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 ひとしきり泣いて少し冷静になってくると、春輝はどうして貴之と抱きしめ合っているんだ、と恥ずかしくなった。離れようと春輝は回した腕を外すと、気が済んだか、と頭上でいつもの声がする。 「……うん……」  顔が熱い。多分赤くなっているであろう顔を見せられなくて、俯いて離れると、貴之はスッと自分の椅子に移動してしまう。それが少し寂しいと感じ、何でだよ、と心の中で自分でつっこんだ。 「一之瀬、メシ、残りもちゃんと食べろ」 「うん……」  春輝も椅子に座ると、夕食の残りを食べ始める。それを確認した貴之は、静かに聞いてきた。 「お前はどうしたい? 木村の事」  春輝の手が止まる。今の春輝の歩き方などを見れば、噂が本当だと分かってしまうだろう。しかし、冬哉からしても根も葉もない噂を立てられるのは嫌なはず、春輝はちゃんと説明してあげないと、と呟いた。 「じゃあ、話をするか」  そう言って、貴之はスマホを取り出す。消灯後に春輝たちの部屋に来るよう、連絡したようだ。 「寮長自ら寮則破ってどうすんだよ……」 「要は、先生と管理人に見つからなきゃ良いんだ、夜に寮を抜け出す方法も、前寮長から聞いてるしな」  貴之は風呂に入ってくる、と立ち上がる。どうやら前寮長はとても要領のいい人だったようだ。 「誰か来ても、ドアを開けるんじゃないぞ」 「……分かってるよ」  春輝は眉間に皺を寄せると、貴之はなるべく早く済ませてくる、と浴室に向かった。 「……」  何だろう? 貴之はなるべく自分を一人にしないようにしている? そして、以前の春輝ならそれは受け入れ難いものだったのに、それが嬉しいと感じている自分がいる。  ショックな事がありすぎて、弱っているからだろうか? 春輝はちびちびとご飯を咀嚼する。今日は好きなみかんゼリーがあるのに、食べる気にもならない。  味がしない夕飯を食べ終わると、貴之が浴室から出てきた。 「夕飯、全部食べたな」 「うん……」  貴之が後ろを通り過ぎる。その後にふわりと漂ってきた匂いに、春輝はドキッとしてしまった。  風呂上がりだからか、先程よりも強く感じる貴之の匂いに、春輝は何故か落ち着かなくなる。 「お、オレも風呂入ってくる……」  春輝はヨロヨロしながら脱衣場に行ってカーテンを閉め、服を脱ぐと、すでに自分の身体に変化が起きていて戸惑った。 (何で……?)  下半身を見ると、春輝の分身は軽く頭をもたげている。浴室に入って素早くドアを閉め、シャワーを頭から浴びて熱を覚まそうとするけれど、春輝の意に反してそこはどんどん熱が溜まっていくのだ。  そういえば、前回してから一ヶ月近く経っているのだ、間宮にイカされなかっただけマシか、と春輝は浴室のドアをしばし眺める。 (こんな時でもしたくなるとか……ホント厄介だよな……)  春輝はそう思い、身体を洗う。早く出して済ましてしまおうと、闇雲に分身を擦るけれど、なかなかイケない。 (何でだよ……っ)  春輝は目を閉じた。  すると先程の貴之の体臭と、抱きしめられた時の感覚を思い出し、身震いする。  細いけれどしっかりした腕、適度に筋肉があった胸板、温かい、体温……優しい、声。  想像したら背中がゾクゾクした。 「……っ、あ……っ」  春輝は小さく声を上げて、息を詰めた。先端から精液が飛び出し、床を汚す。 「……ん……っ」  最悪だ。春輝はすぐに後悔する。よりによって貴之を想像するとか、何を考えてるんだ、と落ち込んだ。 (しかも、この外には水野がいるのに……)  こんなことをしているなんて、バレてないよな、と春輝は素早く汚れた床を流し、浴室を出た。  カーテンを開けると、貴之は自分の机で勉強をしていた。春輝の机にあったトレーが無くなっている。どうやら片付けてくれたらしい。 「……水野?」  春輝が出てきても振り向かない貴之を不思議に思って、彼の机を覗くと数字の羅列がびっしりとノートに書かれていた。その細かさに春輝は少し引いてしまう。 「え、何これ……」  春輝が呟くと、貴之はハッとしたように振り向いた。 「悪い、集中してた」 「ごめん。……なんの数字だよこれ?」  春輝がノートの数字を指差すと、貴之はそっとノートを閉じる。 「ああ、円周率……」  何でそんなものを? と思ったけれど、貴之が机の上を片付けたので、その話は終わりになった。 