第6話

1/1
前へ
/60ページ
次へ

第6話

 言われてみてシドはこの部屋で人体に有効な熱量は電気と酒しかなかったのを初めて思い出した。食事は帰りに軽く済ませようと思っていたのだが、色々あってすっかり忘れていたのだ。  いそいそとエプロンを着けるハイファを暫し眺める。  四日間の職場泊まり込みといっても、殆ど留置場にこさえた巣で眠るヒマもなかった。お蔭で疲れ切っているのは確かで官舎最上階のレストランフロアや、下って二十四時間営業の地下ショッピングモールに行く気力もない。  ルームサーヴィスのためにアクセスするのも他人の声を聞くのがもう面倒臭かった。  勿論電気は無尽蔵にあるが食えないので、酒を飲んで寝るだけだと思っていたが、食事の話を持ち出されて腹が鳴った。先程から香ばしい、いい匂いもしている。オートクッカーも使っていないらしい、ハイファは妙に小器用な男だった。  どんな状況下にも嵌れる軍情報局のスパイとはいえ、どんな生活をしてきたらこうなるのか、AD世紀の昔にまで遡れる家系とかいう胡散臭い話といい、シドには想像もつかない。だが付き合いは長いので性格や性癖までも知っている。  まあ、スパイとしてのハイファの主な武器は、ミテクレとバイセクシュアルだということからして分かるが、元々がノンバイナリーに近い精神の持ち主のようだ。  お蔭で性別に関係なく人間性に惚れやすいのだろうが、それはともかく持ち合わせたものを利用して活かすやり方にシドは偏見など持ってはいない。  本人が自身に疑いや迷いを持っていると知ったら精神崩壊する前に止めもするが、そうでないのなら天性のものは大いに活用して構わないと考えている。  だが最初からハイファがバイセクシュアルだと知って友人付き合いを始めた訳ではないので、出会ったばかりのすったもんだがシドにとっては未だにトラウマ級の尾を引いているのだ。  初めて出会ったのは七年前、まだシドは広域惑星警察大学校の学生だった。  統括組織はまるで違うのに、敷地が隣というだけで例年行われるポリスアカデミー初期生とテラ連邦軍部内幹部候補生課程の対抗戦技競技会でのことだった。  惑星警察側は大学校初期生ということで僅かな数だけ現役警察官が混じってはいるが、昨今の現状では実戦的訓練には重きを置いてはいない。  対して軍側は部内幹候、既に皆が軍人であり幹部になるため更に訓練を積んで腕を磨いている。中でも惑星警察側の平均年齢の倍近い歳を食った下士官からの叩き上げが毎年の戦競で幅を利かすのが慣例だった。  依って惑星警察サイドは毎年肩身が狭く、静かにやり過ごすイヴェントだ。  しかしその年の動標射撃部門だけは違っていた。惑星警察側も大いに盛り上がりを見せた。シドがエントリーしていたからだ。対するは軍付属少年工科学校上がりのハイファだった。  決勝戦で二人は相見え、戦競の歴史に残る熾烈な戦いを演じた。  ハイファには天性の射撃の才能があり、シドも同様だったのだろうが加えて幼い頃に妹を護れなかった経験から一射に込める気合いが違った。  競技ではハンドガンの常識的な射程として二十メートルから始め、徐々に遠くして五十メートル先の動く標的を交互に撃っていたが、限界とも思える百射を超えてもレーザーハンドガンでは決着がつかなかった。  当然ながらその時点で二人共に筋肉疲労で腕の震えを止めるのに必死、集中力を持続させるのにも必死で駆け引きなど考える余地もなかった。  そこで決着をつけるため、まだ十六歳の二人に火薬(パウダー)カートリッジ式の有反動旧式銃までが持ち出されて渡された。そこからも長い長い勝負が続き、真鍮色の煌めく空薬莢が山となった。文句なく二人は過去最若年齢にして最高レコードを叩き出した。  その記録は未だに破られず、伝説の如く語り継がれているという。  あれから七年の腐れ縁だが、ハイファの側は本当に腐れた仲を求めていて……などとうっかり考えてしまい、シドは思わず身震いをする。だが旨そうな匂いを前に腹の虫は鳴りやまない。飯を食うだけだ、まあいいかと考え直したシドは殆ど餌付け状態というのに目を瞑っている。  あの頃のような油断からの間違いなど二度と冒さない。  それに今日に限っては部屋に暖房が利いているのが有難かった。  濡れた靴下でペタペタ歩き、寝室に入るとベルトを緩めてヒップホルスタごとレールガンを外す。ナノチップ付き警察手帳や捕縛用樹脂バンドなどと共にベッドサイドのライティングチェストに並べた。レールガンのフレシェット弾の補充はまだ先だ。  封切ったばかりで内ポケットに入れておいた煙草は防湿加工にも関わらず、びしょびしょのクシャクシャで被害を確認すると半分以上だったのが腹立たしい。箱を捻るとダストボックスに放り込み、一服を我慢してそのままバスルームに向かった。  かなりの重量物になった対衝撃ジャケットや、クタクタになったコットンパンツなどを片端からダートレス――オートクリーニングマシン――に押し込んで感知式スイッチが入ったのを確認しバスルームに入る。  リモータをずらすと、ぐるりと日焼けを免れて湿気に蒸れた箇所をばりばりと掻きながらリフレッシャをオンにした。頭から温かい洗浄液を浴びる。  ふと気付いて壁のスイッチを押すとリフレッシャの音に負けない大声で訊いた。 「大体さ、何でお前はそんなに俺の生活にやたらと詳しいんだ?」  建材に紛れた音声素子でキッチンのハイファと遠隔会話である。声の周波数帯だけを拾うので普通に話せるがシドの側が水音で聞こえづらいのだ。 《それは愛のなせるワザでしょう!》 「帰れ、テメェの部屋に!」 《やだね、二人分作ったもん》 「ふん、ヒマ人が」 《言われるほどヒマじゃないんだけれどね、五日前にビャクレイ星系から帰ってきたばっかりだし。知ってる、ものすごーく遠いんだよ。ワープ六回、キッツ~っ!》  本当は制服のままのハイファがヒマではないことくらい気が付いている。見た目で出来るだけ多くの情報を得る刑事のサガだ。おそらく自室にはシドの部屋とオペレーションシステムをリンクさせるためだけにしか帰っていないとみた。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加