第33話

1/1
前へ
/60ページ
次へ

第33話

 閉じられかけたドアを力任せに引き開けて中に滑り込んだ。途端に大声が響く。 「何だね、キミたちはっ!」  構わずシドは後ろ手にドアを締めながら室内を目で走査した。同時にいがらっぽい匂いと、換気システムが追いつかないほど漂った煙が二人の闖入者の目を刺した。  紫煙の紗を通して見える部屋の作りはまさにスモーキングルームで、ミニバーのカウンターが付いている。だが招待客に開放されたそれでなく、やや狭い上にここも薄暗い。掛かる鍵といい本来は家人だけが使用する場所と思われた。  置かれた革張りのソファにはポラで見覚えたアルトハイムコンツェルン会長ギリウム=アルトハイムだけでなく、他に老人が二人と中年女が一人座っている。  匂いの元にシドは目を向けた。  ソファに囲まれているのは大理石のロウテーブル。グラスやカップ、葉巻のケースとクリスタルの大きな灰皿が置かれている。灰皿の中で何かが燻されているようで細く煙が立ち上っていた。  更に灰皿の傍に何のラベルもない目薬の容器とノーマークのドラッグが無造作に束で置かれていた。その違法ドラッグはシドだけでなくハイファも見覚えある品だ。 「何じゃキミらは。また会ったのう、刑事さんたちよ」  老人の一人がシドとハイファに声を掛けた。にこにこと笑うその老人は、セントラル・リドリー病院の特別室階の喫茶室で会ったコニャック好きの老人だった。 「何だ、キミたちは!? 出て行きたまえ!」 「刑事だと? ふざけるのもいい加減にしろ!」  余裕の笑みを洩らす老人と違い、ギリウム=アルトハイムとオーガスタ=エヴァンズは口々に喚いた。苛立っていて当然、息子と娘が行方不明なのだ。  だが今に限ってシドとハイファの関心は笑う老人に向かっていた。ハイファの手が自然に動いてポラを入力、別室戦術コンとリンクしたリモータが老人の身元を表示。 「セントラル・リドリー病院一〇八八号室に入院中の患者、ムハンマド=マハルシ。元・ゴーザーラ工業グループ会長。現在はゴーザーラ化学薬品工業特別顧問……?」  一歩前に出たシドが老人に対して低い声を押し出した。 「化学薬品工業でそのドラッグって、もしかしてあんた……」 「はっはっは。たまには自社製品の味見をせにゃならん、などと思って病院を抜け出してきたのが運の尽き、とうとうバレてしもうたか」 「バレたって、あんた……」 「チョウセンニンジンも深海魚のエキスも、孫娘へのイジメの見張り番も、これでまあ、一旦オサラバということかのう」 「……セントラル第五中学校の教師は、孫娘へのイジメの見張り番?」 「それは知らんかったのか。こりゃ失敗だわい」  老人は悪びれもせずに笑う。 「人が人である限り、差別はなくならん。ちょっとした違いを嗅ぎ分けてはレッテルを貼る残酷さがある。とはいっても孫はアルビノ、少々肌の色が白く、紅い瞳も目立ってのう」  しみじみ語る老人にシドは噛みつかんばかりに怒鳴った。 「だからってドラッグなんか使わなくても、あんたなら全部カネで賄える筈だ!」 「そりゃそうじゃがな、カネだとニンジンも深海魚も他の人間と競り合ってしまっての。ウチで出来るこれが一番対費用効果が高かったんじゃ。はっはっは」 「笑って済む問題だとでも思っているのかよっ!」  その剣幕に慌ててハイファはシドの腕を掴んで止めた。その手をシドは振り払う。 「わしとて悪事を働いた自覚くらい持っておる。イタズラはAD世地方言語で『悪戯(わるふざけ)』と書くじゃろ? ちょいと悪ふざけが過ぎたかとは思うとったんじゃ。それにあんたはそこらの公僕とは違ってこのブツのルートを掴む寸前じゃった。