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第32話
「別に今すぐ捜さなくても大丈夫だよ」
暢気に言ったハイファを切れ長の黒い目が睨んでいて、段取りを知る別室員は宥める口調になる。
「もうすぐ主催者のオーガスタ=エヴァンズが演台で挨拶する。そうしたら招待客への義理は済むから次は今現在、誰よりも会いたい相手である旧友のキールの父親、アルトハイムコンツェルン会長のギリウム=アルトハイムに会う筈。娘と向こうの息子が行方不明なんだからね」
「ギリウム=アルトハイムは来ると思うか、息子のキールが行方不明でも」
「そういう立場の人はそうそうキャンセルしないものなんだよ、こういう場は。特に跡継ぎが失踪なんて知られたら株価まで下がっちゃうんだから」
「ふうん、株価なあ」
それこそ自分と全く関わり合いのない世界で、シドは誤魔化されたような気分で唸った。
「現にこうしてエヴァンズはパーティーを主催してるんだよ、寝たきり娘も一緒に失踪したのにサ。それにここのマダムの姿が見えない。彼女も星系政府議会議員だし、普通なら接待に出てきて然るべき人物なのに。異変を承知している証拠だよ」
「それでエヴァンズとアルトハイムは、このパーティーにかこつけて会う訳か。そういやさっきからギリウム=アルトハイムを捜してるんだが、これじゃあな」
幾ら刑事の目で可視範囲内の男たちを眺め回してもこの人数だ、とてもではないが全員の顔と、脳裏に叩き込んだポラの映像とを照合できないでいた。
「もうすぐだから焦らないで。挨拶、そのあとはこのパーティーを開催する言い訳、もとい、主眼である『上流階級者のノブレスオブリージュ』たるチャリティーオークション、それが終わればダンスタイムになるからサ」
「ダンスタイムなあ。ターゲットの顔も判明した後のその時間を狙うのか」
「そういうこと。動きを見せる筈で揺さぶる隙もある。だからほら、今のうちだよ」
「今って、何が?」
「しがない平刑事が美味しいものをお腹いっぱい詰め込むのはってこと」
「けっ。……逆玉でも狙って美人でも口説いてくるかな」
「えっ、嘘っ?」
刑事の時には握っていた主導権もこういった場となればハイファが有利。素直に従うとは言ってみたものの、やはり負けん気の強いシドは少しばかり悔しい思いをしていたところだったのだ。
急に不安げな色を浮かべた若草色の瞳にしてやったりとばかりにシドはヒラヒラと手を振ってその場を離れる。
じつは言われた通りに腹が減って料理を取りに行っただけなのだが。
しかしハイファの心配もまんざら杞憂ではなかったのだ。シドは慣れない正装を完全に着こなせてこそいなかったが、ハイファがじっくり生地から選んで用意した衣装は、直接スキャンしてあつらえたもののようにピタリと躰に添って象牙色の肌を引き立て、艶やかな黒髪と共に、精悍かつアグレッシヴな雰囲気を醸し出していた。
毎日鍛えられているしなやかな足取りは、黒豹を思わせる。
正統派『美人』の、こういった場数を踏んでいるハイファ並みにシドに余裕があったなら、それこそ逆玉は夢ではなかったかも知れない。口の悪さと自意識のなさが台無し感を漂わせていたが、元々造作は極めて整い端正で素材は極上なのである。
そんなシドに対して実際にアプローチを試みる女性たちもいて、ハイファはそのたびに飛び出して行き、シドの腕に自分の腕を絡めて物理的にパートナー宣言してしまおうかとハラハラしつつ迷った。
けれど実際にそんな真似をすればシドが激怒し捜査もおじゃんになりかねない。不用意に動いて全て台無しには出来なかった。
だがハイファの心配は全くのところ杞憂だった。シドは移動時も今日の目的である『マル対』を捜してばかりで、切れ長の目は華やかな場とはかけ離れた鋭さを湛え、こういった場に出て来るような空気の読める女性が尻込みするのは当然とも云えた。
おまけにこの富裕層にあって判で押したかの如く大人しくも礼儀正しい男たちとは少々毛色の違う自分が、いったいどれだけ女性の視線を集めているかなどこれっぽっちも思い及ばぬ平刑事はローストビーフのクランベリーソース添えだの、オマールエビのグリルだのを口に詰め込むのに夢中になっていたのだ。
饗されていた蛋白質をあらかた味わって満足し、酔わないシドはワインをフルボトル分ほど流し込んでからハイファの許に戻る。一人で戻ってきたシドにハイファが安堵して暫くすると建材に紛れた音声素子が震えて広大なサロンに声が響いた。
「皆様、今宵はエヴァンズ家主催のチャリティーパーティーにようこそお越し下さいました。恵まれない星系政府の下で貧困に喘ぐ人々のために是非ともご協力を――」
目配せしてシドとハイファは雛壇上を仰ぎ見る。オーガスタ=エヴァンズ星系政府議会議員の背後にはその姿が招待客全てに見えるよう、議員自身の大きなホロ映像が浮かび上がっていた。
映し出された議員はホスト側として招待客のドレスコードより格上のホワイトタイの燕尾服に身を包み、年齢にしては若く張りのある声で挨拶を続けている。
シドが見る限りでは行方知れずの娘の心配を欠片も感じさせない堂々たる態度だ。
「それでは予定より早くはありますがAD世紀の昔より受け継がれてきた我々の合言葉『高貴さは義務を強制する』、いわゆるノブレスオブリージュの名を冠した恒例のチャリティーオークションに移りたいと思いますが、いかがでしょう?」
自信に溢れた微笑みを浮かべ主催者が述べると、拍手で提案は受け入れられる。
赤いビロードの掛けられた演台の前にエヴァンズ議員に付き従いやってきた初老の男が木製のハンマーを持って立ち一礼した。どうやら議員はこの場をとっとと執事に任せ、即刻ギリウムとの会談に臨むつもりらしい。シドはハイファと視線を交わす。
ここでこのクラス、収穫があればこの件の決め手になりえると想像はついた。
とうに二人は人々の隙間を縫って前進を始めている。勿論オーガスタ=エヴァンズの頭から視線は外さない。既に目標は煌びやかで目映いホールから出かかっていた。
「けど何処で会うんだろうな、見当つかねぇか?」
「私室でなければ、たぶん撞球室かスモーキングルームじゃないかな。ビリヤードと葉巻が共通の趣味らしいから。図面もあるから位置は分かるけど分かれる?」
「いや、惑星警察と軍、両方揃った方がいいかも知れん」
「それで、どっちがグッドコップでどっちがバッドコップ?」
「お前、今は警官じゃなくて軍人だろ。お前の持ち込んだネタだ、好きにしろよ」
「アイ・サー」
エヴァンズ議員は大柄な体躯を揺らしつつ、絨毯の上を早足で歩いてゆく。
途中で自走給仕機とすれ違いながら廊下を左に曲がって暫く歩いた。すると廊下がいつの間にか狭くなっている。天井の小ぶりなシャンデリアも光量が落とされ、やや薄暗い。
そしてオーガスタ=エヴァンズは一枚の扉の前で立ち止まった。オートではなく胸ポケットから古風な青銅の鍵を取り出すと傍のドアをガチャリと解錠する。
「内側から鍵、掛けられる。ヤバい。行くぞ!」
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