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第29話
暗殺者に顔が売れている刑事二人はどうかイヴェントにぶち当たりませんようにという願いが叶ったか、珍しくもノーストライクで署まで駆け戻った。
戻るなり二人はシドの巣に駆け込み篭もる。硬い寝台に少々隙間を空けて座った。
「こっちはキールたちの了解が取れれば即、動くよ。室長の言質も取ったから」
「俺はキールの承諾待ちだ。大体、自分たちが暗殺者に狙われるなんてのは信じがたいだろ。大会社だの星系政府議会議員の子息や令嬢が失踪ってのも拙いだろうし」
「でも命が懸かってるんだし、なるべく早くしなきゃ。何処まで話したの?」
「何処までもここまでもねぇ、それらしくでっちあげた」
軍の病院なら解除薬ができるかも知れないが、けれど軍もタダのボランティアではありえない。そこで一、彼女を治験者とすること。二、それを家族の誰にも告げないこと。三、その間はキール自身も絶対に軍敷地内から出ないこと。その三つの条件を出すことで却って信用させようという訳だ。
「そいつが守れるなら来いってな」
「微妙だね。けどキールが乗らなくても今日、明日中には彼らを拉致るからね」
「軍らしい荒っぽさだな。だがそうしてくれた方がいいかも知れん。ふあーあ」
大欠伸をしつつ伸びをして立ち上がったシドはポケットから煙草を出すと一本咥えてオイルライターで火を点けた。天井のライトパネルに向かって盛大に紫煙を吐く。
「一日何本?」
「日に依るし、あんまり数えたこともねぇが一本から三箱ってとこか。事件やら張り込みやらの日は起き抜けの一本のみで一日が終わっちまう。書類だと六十いくな」
「わあ、そんなに書類が嫌い?」
「好きじゃねぇのに勝手に溜まる」
「効率悪いシステムだなあ、紙媒体なんて。今どき変なところで税金使ってるよね」
「仕方ねぇさ、殆どの犯罪がIT関連のご時世だ。上のICS並みのセキュリティならともかく、俺たちは情報戦仕掛けられても受けて立つスキルがねぇから無理。容易に改竄される可能性を排除した挙げ句があの有様だ」
「他の人の机は綺麗なのに。返事待ってる間、手伝うよ。あのテーブルマウンテン」
綺麗好きのハイファは自分が『刑事』の間にシドのデスクを片付けてしまいたいらしかった。純粋にシドの負担を減らそうとしてくれているのかも知れないが。
「有難いがそれなりの理由がねぇ限り、本人筆跡以外は拙いんだ」
「そういう時こそ別室戦術コンを使って法務局中枢コンにものを言わせるんだよ」
あっさりと超法規的措置を持ち出したハイファをシドはまじまじと眺める。
「……別室員て簡単に殺されて同情してたが、じつはかなりヤバい気がしてきたぜ。お前も相当イカレた発言したの、自覚ねぇだろ。法務局中枢コンてマジか?」
「ふふん。権力を振り翳したいならシドも別室にくる? 室長は頷くよ、きっと」
「助かる部下も『礎』扱いしてすり潰すような上司はご免だぜ」
「残念、ずっと一緒に仕事ができると思ったのに。で、書類はどうするの?」
「やるさ。使える権力は大いに振り翳してくれ。いつかはやらなきゃならねぇのも確かだし、そうそう建設重機に降ってこられて一般市民まで巻き込む訳にはいかねぇからな。『待ち』の間はヒマだしさ」
取り敢えず襲撃に対し神経を尖らせていなくても良いと分かりハイファは微笑む。
「ところでコーヒー飲みながらは、あり?」
「泥水と大差ないのを覚悟できればな。嫌なら有料オートドリンカもある。煙草もオッケー、ときどき書類に焦げ穴が空く」
「幾ら無害でも現代で分煙のない職場も珍しいよね……ゲホッ、もう、やめてよ」
依存症患者に紫煙を吹きかけられたハイファは顔をしかめる。そのときシドのリモータが振動し、音声発信を求める呼び出し音が鳴った。
「良かったよね、キールが応じてくれて」
「物静かなだけのただのお坊ちゃんかと思いきや、なかなか即決力もあるいい男だよな。親どもまで向こうに回す根性もある。なのに彼女はクスリに縋った、か」
「彼女を悪くは言えないよ。それこそ僕はシドが見えなくなるのは怖いもん」
「でも途中から依存してるのは分かっていたんだろ。だから隠れて自室でのみ使用してた。けど最後の一滴をキールの目の前で使うのは残酷すぎだろ。あれだけ自分を想う男の前で、まるで『これに嵌ったのはお前のせいだ』と言わんばかりじゃねぇか」
文句を垂れるシドにハイファは右人差し指を振って「チッチッ」と否定して見せる。
「女心が分かってないなあ、シドは」
「じゃあ、何だってんだよ?」
「どんなものに縋ろうとも本当のわたしは何よりも貴方を頼りにしています。だからこの悪魔の一滴を使い終えるわたしを見ていて下さい。これから元のわたしに戻って貴方と共に……って思ったら、たまたま最後の一滴で眠りに就いちゃった。単純にタイミングが悪かっただけなんじゃない?」
「ふん。やけにお前は女の方を援護するよな」
「シドこそ僕の前でいやに他の男を褒めてくれるよね」
「俺を自分の何だと思ってやがるんだ、お前は。それに女の方に自己投影するのも結構だが、自分の状態の推移から違法モンと知ってた可能性は高い。依存性に負けたんだぞ、状況的に見て身体依存ではなく精神依存にな」
真面目に力説したシドをハイファは軽く論破した。
「そうですねー、企業戦略に嵌った誰かサンの煙草と同じですねー」
「う……それよりキールたちの迎えは本当に動くんだろうな?」
「それはバッチリ。今頃はもう動いてると思うよ」
「そうか、ならいい。……んで、それはいったい何なんだ? お前の服にしちゃあサイズが合ってねぇ気がするんだが。誰か客でも来るのか?」
バリバリと書類を片付け、やっと半分ほど終わらせた頃に無事定時を迎えて、睡眠不足で目を血走らせたヤマサキらを尻目に二人はさっさと帰宅した。今日はシドも意地など張らずにスカイチューブを使用したため、ノーストライクで帰還できたのも良かった。
だが風呂・食う・寝るの黄金パターンをまさかこいつは崩そうとしているのかと、シドは嬉しげに微笑むハイファに嫌な予感を覚える。
「たぶんピッタリだと思うけど、そのシャツ脱ぐ前に一度袖通してみてくれる?」
ハンガーに掛かっているのはどうやらオーダー品で、そんなモノに全く縁のないシドから見ても分かるほど高級な生地を使用した、いわゆる昔ながらのタキシードというヤツだった。色は勿論漆黒だ。他には目にも眩しい白のウイングカラーのドレスシャツもある。
ハイファは自室から一緒に持ち込んだ鞄を開けると更に黒の蝶ネクタイだの白いポケットチーフだの黒蝶貝のカフス、それにサスペンダー等を取り出してロウテーブルに並べてゆく。
同僚の結婚式でもシドは着たことのない物体ばかり、黒の靴下まであった。中にはどうやって装着するのか分からない得体の知れぬ布製品もあり、シドは既に確定した嫌な思いを膨れ上がらせた。
何故なら自分で着られない代物は手伝って貰うしかないからである。
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