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第35話
消沈した二人が広大なサロンに戻ると相変わらずの光の洪水で目の底が痛いほどだった。
おまけにチャリティーオークションが終了した壇上では何と小編成ながらもオーケストラが生演奏、ゆったりとしたダンスミュージックを奏でている。
「ふん。こんな楽団雇うカネがあったら寄付すりゃいいんじゃねぇのか、仮にも『高貴なる義務』とやらを謳ってチャリティーパーティー開くくらいなら」
不機嫌全開で八つ当たりするシドにハイファは料理のプレートを渡し機嫌を取る。
サロン中央では既に大勢の男女が音楽に合わせて踊っていた。ヒラヒラと回る女性たちの色鮮やかなドレスを壁際から眺めながら、それぞれプレートに載せた料理を味わう。
だが食べてしまうとシドは当然ながら喫煙欲求が高まり、そわそわし始めた。
「くそう、さっき吸っておけば良かったぜ」
「スモーキングルーム、招待客用の方に行く?」
「そうだな……」
珍しくシドが迷ってスモーキングルームに行かないのは、ここで自分は異分子だと認識しているからだ。この大広間ですら鋭い視線を感じ目が合うたび相手は何かもの言いたげにする。もっと狭そうな喫煙室で他人と顔を突き合わせるのは鬱陶しい。
皆は大型の猫科の獣のような見事な美しさに目を奪われ、見惚れているだけなのだが。
そのくらいハイファは理解していたが本人に教えるつもりはない。こうして外出した上で独り占めできる時間など滅多にないのだから、シドの欠片も誰かに譲る気はなかった。
見透かしたように微笑んで見せたハイファは喫煙欲求を忘れさせようと提案する。
「じゃあサ、気晴らしに踊ってみない?」
「ああ? 俺がンなモン、知ってる訳ねぇだろ」
「大丈夫。僕がリードするからサ」
「って、お前とかよ!? 何だって男同士で踊らなきゃならねぇんだ!」
「いいじゃない、みんなお酒入ってるし、大して目立たないって。ほら、行こうよ」
「や、やめろってお前、コラ! いーやーだーっ、この野郎!」
サロン中央付近にできたダンスエリアまで引きずられて行くシドは、自分が喚くことで却って衆目を浴びるのに気付き、ようやく黙った。
大して目立たないどころかこういった場に通い慣れ、殆どお互いが顔見知りのハイソな人々は、ニューフェイスのコンビに注目する。
そのとき曲が変わり、艶のあるバイオリンの緩やかな音色が流れ出した。
「あ、『Por una Cabeza』だ。……では、一曲お相手をお願い致します」
何処の貴族かと思うほど優雅な礼を取ったハイファにシドは唖然とする。ボーッとしているうちに右手を取られ、もう片手で腰より少し上を支えられた。棒きれの如く固まったシドは空いた自分の左手を何処にやってよいか分からず困惑する。
「僕の右肩に添わせて」
それでようやく手の置き所は知れたものの、今度は足をどう動かすのかが問題で、周囲で踊る女性の高いヒールを手本に、ようやくぎこちないステップを踏み出した。
一切の余裕が瞬時に奪われたために自分に向けられる視線や、そもそも何故こうして男と踊り、それも自分が女性役なのかなどの様々な疑問は吹っ飛んでいる。
必要とあらば切り替えも早く集中力も発揮する、即応能力の高いタイプだ。
頬同士が触れそうなくらいに寄り添ったハイファが耳許に囁く。
「タンゴだからステップ早いけど、結構上手いね」
「あ、すまん。足踏んだか?」
「いいって。フォーステップの繰り返しからの、こうやってアレンジ! ほら、足絡めても面白いし、こういうのもOK――」
「な、何すんだ、うわっ! こら、腰やるって馬鹿!」
片脚を膝で絡めてポーズを取らされ、次には腰をグイと引かれてシドは上体を仰け反らされあたふたした。その様子に皆が笑う。
「何なんだよ、何で俺がこんな……なっ、ちょ、あっ!」
「体術に長けてるからかな、ホントに覚えるの早いね」
「こんなの、覚えたって、これっぽっちも、捜査の役には、立たねぇ、わあっ!」
繋いだ手を高く上げられ、腰を支えていた手で弾みをつけてくるくると連続ターンさせられたシドは眩暈を感じて息を上がらせ、抵抗も力ない。
一方のハイファは超初心者を見事にリードしながら余裕の笑みを浮かべている。
「捜査の役に立ったじゃない。ずっと追ってたアレの『出処』知れたんだからサ」
「それは……あ、ぶつかるぶつかる」
「向こうが避けてくれるから大丈夫」
「お前ハイファ、あとで覚えてやがれよ」
凄まれてもハイファは「ふふっ」と笑う。
「本ボシ発見のご褒美。バーターだよ、バーター。諦め悪いのは悪いクセ」
「刑事は諦めの悪い方がいい刑事なんだって知ってるか?」
「戦時の軍人も一緒。指揮官じゃなくて兵隊はね。逆だと生まれるのはヒーローじゃなくて泥沼だから。でもあと二、三日で僕らも戦争だよ? 今くらい気分良くいさせてよね」
「俺の気分はどうしてくれるんだよ?」
「帰ったら気持ち良くしてあげようか?」
「お断りだ。このあと俺は絶対女と踊るぞ、決めた」
だがその決意をいともあっさりとハイファは粉砕した。
「このあともタンゴとは限らないよ、恥かかないように覚えてからの方がいいんじゃない? タンゴの男性役とワルツくらいは教授したげるからサ」
「う……」
ものの喩えでなく振り回され、目の回る思いをしながらも必死に脚を動かしているうちにその曲は哀愁を帯びながら激しい盛り上がりを迎え、やがてまた穏やかな曲調に戻ってバイオリンの音で終わった。
シドが汗を拭うと同時に、周囲が「わっ!!」と、湧く。
ぎこちないながらも最後にはちゃんとステップを踏めていたシドと、またも貴族の如き優雅な礼を取るハイファの男同士のダンスは、パーティー慣れした富裕層に目新しくも愉しいショーだったようだ。
ざわざわと人々は言葉を交わし合い、次にワルツがかかった時には男性同士・女性同士のペアが生まれ、あちこちで笑いが巻き起こっていた。
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