ジル・アズュラン(改稿済)

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◇◇◇  鼻孔をくすぐる抗いがたい香りに、オレはゆっくりと目を開いた。  目の前に炎が揺れている。  香りは、そこに掛けられた鍋から漂っているようだった。   「目が覚めたようだね?」  鍋をかき混ぜながらそう問いかけたのは、あの美貌の青年である。  印象的な長い黒髪。月の光のように青白い肌。同じ男だとわかっていても、思わず気恥ずかしさに目をそらしてしまいそうになり、オレは数度目を瞬かせた。  夢じゃなかったんだな……。  ゆっくり立ち上がり、あたりを見回す。  いつの間にか、建物の中に移動したようだ。 「ここは……?」 「君が倒れていた古い神殿の跡だよ。もっとも、ここはその地下に作られた避難所のようだけれどね」 「神殿……?」  不思議なことに、窓もない地下だというのに、内部全体が昼間のように明るい。  正面の壁には、見上げるほど高い巨大なレリーフ画があった。玉座に座る二人の人物の姿のようだが、右側の人物は頭部を除きほぼ無傷であるものの、左側の人物は損傷が激しく、膝より下しか残っていない。  圧倒的なスケールに思わず目を奪われると同時に、何か……言葉に表せない郷愁のようなものが、オレの胸に込み上げてきた。  何故か涙がこぼれそうになり、慌ててそこから目を逸らすと、オレは焚火のほうを振り返った。 「……あんたがオレをここに運んでくれたのか?」  その言葉に、美貌の青年はうっすらと笑みを浮かべて頷いた。  整い過ぎた容姿のせいか、この青年にはどこか背筋が寒くなるような違和感がある。しかし、彼が自分の命を救ってくれたのは間違いなかった。あのまま一人行き倒れていたら、あの不思議な剣を貸してくれなかったら、今頃きっと食屍鬼(レキーシャ)の餌食になっていただろう。 「助けてくれてありがとう。オレは――」  言いかけて、オレは絶句した。  全身に一気に鳥肌が立ち、冷汗が流れる。 「どうかしたのか?」  美貌の青年は、その長い睫毛に縁どられた目を細めて問いかけた。 「オレは……オレの名前は、アルフィード……だと思う」  絞りだすように、なんとかそう答える。  オレは初めて気が付いたのだ。  自分が何故、ここにいるのか?  何処へ行こうとしていたのか……?  いや、そもそも自分はいったい何者なのか……その記憶がすべて失われていると。 「何も……思い出せない。オレはなぜ砂漠に? 何故? オレはいったい何者なんだ!?」  オレは、思わず叫ぶようにそう言った。  押し寄せる不安に、身体の震えが止まらなくなる。  異変を察し、美貌の青年と黒いフードを被った幼子は、困惑したように顔を見合わせた。 「見たところ数日砂漠を彷徨っていた様子だし、一時的なものかも知れないが…… 」  何か思いついたのか、青年は考え事をするように顎に指を当ててその美しい柳眉(りゅうび)(しか)めた。 「……あるいはもしかすると、何らかの魔力の作用かもしれない」 「魔力?」 「この辺りはまだ解き明かされていない古代文明の謎が満載の場所でね。遺跡に施されていた太古の魔術に引っかかったという可能性もある」 「魔法……」  確かに、この地下神殿跡の神秘的な様子を見ると、そんな可能性もあるかもしれない。  ここが……オレの目指していた場所だったのだろうか?  なぜオレはこんなところに……。  疑問は次々に込み上げてくるが、考えても不安が増すばかりだった。  いったん落ち着こうと深呼吸をしてから、オレは目の前の青年を見た。 「そういえば、あんたは何者なんだ?」  その問いに返ってきたのは意外な答えだった。
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