ショートパンツはネイビーにしたけど。 彼が次に登る山を予想し、純白のレインジャケットと登山用ザックを汚さないようにあちこちの山を登り切る。彼に特別な存在だと印象づけ、運命を演出する。 暇潰しにはちょうどいい。 さぁ、楽しいゲームの始まりだ。
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