第2話

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第2話

 嫌味な仇名を口にされ、シドは鉄面皮の眉間にシワを寄せるという器用なワザを披露しつつヴィンティス課長を睨みつける。  そんな部下の前でブルーアイに哀しみを湛えた課長は力なく頭を振った。 「道を歩く、いや、表に立っているだけでキミには事件・事故が寄ってくる。管轄内の事件発生数とキミの事件遭遇(イヴェントストライク)数が殆ど同じなのを知っているのかね?」 「検挙数も殆ど同じの筈です」 「それはそうだろう、下手をするとキミはホシより先に現着しているのだからな」  どれもこれも事実だが繰り返してきたやり取りだ。今更言葉に詰まらない。 「でもそれとこれとは別でしょう!」 「別と思うのはキミだけだ。おまけに以前キミと組んだ者は誰一人として一週間と保たず五体満足では還ってこなかった。今週も記録的な事件発生数をマークして、わたしはもうセントラルエリア統括本部長に何と報告してよいのやら。この上、部下をみすみす病院送りになどしたくないのだ――」  言いつつ課長は多機能デスク上から茶色い薬瓶二つを交互に取り、掌に赤い増血剤とクサい胃薬を山盛りにした。デカ部屋名物の通称泥水と呼ばれるコーヒーで錠剤を嚥下する。目前でこれも嫌味としか思えなかった。  まるで健康被害まで被っていると言いたげな課長の様子を眺めてシドは唸った。 「みんな一命は取り留めて完全再生・復帰したじゃありませんか」 「それを見てキミのバディに立候補するような気合いの入ったマゾがいるとでも思うのかね? わたしはそんな部下は嫌だ。個人的志向の問題だがね」  皮肉や愚痴を聞きたい訳ではない。仕方なくシドはこの場での事態改善を諦める。 「もういい、結構です。代わりに可能な限り雑事はヒマな奴に押し付けますからね」 「構わんとも。何なら星系政府法務局の中枢コンでも使いたまえ。この純然たる資本主義社会で人の命ほど高くつくものはないからな」  とはいえ一番手間の掛かる書類は今どき手書きと決まっているのだ。容易な改竄や機密漏洩の防止から先人が試行錯誤した挙げ句のローテクである。筆跡は内容と共に捜査戦術コンに査定されるので、原則としてシド自身が書かなければならない。  遙か昔には事務支援アンドロイドがいたらしいが、現代においてそんなモノは存在しなかった。高度なテクノロジーはあれど、人間主体の社会システム維持と資本主義を支える需要と供給のバランスを崩さぬため、人々の生活水準はラストAD世紀程度に抑えられ、ヒューマノイドへのAI搭載は規制が掛かっているのだ。  結局何ひとつ変わらないということである。シドは徒労感に肩を落とした。実際に事件続きで疲れている。そんな部下に上司は取って付けたように告げた。 「あー、キミは暫く自宅に帰っていまい。ラグナロクでもやってこない限りこちらで対処する。今日明日はゆっくりしてくれ。できれば外は出歩かんようにな」  言われずともそうするつもりだった。溜まりに溜まった代休申請を出したら一ヶ月以上も有給取得命令を無視していた業務管理コンから、返す刀でハートマークが一ヶ月分だろう数ずらりと並んだメールがリモータに送られてきたくらいだ。  文章部分はマシン語だったので内容は良く分からなかったが。  つまり人語を忘れるほどコンまでもが喜んでいたということだ。  とにかく自宅に帰るのは四日ぶりという有様である。お蔭で自分が引っ張ってくる被疑者以外住人のいない留置場の一部屋がシドの巣になりつつあった。  だが代休よりも溜まっているのが報告書類だ。シドの机上だけに山と積み上げられている。綺麗に並べられたデスクの地平でそこだけ固い地層で風化を免れ、テーブルマウンテンを形成していた。督促メールも山ほど届いている。  しかしこれを逃すといつ帰れるか分からない。ヴィンティス課長も「遠慮するな」と手をヒラヒラ振った。振りながら低血圧と胃痛で元々悪かった顔色を蒼白にして後退る。声までが首を掴まれた鳩のようだった。 「体を休めたまえ、アタマも。あ、いや、ソレは遠慮して――」  刻々と調子の悪くなる上司のこわばった笑みに、急にどうしたのかとブルーアイの視線を辿れば、シドの手が無意識に腰のレールガンに触れていた。  これはフレシェット弾なる針状通電弾体を三桁もの連射が可能で、マックスパワーでの有効射程が五百メートルという極めて危険なブツである。ライフル狙撃には足りないが通常のハンドガンの十倍近い強烈な威力を誇る。  この威力では当然ながらパワーコントローラ付きでも巨大な代物だ。扱いも非常に難しく反動(リコイル)も只事ではない。  これはシドのために中央の武器開発課が特別に開発した物で、この他には予備が開発課に一丁しかないと聞く。右腰の専用ヒップホルスタから突き出た長い銃身(バレル)部分をホルスタ付属のバンドで大腿部に留めて保持していた。  実装一丁でも文字通り飛ぶように減ってゆくフレシェット弾は専属の班員たちがこさえるのに忙しいらしい。
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