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第36話
「あああ、何でこうなったんだ……」
煌びやかなパーティーは終焉を告げ、皆、三々五々それぞれの屋敷へと散っていった。シドとハイファも異世界から現し世への帰路、今はハイヤーの中である。
あれからもダンスはずっとあの調子で折角シドが簡単なステップなら難なく踏めるようになったにも関わらず、隣で微笑む男と最後まで踊り続けるハメになったのだ。
「まあまあ、いいじゃない」
「何処も良くねぇ! 全身バキバキで腕は攣りそうだし、大体何で俺が女役で――」
「もう怒らないで。機会作ってまたああいう所に連れて行ってあげるからサ」
「う……ん。そうか」
「だからそれまでヒマな時にダンスの練習しようね」
「けっ、それが狙いかよ。……でも、やっぱりああいう場所は肌が合わねぇけどな」
「ふふん、だろうね」
シド自身は向けられる周囲の目を勘違いしていたが、想い人に対する女性陣の熱い視線に気が気でなかったハイファは少々の安堵を得る。
優雅でそつはないが大人しい男性たちの中で、シドはしなやかな獣の如く目立ちその牙は抜き身の刃のように光っていた。
七年越しの想いを差し引いても紛れもない鋭利な輝きがあったのだ。
そんなことなど露知らず、シドはふと思い出して訊く。
「そういや最初に踊らされた曲だけどさ、バイオリンの艶っぽい曲。何かこう、胸に残る感じがしたな。『ポルナカベイサ』ってどういう意味だ?」
「『Por una Cabeza』のこと? AD世紀の地方言語・スペイン語で『首の差で』ってとこかな。恋を競馬に喩えてる」
「競馬って、ムチ振り上げて馬を競走させるヤツだよな?」
「そう、それ。ゴールを切った馬は首の差、つまり僅かな差で勝敗が決まったってことだね。一人の女性を争って負けた男の詩がついてたよ」
なるほど、女の取り合いを競馬に喩えたということか。そうシドは理解した。
「で、どんな詩だ?」
「意訳だけど、『もし彼女が僕を忘れるくらいなら、そんな人生千回失っても大したことじゃない。何のために生きるのさ?』だって」
「ふうん。恋する相手の心に存在できない人生なんか価値がない、か?」
「まあ、そんな雰囲気かもね」
「全く本当に趣味が広いことで。どれだけヒマだったんだよ、お前」
「ファサルートの後継者として、それこそムチ打たれつつ教育されただけだよ」
「……すまん」
「本当にすまないと思うんなら、いい加減に堕ちてよね」
「問題が全く別。それさえなけりゃいい奴なんだがな、お前」
シドがシート上の尻を浮かせて僅かなりとも距離を取ろうとしたとき、ハイヤーが二人の部屋のある単身者用官舎ビル前で停止し接地した。
既にシドは鬱陶しい蝶タイを外し、タキシードの上から自前のジャケットを羽織っている。こんな服も窮屈で暫くは願い下げだとシドは思いながら無人のハイヤーを見送った。
乾いた破裂音が二人の鼓膜を震わせたのはエントランスで扉を解錠する前だった。夜気を裂いて襲ったのは紛れもなく旧式銃の撃発音だ。それも至近距離。
「退いてろ、ハイファ!」
シドは対衝撃ジャケット、小型レールガンを抜きつつハイファの前に出る。
「シド! 右、二時の方向!」
「分かってる、お前は出るな!」
牽制の一発を約十メートル先のオートドリンカの陰に撃ち込んだハイファは身を伏せている。レールガン独特の「ガシュッ!」という音を立て、シドも一射を放った。
「お前はそこで援護しろ!」
姿勢を低くしたシドはそう叫んでおいて走り出す。明るく不利なエントランス前から離れ、ビル蔭に身を張り付かせるまでに二回、左上腕部に丸太でぶん殴られたような衝撃を受けた。敵は相当腕がいいらしい。
初弾が外れたのは奇跡か神の御業か。
ハイファが応射している。しかしその身を掩蔽するものは何もなく、弾数も限られている。早々にケリをつけねば拙い。白い息をなるべく抑えて気配を探る。
暗さに目が慣れ、オートドリンカの陰に、たぶん一人。
いつもの大型レールガンではない、持ち慣れぬそのセレクタレバーを親指で跳ね上げてマックスパワーへ。斜めに走り出しつつオートドリンカそのものへ連射。オートドリンカは我が身の安全に脅威ありと知らせる警告音を鳴らし始めた。
甲高い音に驚いたか敵は身をたじろがせる。その僅かな動きで輪郭を捉え、撃つ。
「ぐはっ……!」
ザザーッとファイバの歩道上に倒れ込む音。
「ハイファ! 無事か?」
声を掛けながら耳障りな音を立てるオートドリンカへと慎重に近づく。
「何ともない、そっちは?」
張り詰めた神経はハイファが起き上がりこちらへ走ってくるのを捉えながら、倒れた敵がまだ生きているのを知らせている。更に近づいた。荒い吐息が聞こえる。
「動くな、惑星警察だ!」
敵のシルエット、腕が上がって最後の一発を放つのと、シドが三連射するのは同時だった。超至近距離で胸に被弾したシドは吹っ飛ばされるのを二歩後退して耐えたが尻餅をつく。傍らに立ったハイファの手を借りて立ち上がった。
白い息を吐くハイファは動きが自然で本当に怪我はないらしい。
「悪かったな」
「ううん、分かってるから別にいいって」
シドが謝ったのはハイファを囮にしたことだ。だがこの場合は最善の策だったのだ。
「それよりシド。幾らそのジャケットでも、あの距離でフォーティーファイヴ三発食らえば、どっかやっちゃってるでしょ?」
そう言ってハイファは足元に転がっていた四十五口径ACP弾の空薬莢を蹴る。熱変色して濁ったエンプティケース、真鍮の筒が意外に澄んだ音を立てた。
「ふん。皆さん旧い銃をお好みで。大したことはねぇと思うけどな」
「まだ神経張ってるから痛まないだけじゃないの?」
「さあな。どっちにしろ被害状況報告書があるから病院送りだ。面倒臭ぇ~っ!」
「『必ず元気で戻る』イヴェントストライカの負傷に課長さんが驚くんじゃない?」
「喜ばれそうで腹が立つんだがな」
喋りながらもシドは署へ、ハイファは別室へ、それぞれリモータで連絡する。更にハイファは別室戦術コン、シドは捜査戦術コンで、額のド真ん中にフレシェット弾の射入口が空いた男のポラを撮って送信・照会するも何処にもヒットしなかった。
潔くリモータすら嵌めていない刺客はおそらく本星人でなく不法入星と思われる。
「ったく、タイタンの通関は甘くなってるんじゃねぇのか?」
「まあ、精巧な偽造IDもロニアマフィアのシノギだから」
「それくらい知ってるさ。けどせっかくシールドファイバの威力を検証するいい機会だったのに実包とはな。レーザーを六十万クレジットが弾くのを見たくねぇか?」
「そんなに六十万を検証したければ僕が射ってあげようか?」
「お前が射ったら直角狙い、洒落にならんだろうが」
ビル風に吹かれながら馬鹿話をしつつ、機捜の到着を待った。やがて緊急音が響いてくる。
だが真っ先に現れたのは同僚らを乗せた緊急機ではなくドリンク会社のBEL、降り立ったメンテナンスのおっちゃんは死体を見て驚いていたがこれには二人も驚いた。
民間の厳しさを垣間見て官品同士、顔を見合わせて溜息をついた。
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