「ちょっと早めだが点呼に行ってくる。俺が戻るまでドアは開けるなよ?」  鍵を閉めていくから、と言われ、間宮はいないのに過保護だな、と春輝は思う。それでも反論するとややこしくなりそうなので、大人しく返事をした。  貴之が出ていって少し経った頃、いきなりドアが激しくノックされ、春輝は身体を縮こまらせる。何? とオロオロしていると、ドアの向こうで複数人の笑い声がした。 「おい一之瀬、男の味はどうだったのか聞かせろよ」 「……っ」  ドア越しに聞こえる声は知らない生徒のものだ。けれど彼らは、確実に春輝への嫌がらせ目的で蔑んでいる。  春輝は身に覚えのない嫌がらせに、布団に潜って耐える。恐怖と怒りで身体が震え、涙が出てきた。 (水野が実家に帰れって言ったの、こういう事を見越してたのか?)  だがそれも今はどうでもいい。ドアの前の生徒が立ち去るのを、春輝は息を潜めて待つ。 「何なんだ……水野、早く戻って来いよ……っ」  すると、そこに野太い声がした。宮下だ。 「お前らそれ以上続けると、嫌がらせでまた警察に来てもらうぞ!」  続いてそこにいたらしい生徒のクラスと名前を、大声で叫んでいる。  しんとなった部屋に、春輝はそれでもいつ来るか分からない嫌がらせに備えて、布団の中で縮こまっていた。  嫌だ。  もういっそ、この学校から出て行った方が良いのでは?  そんな考えがよぎり、余計に貴之に早く戻って来て欲しくなった。  すると、部屋の鍵が開く音がする。春輝は反射的にベッドから降り、開いたドアから見えた貴之の胸に飛び込んだ。 「……っと、一之瀬? どうした?」  貴之は素早くドアを閉めて、春輝を抱きしめてくれる。春輝はまた涙腺が崩壊し、精神不安定な自分が嫌になった。 「何か……嫌な事言われた……」 「誰に?」 「知らないっ。でも、宮下先輩が追い払ってくれて……」  そうか、と貴之は春輝の頭をポンポンと撫でると、スマホで電話を掛ける。 「宮下、さっきの奴ら、誰だった?」  相手は宮下らしい。彼から名前を聞き出すと、あいつらか、と貴之は納得していたようだ。 「サンキュー。あと、一之瀬が思ったより不安定だから、少し待っててくれるか?」  そう言って貴之は通話を切ると、少しは落ち着いたか、と聞いてくる。春輝はその声の心地良さに胸に顔をうずめたまま頷いた。 「……一之瀬、少し離れてくれ」  少し困ったような貴之の声に、さっきは抱きしめてくれたのに、と春輝は思い、そのまま腕に力を込めた。春輝の意思に貴之は大きく息を吐く。 「……頼むから……」  そう言いながら、貴之からは春輝を離そうとしない。春輝は首を横に振った。 「オレ、水野が好き……」  春輝は言いながら、その言葉がとてもしっくりくることに気付いた。先程から貴之の身体や匂い、声に反応するのはそのせいなのだと。そう思ったら、一気に顔が熱くなって恥ずかしくなる。  冷たい奴だと思っていたのに、実はとても面倒見が良くて、人望も厚い。抜けてる春輝の面倒も何だかんだで見てくれて、今は自分の時間を削ってまで一緒にいてくれる。  もっと一緒にいたい、もっと貴之の事が知りたいと思ったのだ。  貴之の大きなため息が聞こえる。 「一之瀬、今は精神的に弱っているから、そう思ってるだけだ」  そう言って、ぐい、と肩を持って離された。どうしてそんな事を言うんだ、という気持ちで貴之を見ると、彼はグッと息を詰まらせる。 「……とりあえず、木村に話をするのが先だ」  呼ぶぞ、と貴之は宮下にメールをした。そして自分の椅子に移動してしまう。春輝もヨロヨロとベッドに座った。  すると間もなく冬哉と宮下が入ってくる。消灯後に人と会うのは初めてだったので、何だか新鮮なのだが、春輝は冬哉の顔を見られないでいた。 「水野先輩、すみません、消灯後に時間取ってもらって……」  冬哉の神妙な声がする。貴之はいや、と一言発しただけで、みんな黙ってしまった。 「あの……みんな嘘はつかないって約束してくれますか?」  冬哉が意を決したように言う。春輝の周りで何かが起きたんですよね? と確認した。貴之が頷く。 「春輝も。ちゃんと本当の事を教えてくれる?」 「……」  春輝は小さく頷いた。顔は見ていないので、冬哉がどんな顔をしているかは分からない。けれど、微かに震えた声が、彼の緊張を伝えていた。
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