退こうと思うた矢先にこれじゃ」  老人は笑顔のままグラスからグランド・シャンパーニュらしき液体を啜っている。片や驚愕と怒りとが綯い交ぜになって、シドは脱力し背後のドアに凭れかかった。急激に突き抜けてしまっていた。  そんなシドを横目に、ハイファはロウテーブルの前に歩み出る。 「アルトハイム会長、それにエヴァンズ議員。息子さんたちの身は現在我がテラ連邦軍中央情報局が責任を持って預かっています。何故だか心当たりがおありですか?」 「軍、情報局……」  異口同音に呟いた大物二人を前にしてハイファは気を引き締めた。自分の仕事はこれからなのだ。今は別件にこだわっている場合ではない。  対象の二人を交互に見てハイファは訊く。 「お答えを伺う前に、他の皆さんに席を外して頂かなくて宜しいでしょうか?」 「……いや、いい。この部屋の鍵を持つメンバーはこうした愉しみを共有する以上、何があっても互いを裏切ることはない」  オーガスタ=エヴァンズは疲れた口調でそう言い、ミニバーに林立する酒瓶からスコッチを選ぶと自らグラスに注ぎ、一人掛けソファに身を沈める。 「キミらも座るといい。それとセルフサーヴィスでよければ好きな物を飲みたまえ」 「では、お言葉に甘えさせて頂きます」  シドを促しカウンター席に座らせた。一人だけ背を向けることになるが話は聞こえる筈だ。サイフォンでコーヒーが湧いていたので本当に遠慮無くふたつのカップに注ぎ、ひとつをシドの前に置く。もうひとつのカップを手にハイファは違法ドラッグ倶楽部の環を構成するソファに腰掛けた。  ひとくちコーヒーを飲んでから口火を切る。 「最初に皆さんに言っておきます。誠に申し訳ありませんが僕たちがここにこうしてやってきたことで、既に皆さんには命の危険が懸かったという事実です」  そう言って皆の顔を見渡したが特にリアクションはなかった。予測していたのか、それともドラッグの効果なのかと考える。ただ、トリップ真っ最中らしい濃い紫色でラメが入ったドレスの中年女の眼球だけが少し揺れた。 「単刀直入にお訊きします。そのロニア発祥の目薬型違法ドラッグ、通称ミカエルティアーズを誰から譲り受けましたか? アルトハイムさん」 「テラ連邦議会議員・アルブレヒト=カールフェルト氏の秘書の一人だ」 「……秘書の一人」  途端にハイファは落胆し、溜息を押し殺すのに苦労する。秘書など公的・私的を問わずテラ連邦議会議員にとって何人もいる、いつでも取り替えの利く存在だ。  だが萎える気力を振り絞ってハイファは更に訊いた。 「その秘書の姓名を。それと、いつ、何処で、どれだけミカエルティアーズを入手したかを思い出せるだけ、お願いします」  聴取しながらハイファはリモータの通信機能を立ち上げていた。これで放っておいてもギリウム=アルトハイムの語る全てが軍通衛星MCSを介し別室戦術コンに流される。だからといって話は聞き流さず注意深く脳内にメモしてゆく。 「名前はビオレートとだけ。栗毛で三十代くらいか、若いが目立たん男だ。クスリは議員が参画する化学食品振興財団の幹部会合の時、クリスティナ嬢の病状を聞いたと言って向こうから持ってきた。気分がすぐれない時に効くからと。しかしまさかあんな事になるとは思ってもみなかった――」  つぶさに聴取しながらも、やはり落胆は拭えない。内容も薄い聴取はすぐに終わってしまった。こうなると相手も相手で今日は引き上げるしかない。  ハイファは全く別口の手掛かりを掴むか、別室から帰還命令が下るかしなければ、まだ刑事を続けるしかないのだ。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加