第1話

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第1話

 署から外に出ると雨が降っていた。なるほど暗い気がしていた。シドは恨めしい思いで夕方前の冷たい霧雨を見上げながら左手首に嵌めたリモータを操作、溜まったファイルをバッサリ削除したのちネットに繋いで気象制御装置(ウェザコントローラ)情報にアクセスする。 【大雨→小雨に変更・十五時~零時まで。傘を忘れずにね♪】  溜息。仰ぎ見れば超高層ビル同士を串刺しにして繋ぐ通路のスカイチューブが鈴なりの衝突防止灯を雨に滲ませている。中がスライドロードになったあれを使っても帰れるが、今更署内に戻ってエレベーターに乗るのは鬱陶しくも悔しいものがあった。  予告されていたこの現象を知らなかったのは忙しすぎたからだ。  AD世紀から三千年、あまねく宇宙で多種人類が暮らす現代社会において、今どきここまでクソ忙しい職場が他にあるだろうか。それもここは太陽系、母なる地球(テラ)本星セントラルエリアである。  あまたのテラ系星系を束ねるテラ連邦議会までが本拠地を置く星でこの忙しさは尋常ではない。大変にアンフェアな状況だとシドは思う。  思うだけでは埒が明かないので、先程ヴィンティス課長に噛みついたのだ。するとやはり何度も繰り返してきた不毛な問答となった。 ◇◇◇◇ 「シド。そう思うのはキミだけじゃない、わたしを含めて周囲の皆が思っていることだ。だからキミの思考は正常だ。心配は要らん。まだ通院しなくてもいい」 「俺が過労で倒れそうだと思うなら事態の改善を図って下さい」 「別にキミの過労など、どうでも……いや、心配はしておらんのだが――」  と、言いつつヴィンティス課長は自分の側頭部を指でつついて見せた。 「――歩く超常現象の如きキミがいい加減にオカシクなって、いや、原因究明のために精神科でも受診したいのかと思ったのだが、何だ、違うのかね」  さすがにムッとしたシドも嫌味には嫌味で返す。 「俺は『忙しい』と言っているんです。耄碌(もうろく)して聞こえなくなったんですか? それとも増員を要請しても課長の人望がなくて人員を預けて貰えないとか?」 「人望も人手も充分足りている。見て分からんのかね?」  唸ったヴィンティス課長の視線をシドは追った。フロア内では噂話に花を咲かせる者、リモータでゲームする者、ホロTVに見入る者や鼻毛を抜いて長さを比べる者に本日の深夜番を賭けたカードゲームにしのぎを削る者などが騒めいている。  ここは太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事(デカ)部屋である。機動捜査課は殺しや強盗(タタキ)など凶悪事件の初動捜査専門セクションだ。  大昔は機動捜査隊という名称で常に決まった地域内をグルグルと秘密裏に警邏し、事件の報が入ったら近い者が駆け付けるといったシステムだったらしい。  けれど現代においてはそんな面倒な真似をしなくてもすぐに駆け付けられる上に交通量を増やすだけ無駄とされ、課員は皆が署で待機している。ヒマそうな皆も事件が起これば飛び出して行かねばならない。  つまりここで待つことも仕事の範疇と云えるのだがID管理が行き届き、義務と権利のバランスが取れたこの地では、カラダを張った犯罪にガッツを燃やす人種は絶滅の危機に瀕していた。誰もが醒めているのだ。  故に本当にヒマで、だが血税でタダ飯を食らってもいられない。僅かな在署番を残して大部分の機捜課員は上階三フロアを占めるICS、インテリジェンスサイバー課を始めとする他課の聞き込みや張り込みなどの下請け仕事に出掛けているのが通常運転といった有様なのである。 「しかし実際、俺がクソ忙しいのはご存じでしょう。①何件か誰かに割り振る、②書類だけでも専用の支援システムを導入する、③せめて相棒(バディ)を付ける。その三択です」 「割り振りたいが『キミの事件』は特殊だ。どうせ自分で実況見分するのだからそれこそ無駄だろう。書類の支援システムなんぞウチの課に予算が下りる訳がない。残るはバディで付けてやりたいのは山々だが、いったい誰を付けるというんだね?」 「誰って――」  再度振り向いたシドはデカ部屋内を見回す。すると会話に聞き耳を立てていた同僚たちがダッシュで逃げた。タイミングを逃して一人デスクに残されたシドの後輩ヤマサキは慌てて端末を立ち上げるとホロキィボードを物凄い勢いで叩き始める。  その顔は怯えに歪み、脂汗を垂らしていた。  常のポーカーフェイスのままシドはヤマサキの許へ行き、書き損じの書類十数枚で作ったハリセンでその頭をぶん殴る。八つ当たりで二発、三発と張り飛ばして『パワハラ』なる単語を粉砕しつつ課長に言い募った。 「課長が決めて下さい。権限を振り翳して下さい、部下を可愛いと思うのなら」  鉄面皮の部下を前に微妙な顔をしてから課長は頬を引き締める。 「あー、キミも大事な部下には違いない。いや、本当だとも。嘘じゃない。信じる者は救われる。……だがわたしの求めるのは自主性を重んじる職場なのだよ」 「課長の高望みは結構ですが俺のささやかな望みはそんなに無謀ですか? そもそも刑事は二人一組(ツーマンセル)、バディシステムがAD世紀からの倣いでしょう」  課長の多機能デスクに両手を突っ張り、今日こそはと頑張ってみた。けれどこれ以上の犠牲者を出したくないヴィンティス課長も汗が滲む汗腺を根性でフタして説得するフリを必死で演じ続けた。 「聞きたまえシド。倣いというのは常識的な人間同士にこそ通用するモノなのだ」 「俺は充分常識的です!」 「嘘を吐くんじゃない、それは既に詐欺の領域だ。警察官が犯罪はいかん。大体この平和な地で今日も事故に痴漢にひったくりでシメがタタキと銃撃戦だ。自ら事件を呼ぶ不吉な刑事『イヴェントストライカ』と誰が組みたがるというのかね?」
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