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お気に入りは主のマッサージ
ルカを部屋に押し込み、施錠の魔法をかけた後、急いで湯を沸かし、香油を用意しアランの待つ部屋へ向かった。
アランの部屋はシャオの部屋のすぐ近くにある。
本来、主の近くに従者が自分の部屋を持つというのはありえないことだが、アランは1年前、死の淵に立っていた病人だ。
快復し、杖をつきながらでもあるが自由に動けるようになった今でももしもの事を考え近くに自室を置く許可をもらい、このような状態になっている。
もちろんそれ以外にもアランを狙う人間たちが現れてもアランを守れるようにという狙いもあるが、そんなこと、今日を除けば1度もなかった。
「……ふぅ」
アランの部屋の前に行き、扉の前で深呼吸をする。
ここに来る時はいつも怖くなる。1年前、結界の解除に成功したあと、屋敷にいるアランを探した時、アランはこの部屋でまさに虫の息という状態だったのだ。
顔が痩せこけ、手も足も細くなったアランの姿はいまでも目を閉じれば鮮明に思い出すことが出来る。
それを思い出すだけで手が震えた。いまでもアランが扉を開けたら死んでいるのでは無いか、という考えが頭を過ぎることもある。
「……」
息を整え、ノックする。
「入れ」
扉越しのアランの声がした。胸をなぜおろし部屋に入るとアランは室内着から寝巻きに着替え、ベッドの上に体を預けていた。ちらりとこちらを見るアランの手元には分厚いノートとペンがあり、やや難しい顔でアランはペンを走らせていた。
たったそれだけの動作でもアランは美しい。
いつもなら1分ほど見惚れる時間があるところだが、今はそんな気持ちにはなれず、持ってきた湯や香油を隣に置き、ベッドの前のアランに跪く。
膝が床に触れ、布越しであってもそこから身を凍える程の寒さを感じた。それをアランに悟られないよう、平然を保ちながら口を開く。
「主。御身体に触れる許可をいただけないでしょうか?」
ベッドの上のアランは視線を膝をつけたシャオに一瞬向けた後、直ぐに視線を紙に戻す。
ペンを走らす音が少ししたあとアランはベッドの隣にあるサイドテーブルにノートとペンを置き、先程よりも深く身をベッドに投げ出した。
許可の合図だ。シャオは再度頭を下げ湯と香油を持ちながらアランの近くによった。
「失礼します」
ガウンの紐を解き、寝巻きの留め具外す。
アランの白く、陶器のような肌が外部に晒される。人間離れした肌の美しさに毎回息を飲んでしまう。
その美しい体が冷えぬうちに湯に浸した清潔な布を固く絞り、アランの上半身を拭いてゆく。
「……」
アランの胸が息に合わせ上下する。
その胸も王宮にいた頃は男性的な厚みのある胸板だった。
だが、この屋敷に押し込まれ病にかかってからは薄くなり、貧相になってしまっている。
できる限り栄養のあるものを食べさせてはいるが、元の体に戻るのはそれなりの年月がかかるだろう。
それでもアランの顔色は病にかかっていた時とは比べ物にならないくらい良くなっているし、頬の色艶もいい。
ーー問題は、ないな。
いつも通りのアランの身体だ。
一通り、清める作業を終え、次は下半身のマッサージを行う。
香油を手の中で温めてから足先から胸まで丁寧に塗り込む。リラックス出来るように入れた香油の甘い匂いが部屋内に広まり、アランの表情が少し和らいだ。
それとは反対に、足は氷のように冷えていた。手も同様だ。
病のせいで体の体温調節機能が狂ってしまったのだ。そのせいで血流が足先の末端に届かず、過剰に寒さを感じやすくなってしまっている。
暖かいものを身につけさせ、暖炉の火を絶やさないよう防寒を徹底してはいるが、やはりこの寒さでは敵わないのだろう。
「後で毛布をお持ちします。火も今日は朝までつけておきます」
そう言いつつ、屋敷の残りの燃料を頭の片隅で数えた。
ルカを含めた3人での量を考えても現状、1ヶ月は持つだろう。だが、吹雪がいつ止むか分からない中、こまめに燃料の補給はしておいた方が良さそうだ。
そうだ。燃料ならばルカに取らせればいい。
そうして屋敷から出させる建前を作るのだ。そうすれば自分はアランと一緒に過ごせる。
「……」
この時間は、シャオの中で特別なものだ。
病のせいで足に麻痺が残ったアランのために行うマッサージは一緒に暮らし始めてから毎日行っている。
アランがまだ王子でシャオがただの従者だった頃はこんな機会はなかった。
いくらシャオがアランの忠臣だと言えども、王族であるアランの身体に触れることなどできるはずもない。
だから、今こうしてアランに触れられるという事だけはアランの身分と領地を奪い去りこの屋敷に閉じ込めたイースに感謝したいとすら、シャオは思っていた。
ーー願う事なら、このまま2人で。
そう思いかけてシャオは首を勢いよく横に振った。
主であるアランの王族復帰のため、シャオは行動しなくてはならない。
ルカの訪れもそうだ。シャオはアランとしか関わりがなかったせいで王宮にアランの王族復帰を叶えるつながりはない。
ルカはまさにアランの王族復帰の足がかりになる存在なのだ。
だがーー。
「……」
アランはルカを気に入っている。これからルカとアラン2人で話すことも多いだろう。シャオは蚊帳の外にいなくてはならない。
そうなれば、シャオは孤独だ。
そんなのは――、嫌だ。
「――、ッ」
突然、胸が紐で固く縛られたような痛みがあった。
その痛みはシャオの胸を的確に苦しめる。一瞬、アランを狙う暗殺者の類かと周囲を見渡したが、それらしき者の姿はない。
シャオが屋敷内やアランの衣服に敷いた防御魔法にも、探知魔法にも引っかかってないことからこの症状はシャオ自身の体によるものだとすぐに気がついた。だが、この苦しみはあまりにも辛い。
ーーな、なんだ? この苦しみは……!
耐えきれないほどの苦しみにシャオは顔を歪ませた。
落ち着け、とシャオは必死に自分で自分を言い聞かせる。
――は、早く。治まれ! 早くしないと主に……!
「……シャオ?」
アランのシャオを呼びかける声にシャオの心臓は止まる。
そちらの方を向くと、そのアランの顔に浮かんでいたのは困惑の表情だった。
こんなアランの顔など見るのは初めてだ。なにか粗相でもしたのかと思い聞こうとしたとき、自分の頬が濡れているのがわかった。
「……えっ?」
訳がわからないまま恐る恐る頬に触れる。濡れている所を辿ると指は瞼に当たった。
――泣いてる?
驚愕の事実に頭が追い付かず、指に触れた涙をぼんやりと見つめるシャオにアランから声がかかる。
「なにが、あった?」
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