第34話

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第34話

 漂う違法ドラッグの煙の影響も相まってか、脱力感にまたも溜息が出そうだった。  憂い顔で溜息をコーヒーと共に飲み下す。決め手になると思い込んでいただけに失望も大きい。刑事を続けてこれ以上の何かを掴めるのかすら疑問に思えてくる。  刑事を続ける、そう思うと沈黙を保って背を向けたシドが心配になってきた。 「皆さん、軍に身の安全確保を申請されますか?」 「わしらはわしらで、それなりに己の身を守る(すべ)くらいは心得ておるわい」  と、ムハンマド=マハルシ老。 「そうですか。では――」  立ちあがると一礼しカウンター席のシドを促す。シドは無表情のまま腰を上げた。 「美味しいコーヒーを、ごちそうさまでした」  軍隊式でない優雅な礼をハイファがすると、話の途中もずっとにこにことしていたムハンマド=マハルシがまるで帰省した孫にでも接するように言った。 「おお、礼儀正しいのう。別室なんぞにおる輩はチカラ技ばかり使うと思っておったが、何と礼儀正しい上に優雅なものじゃ。このような青年もおるとは、感心感心」  途端にハイファはまさかと思い、身を固くして呼吸すら止めた。聴取の間も別室の名は出していない。自分が別室員だとはひとことも口にしていないのだ。  これがテラ本星ではなく作戦行動中なら隠蔽(カヴァー)たる人物像が剥がれ、スパイと見破られたのと同じことである。  バレたら消されるのが常套の世界に生きる者として、反応するのは当然だった。おまけにこの老人は何故か別室のイリーガルな部分までをも知っているらしい。 「ふん。何処にだってバケモンみたいな爺さんの一人や二人はいるんだよ」  ずっと追ってきたクスリの『出処』と不意に対面し黙っていたシドが吐き捨てる。 「ほっほっほ、言ってくれるわい」 「その分じゃ叩けばまだまだホコリが出そうだな、爺さんよ」 「気が済むまでやってみるのも良かろうて。そうじゃな、賭けをせんか?」 「賭けって……何で俺がテメェと賭けなきゃならねぇんだよ!」 「お前さんに損はない賭けじゃから構わんじゃろう。今回バレたのは『出処』。じゃがお前さんは『末端』を知るのみで『ルート』は追っている最中じゃろう? わしは一旦クスリを退こうと思ったが、やめた。そのまま流す。そんな殺しそうな目で見るでない、所詮は『バケモンみたいな爺さん』の悪戯じゃよ」  返事の代わりにシドは『バケモンみたいな爺さん』を睨みつける。違法薬物を流し続ける宣言だ。真っ向からの宣戦布告である。 「わしが生きておる間に刑事さんの努力の結実が見られるかどうかの賭けじゃ」  言い放ってカラカラと笑う爺さんに対し、とうとうシドはキレた。 「くっ……テメェ、このクソジジイ! いつか必ずワッパかましてやるからな、手首洗って待っていやがれ、布団の上で死ねると思うなよ、こんチクショウ!」  いつもの調子が戻ってきたシドに老人は笑いを収めてすました顔で答える。 「元気が良いのう。それと礼儀正しいあんたと、熱いのにこの面子を現逮しない賢さを持ち合わせたお前さん。いいコンビに免じて教えようかの。お前さんたちの敵は看護師長殺し以外にも『しつこく元気な犬』退治にサイキ持ちを雇ったようじゃぞ」  すうっとハイファが息を吸い込んだ。 「そのサイキ持ちは――」 「――悪いがそこまでじゃな。ウチも各方面と付き合いがある。それが己の身を護る術となる訳じゃからの。まあオマケを言えばロニア経由で入星、タイタンのハブ宙港で止められずば、あと二、三日もしたら己の目で確認できようて」 「そうですか、貴重な情報をありがとうございました。……あれ、どうしちゃったのかなあ、僕。今とってもその薬が欲しい気分なんですけど」 「俺は塩、撒きたい気分だぜ!」  シドはヒートアップしているようだ。そのまま放っておくと相棒が老人を撃ち殺すのではと危惧したハイファは一礼し、そそくさとドアを開けてシドを押し出す。  あまり対流していそうにない廊下の空気が異様に旨かった。 「ふう。……シド、逮捕しなくて良かったの?」 「あの爺さん自身が言ってたろ。現行犯逮捕だからってあの面子だぞ。それこそ訴訟団どころか弁護団に検察は引っ繰り返るぜ。面倒でも一本ずつ切り離さないと無理、全員揃ってしらを切り通されたら一人として公判にも持ち込めねぇ」 「そっかあ。喚こうがキレようがちゃんと考えてるんだね」 「馬鹿にすんな。俺はただのユーザーを麻取に引き渡すつもりで歩いてる訳じゃねぇんだよ。違法物でもタチは悪くねぇしな。だがゲートウェイドラッグになり得る。一度でも『違法』をやっちまったら二度目のハードルはごく低くなる。それがヤバい」  切れ長の黒い目が煌めいて本当に諦めていないのが窺える。その自分好みの刑事の顔をハイファは暫し眺めたのち、ふいにシドに縋り付いた。 「わーん、怖かったよう、あのお爺さん!」 「時々いるんだよ。野に放たれた、ああいう妖怪が」 「別室すら掴んでない情報をだよ、あんな肝硬変爺さんが何で知ってるのサ?」 「俺が知るか!」  「あー、サイキ持ちかあ。どうしよ。……ねえ、シド。心残りがないように、今のうちにヤることヤっとかない? 僕の部屋のベッドメイク、完璧よ?」 「それしかねぇのかテメェは! それにサイキ持ちも人間だ、万能じゃねぇ、必ず隙ってモンがある筈だ。怖いならお前は軍の地下倉庫で座って膝でも眺めてろ!」  自分だってサイキ相手はご免である。だがこうなった以上は受けて立つしかないのだとシドは半ば自棄気味で吠えた。ハイファは首を竦めながらもさすがに抗議する。 「わあ、酷い。幾ら何でもそれは言い過ぎでしょ?」 「ぎゃんぎゃん五月蠅いんだよ。いけ好かねぇサイキ持ちみたいなクソジジイには疲れたし、こんな蝶ネクタイとか肩凝るし、女はお前にばっかり寄ってくるし」 「それ嫉妬っていうんだよ。ああ、そっか、ごめんね。あれは社交辞令、僕はシドひとすじなんだからね。もう妬かないで頂戴」 「そういう意味で妬いてねぇよ! くそう、妖怪ジジイとお前にエネルギー吸い取られちまった、腹が立ったら腹が減ったぜ」 「まだ食べる気? サイキに狙われてるってのに食欲旺盛でいいなあ」 「そう言わずに食えよ。お前、細すぎるんだしさ。結構いけたぜ、ここの料理」  先程と逆に廊下を辿りながらハイファはリモータ音声発信で別室と通信する。  だが別室側からは新たな情報も任務変更の通達もなく、『各個に対応』という返答があっただけだった。  それはときに戦場でボロ負け寸前にヤケクソになった司令官がちりぢりになった兵士らに対して叫ぶ命令と同じモノである。  
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