春告鳥

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春告鳥

 突然だが、人生にトラブルというのはつきものだ。私は最近これでもかと実感する。  私は二年前地方の背伸びした大学に進学した。ただでさえ大変だった受験からようやっと解放されるのかと安堵していたのも束の間。大学は大学で多忙の日々。毎日毎日帰ってきてはお風呂を入るのも忘れて眠りに落ちてしまう。そんな私を起こすのは空腹感。このような生活が続いていた。  しかしそんなある時。私はとあるミスをして単位が不認定になってしまったのだ。このせいで私は留年せざるおえなくなった。  絶望。という表現は皆んなからは大袈裟だと笑われるかもしれない。しかしもう私の心の中には疲弊と、それが報われなかつまたことによる無限にも思える黒い渦がただひたすらに蠢いていた。 「……死にたい」  ベッドに仰向けになり、右手の甲を額に置いてつぶやいた。  私はこれまでの大学生活を振り返る。何事にも精一杯で向き合ってきたのに、それが今日水泡に帰したということだ。その事実が夢の中でも逃してはくれなかった。  しかし神様というのはそんな私をそっとしておいてはくれない。 「プルルルルル……」  突然携帯が鳴った。  何事かと疲弊し切った体を起こす。体の節々が痛い。  ぼやけた脳と目がいつまでも起きる気配はない。  なんとか携帯の場所を探り当て、電話に出る。 「……もしも、」 「もしもし!春香!」  食い気味の電話の返答に内心イライラしつつも、相手が父親であることと、緊急事態であることが察せられる。  動揺する私を置いてきぼりにして父は言った。 「母さんが倒れた。今すぐに病院に来られるか?」  私は何を言っているのか瞬時には理解ができなかった。  ポツポツと窓に水滴がつき始めた。雨が降ってきた。    そこからは話が早かった。  母は元から肺に患っていた病気に負け、空に旅立った。あっけない死だった。  確かに母は人一倍病弱だった。呼吸器系が弱く、軽い発作を起こすことは今までも目にしてきた。しかしそんな中でも昨日までは元気に仕事に行っていたし、家事育児に手を抜くような人でもなかった。そんな母がこんなにもあっさり病気に負けてしまうとは思っていなかった。  十九歳の冬にこんなことが起こるなんて誰が予想できただろう。母は私の二十歳になる姿を見ることなく、あの世に行ってしまったのだ。春まで持ってくれていれば私の誕生日を迎えられた。しかしそれはもう届かぬ望みとなってしまった。  葬儀や書類やらに追われながらも、心に空いた穴は、確実に私の心を蝕んでいった。  どうしてこんなことになってしまうのだろう。私が何をしたというのだろう。なぜ母が死ななければならなかったのだろう。  部屋を照らす電気が点滅する。もうすぐ消えかけているからだろう。私は一人部屋の中央に座っていた。 「コンコン」  遠くなっていた意識が現実に引き寄せられる。 「……はい」  私はぶっきらぼうに答える。父が部屋に入ってきた。少し痩せた気がする。あれから大して日は経っていないはずなのに。 「春香。ちょっといいか?」  私は無言で頷く。できるならとっとと出ていってほしいのだが、それを訴える体力も今の私にはない。 「……これなんだけどな、ちょっと読んでみてくれないか?」  そう父から渡されたのは数冊のノートだ。比較的新しいのから、縁が折れたり破れたりしているものまである。  私はそのうちの古い方のノートを手に取り、ページをめくった。 「何これ……」  そこに書かれていたのは、私が何をして失敗して、泣いたり、叱られたり。そんなことが書かれていた。中には私が覚えていないようなことや、思い出したくもない辛いことなども書かれていた。  一体どういうことなのか、慌てて父に目線をやる。すると父は微笑んだ。 「お母さんが私が死んだらこれらを見せろって言っててさ」  するの1つの手紙を私に差し出した。私は訳もわからずにその封を開ける。  内容は簡潔だった。二行で収まるような内容だった。  しかし確実に想いは伝わる。 『あなたは日記にあるようなことを乗り越えたすごい人です。どうか、私の死も乗り越えて。』  私は狼狽しながら言葉を口にする。 「乗り越えてなんて……そんな……」  父が相変わらずの優しい目をして言う。 「誰よりもいろんな辛さを乗り越えてきたお母さんだからな。人の成長の仕方を知ってるんだよ。そんな母さんだから、これから身に起こるであろう死をなんとか春香に乗り越えてほしいと思ったらしい。」 「……ふふ。……何よ、それ」  母らしい。そう思った。  私は目に溜めていた涙を一気に流した。その五行にも満たない手紙を持ちながら。  今まで貯めていた感謝と、愛を胸に秘めながら。  そんな私の頭を父は撫でてくれた。こんな時に限って子供扱いしてほしくないものだ。だけれども私は紛れもなくお父さんとお母さんの子供なんだ。  その時。母の手も私の頭に乗った気がした。顔を上げると、お母さんはいつもの元気な姿で私に微笑んでいた。 「春香。生まれてきてくれて。ありがとう」  包み込む声でお母さんは言う。  私もそれに笑顔で応える。 「私からも。生んでくれてありがとう。お母さん。」  母はそれだけ聞くと空間に溶けるように消えていった。  私はその空間の中でひたすら泣き続けた。涙が枯れるまで。声が枯れるまで。  私は目を開けた。どうやら眠っていたらしい。  欠伸を一回してから上体を起こした。締まり切っていなかったカーテンからは日差しがのぞいていた。  あれから数日が経ち。私は今父と、とある公園に来ている。この公園は私たち家族が毎年来ている公園だ。桜が並ぶこの公園の景色が私は好きだった。  母が残してくれたメッセージを励みに。あれから私は最初は見るのも嫌だった大学の勉強を少しずつ始めている。  まだ母の死を乗り越えられてなんていないけど、いつかこれもきっと乗り越えた時。自分で自分をすごい人と思えるように、日々一つ一つ壁を乗り越えていこう。 「お父さんこっち!」  私は一番のお気に入りの場所から父を呼んだ。父も後からついて来ている。 「おぉ。毎年見てるけど今年も綺麗だな。」 「でしょ?」   この橋の上からはとても綺麗な桜の景色が見える。  私たちは微笑みあった。  お母さんもきっと今この景色をたしたちと同じように見ていてくれている。そう思う。  どこかで鳥の鳴き声がする。鶯だ。  私に20回目の春が来た。  鶯はそう私に告げ、飛び立っていった。  空はどこまでも青く澄んでいた。
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