第4話

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第4話

 全身から滴る雫に閉口し、シドは単身者用官舎ビルのエントランスに駆け込んだ。  黒髪だけでなくジャケットの下の服までがびしょ濡れである。プールに飛び込んだのと、さほど変わりがなかった。腹の底まで冷え切っていて、しっかり口を閉じていないと歯が鳴り出すのを止められない。せめて雪だったらマシだったのだが。  北半球中緯度の十二月下旬、年末も押し迫った寒い夜である。暢気に歩いてこれ以上何かにぶち当たるのも避けたかった。  セントラルエリアの様々な公官庁に職籍を持つ公務員が入居する超高層住宅、単身者用官舎ビルの五十一階にシドの自室はあった。  離れて見上げればこれもスカイチューブのラインに串刺しにされている。串は色分けされた衝突防止灯を鈴なりに輝かせ雨に滲むビルの窓明かりと相まってクリスマスイルミネーションの如く騒々しい。  各ビルに務めるか入居しているかしなければ利用不可のこれに、シドも意地など張らずに素直に乗っていたら今頃は部屋でくつろいでいただろう。  署を出たのは十六時頃だったのに今はもう十九時を回っていた。  課長に当てつけがましく外を歩いて帰ろうとした、ほんの七、八百メートルの間。  たったそれだけの距離でファイバの歩道に併設のスライドロードを利用し雨の中の散歩を愉しむ老夫婦を襲ったひったくりを押さえ、そいつのポラとIDをリモータで照会すると何処にもヒットがなく不法入星者と知れてヤマサキを呼ぶハメになった。  不法入星は入星管理局の管轄だが、身柄(ガラ)は引き渡さねばならない。  それだけなら一時間も掛からなかったのだが、シドの受難はまだ続く。  そのあと地方都市から修学旅行でやってきた中学生三十六人の集団が、チャーターした大型コイルの中で合法ドラッグに過剰トリップしているのに出くわした。  小型反重力装置を備えて僅かに地から浮いて走るコイルは今どき殆どがオート走行である。その基本走行プログラムをバカが小遣い注ぎ込みカスタマイズしたオタクアイテム・リモータでインターラプトしたらしく、バスが異常機動していたのだ。  ダイナ銀行に本日二台目が突っ込む寸前でコイルのドアに飛びつき、出力を絞ったレールガンで蝶番を破壊して何とか乗り込み停止し接地させることができた。  青少年課と厚生局の薬対に同報を流してツアー会社と馬鹿どもの学校に連絡。他に何も被害がなかった以上自分とは関係のない分野だったが、駆け付けた役人と同輩を前にして「じゃあ、これで!」とは言えず、大人数で体力勝負だった。  惑星警察上層部から中学生に対しての鎮静ガスは使用不許可との通達が真っ先に降りてきてエラい騒ぎだったのだ。オツムの足らないガキどもの責任者はと思えば、バッドトリップして一番暴れていた子供のような顔をした女が引率教師だった。  それでもトリッパー同士の喧嘩による軽傷者だけで済んだのは上等と云える。  疲れ果ててヨレヨレなのを自覚しながら、防弾樹脂製のエントランス脇にあるリモータチェッカに左手首を翳した。IDコードをマイクロ波で受けたビルの受動警戒システムがX‐RAYで本人確認し五秒間だけオートドアをオープン。滴る水気を絞る間もなく滑り込む。銃は勿論登録済みだ。  仰々しいまでのセキュリティだが住人は一介の平刑事だけではないので仕方ない。  ロビーを縦断しエレベーターで五十一階へ。途中でこちらを注視する目つきの悪い警備員数名に無言でへこへこ頭を下げながら、ようやく自室に到着した。  到着したが最大の難関がドアの前にいた。  廊下を曲がってシドが姿を見せるとテラ連邦軍の制服を着て立っていた男が、さも嬉しそうに笑いかけてきたのだ。その何のてらいもない満面の笑みを認めた途端、シドは回れ右して署の留置場にこさえた巣に引き返そうかと本気で思った。 「待ってよシドっ! 久々のご帰還なのに、また何処行くのサ?」 「何で俺の部屋の前で張り込みしてるんだ、お前の部屋はそっちだろうが」  すぐに突き当たる廊下を挟んだ真向かいのドアをシドは左手で指した。だが右手は既に軍人に取られ、シドの部屋のオートではないドアの中へと引きずり込まれかけていた。これでも刑事で防犯には気を使っている。オカシイ。 「何で俺んとこが開くんだ、五日前にコード変更したばっかりだぞ」 「だって中に入れなきゃ、ご飯の用意してあげられないじゃない」 「そういう問題じゃねぇだろ、ハイファス=ファサルート二百五十、ええと何世だっけ、まあいい。テラ連邦軍中央情報局員が職で得た暗号解析ソフトを濫用していいと思ってるのか? 電磁的記録不正取得と不法侵入で緊逮かますぞ、コラ!」  いつもなら蹴り倒しドアの外に叩き出しているところだ。しかし現在の自分の残体力を鑑みてどうしようもないと悟って引きずられるままに自室に入りながら、せめてもの抵抗に凄んでみせる。大概のホシはこれで落ちる筈だった。  けれど軍人はまるで意に介さず教え諭すような口調で言った。 「やだなあ、シドってば。アナタだけは『ハイファ』って呼んでっていつも言ってるじゃない。僕とアナタの仲なんだから、遠慮なんかしないでよね」 「誤解を生む言い方はやめろ、俺は完全ストレートだって何千回繰り返せば分かんだよ! 男なんざお呼びじゃねぇんだ! 芸術的曲線と、やあらか~いおっ〇いがないとだめなんだ!」 「そんな大声で主張しなくても、七年も付き合ってるんだから知ってますよーだ」 「何年付き合おうが犯罪は犯罪だ。実際、どうやったのか吐け」  堂に入った揺さぶりにも動じずハイファはヘラヘラ笑って胸を張る。 「犯罪なんて大袈裟な……軍技研の友達お勧めのアイテムで、ちょっとね」 「お勧めアイテムって、まさかお前、また新兵器を試したのか?」 「ぴんぽーん。超強力指向性ナントカ電磁波ってヤツかけちゃったもんね、ECM。いわゆる対電子戦兵器っての? 大出力だけど超指向性、この部屋のOSだけ綺麗さっぱり吹っ飛んで――」
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