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第31話
コイルハイヤーの窓外をシドはじっと眺めていた。
この辺りは七分署管内でなく、セントラルエリアでも官庁街や繁華街からかなり外れた地区である。高層建築物がない郊外、贅沢にも個人がそれぞれの敷地を占有している高級住宅街だ。
勿論地理は分かるが、どうも自分は場違いな所に来てしまった感が拭えない。
外灯と門灯に照らされ立ち並ぶ屋敷はどれも巨大で広大な庭を持ち、手入れの行き届いた生け垣や蔓バラのアーチなど趣味を凝らした風情を漂わせている。
そんな屋敷街の中でも格別に巨大な邸宅、外壁に赤茶色のレンガを使った屋敷の前でハイヤーは浮いていた車体を沈ませた。降りたシドは青銅の柵の間から中を透かし見る。エヴァンズ星系政府議会議員の自宅は全ての窓に明かりが灯っていた。
屋敷の中で人々が集う独特の喧噪が通りに立つ二人にまで漂い伝わってくる。青銅の柵の切れ目にある巨大で貴重な天然木の門扉が開け放たれているのだ、今宵の客を屋敷自体が全身で喜び招いているように。
だが門をくぐり広い庭をカートで移動して足を踏み入れた玄関ホールには、クロークの受付係にしては目付きの鋭い男たちが三人いて、ハイファとシドはリモータの招待状を細かくチェックされた。二人が少々の緊張を強いられる瞬間だった。
今回シドはファサルートコーポレーション代表取締役専務であるハイファの、大学時代からのごく親しい友人という設定である。民間人は星系政府中枢コンに蓄えられた個人IDデータになどアクセス不能だが、相手は星系政府議員だ。どんな裏技を持っているか分からない。
別室戦術コンがでっち上げた二人の経歴がバレやしないかとヒヤヒヤした。
しかし杞憂に終わったようだ。ハイファもシドも受付係の深々とした礼を受ける。招待客は上流階級者だ。招いておいて失礼に当たるからかボディチェックまではされずに済み、これもホッとした理由である。
屋敷の敷地に近づいた時点でセキュリティシステムは作動している筈で、何処からかX‐RAYサーチくらいされているかも知れないが、大概こういう所に住まう立場の人間はリモータに護身用スタンレーザーくらい仕込んでいる。
最近は銃器型の護身用アイテムも多数出回っていて、それらを全て取り上げるようなことはしないのだろうと思われた。
「手荷物とコートをお預かり致します」
言われてハイファはブラックのチェスターコートを、シドは愛用の対衝撃ジャケットを渡す。するとシドのジャケットを受け取ったクローク係は、そのくすんだ色と極めて庶民的なデザインの上着を手にして動きを止めたように見えた。
だがそこはやはりプロ、何事もなかったかの如くハンガーを通すと、毛皮や最高級カシミアのコート群から数センチ離れた一番端にひょいと引っ掛ける。
「……ふん!」
おニューの六十万クレジットをバカにされて、シドは鼻息も荒く男を睨みつけた。
目を伏せた受付係はチリンと小さくベルを鳴らす。そこに紺色のドレスと白いエプロンにヘッドドレスまで付けた、いかにもなメイドが現れて先導に立った。
そしてようやくパーティー会場、これまた機動捜査課のデカ部屋の十倍以上はありそうな、巨大で煌々しい空間に二人の刑事は投げ込まれたのであった。
それからたっぷり一時間は経った頃。
シドは『古臭い』と言ったがAD世紀から着用され続けている正装と、大胆且つセクシーな最新流行のカクテルドレスが混じり合うパーティーはかなりの盛況だった。
ワイングラスを持っていない方の手で、シドは首に掛けた臙脂色のストールのフリンジを弄り回しながら居心地の悪さを隠そうともせずに、ハイファと談笑する大きく背の空いたセルリアンブルーのドレスを着たスレンダーなご婦人を眺めていた。
(ふうん、こうすれば布地はかなり節約……でも風邪引きそうだよなあ)
自分の彼女ならともかく、相棒にかなりの情熱を燃やしている様子の赤の他人の剥き出しの背中に色気の欠片もない感想を抱く。更に現在の状況について考察した。
(けど、俺も何だってこいつと色違いお揃いを素直に着ちまったんだろうなあ。自分で着られなかったのが敗因なのか? それにしても漫才みたいだぜ、全く)
ハイファはシドの臙脂と対の如き、自らの瞳の色と同じ緑系のストールを掛けている。そして悔しいことに生い立ちからかスパイ稼業の身上か、そのタキシード姿は堂に入っていて、コンタクトを取ろうと近寄る女性が引きも切らないのだ。
次にピンクのカクテルドレスの女性が割り込むようにしてハイファと話を始める。出る処が出た妙齢の女性に対しても、相棒はそつのない態度でにこやかに談笑していた。今度はちょっと羨ましく思いつつ、ヒマな広域惑星警察刑事は大欠伸をかまして周囲に目を向ける。
「……おい、ハイファ」
遠慮なく飲んでいたワイングラスがまた空になり、ワゴンを押して巡回している制服を着た給仕からグラスを受け取ると、いい加減に痺れを切らして声を掛けた。
「お腹空いたなら、あっちのバイキングコーナーでサーヴィスして貰ってこれば?」
「違うって。ずっとこうしてても仕方ねぇだろ」
三百人は下らぬであろう黒と虹色の人波が揺れ動くフロアは疲れにくいようGフィールド発生装置で調整されているらしく、僅かに一Gを割っていた。お蔭で磨き込まれた天然石材の床を踏む人々の足取りは軽やかである。
天井には落ちてきたら一大事になりそうな巨大なシャンデリアが二桁も下がり、壁という壁は金彩をふんだんに使用した聖母と天使が舞う絵で埋められていた。あちこちに掛けられた絵画はホロではなく本物らしい、当代の有名作家の作品だ。
開け放たれたバルコニーへと足を伸ばせば火照りを醒ます夜気と共に眼下でライトアップされ香りを放つ薔薇園が見渡せた。この季節にも花を咲かせ続ける遺伝子交配種なのか、パーティーに合わせて咲かせる努力を惜しまなかったカネと努力の結晶なのかは判別不能だ。
そして広大なサロンで友人との歓談に疲れれば、ランダムに低空に浮いている超小型反重力装置付きの繻子張りソファが心地よく躰を受け止める――。
何もかもシドには縁のないものばかり、落ち着けない平刑事をハイファは笑った。
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