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「……あなたは本当に悪魔なのですか?」
僕の頭上をふわふわと浮かぶ天使が、文字通り上からものを言って来る。
でも、そう言いたくなるのもわかる。
僕は眼前の光景をじっと見つめる。仲睦まじく会話を重ねる、ホテルのレストランでフランス料理を楽しんでいる二人を。
これが最後の瞬間になる。
この瞬間を逃せば、僕は、自分の存在理由を完全に失うことになる。
悪魔の力を行使する。たったそれだけのことで、まだ僕の存在理由が消滅しない可能性は残る。でも、力を行使しなければ、完全に僕という存在は終わる。
悪魔という僕の存在は終わる。
僕は眼下にいる男性に目を向ける。いつも通り会話は弾んでいるものの、どこか落ち着かない様子を見せている。
無理もない。これからプロポーズをしようとしているのだから。
だが、男性の胸の高鳴り以上に、僕の心臓は激しく動悸している。
人生がかかっているのは、男性も僕も同じだ。でも、人生のかかり方が違う。僕は自分の存在がかかっている。
握り込んだ自分の拳に汗がにじむのがわかる。
まだ、決心が着かない。でも、もう着けなければいけない。
男性は意を決したように、正面に座る女性に熱い視線を送る。
いよいよ、プロポーズが始まる。そして、僕の存在のカウントダウンも同時に始まる。
男性は知らないが、このプロポーズは成功する。だって、この二人は運命で結ばれることが約束された二人なのだから。
もっとも、それは僕が介入しなかった場合の話だ。
悪魔は運命を破壊する力がある。その力を行使すれば、結末が逆転する可能性は十分ある。
女性は男性の視線に気が付いた。
「どうしたの?」
こてんと首を傾げながら、男性を見た。男性の表情が引き締まった。
そこに水を差すように、天使が僕の真上まで降りてきた。僕の頭に座らないで欲しい。
「わたしが言うのもおかしな話ですが」
天使もプロポーズを始める男性に視線を向けながら、話を始める。
「本当にこれでいいんですか?」
天使の言葉を僕は無視をする。僕が力を行使すれば、天使が天使の力を使ってそれを妨害してくる。天使は運命を護る立場にあるからだ。天使が勝てば、結末は変わらない。
「あなたは悪魔なんですよね。力を行使することなく帰れば、大変なことになるんじゃないんですか?」
僕は無視する。そんなことはわかり切っている。
「しかもあなたは、これまでに一度も力を行使したことがないと聞きました」
僕の存在は天使にも知られているらしい。
悪魔なのに一度も運命を破壊しようとしない、変な悪魔だからだろう。
だから、審判が下った。
運命を破壊せよ、と。もしも運命を破壊できなかった場合、僕は投獄される。それも悪魔の力を行使しない、悪魔の裏切り者としての重罪での投獄となる。いつ釈放されるかもわからない。
今回が審判者から与えられた、十回目にしてその最後の機会だった。
「せめて力を行使するとか、考えないんですか? 天使に負けたということにしてしまえばいいじゃないですか!」
僕は嘆息を吐く。
「君じゃ、僕に勝てないよ」
「それは、わかりません! いや、わたしが絶対勝つに決まってます!」
天使は不快感を示した。だが、事実だ。僕の持っている力は、悪魔界でも突出している。だからこそ、本来は一回ですら十分な背信行為となるのに、見逃され、さらには十回という複数機会を与えられている。
申し訳ないが、隣にいる天使ほどの力では相手にならない。最上級に位置するような天使が来て、初めて相手になるかならないか、といった感じだ。
僕に今回の案件を割り振った人物もそれを重々承知している。
負けはあり得ない。だから、運命が結ばれたとすると、それはすなわち、僕が力を行使しなかったことになってしまう。
「……そもそもの話、どうして、あなたは力を行使しないのですか?」
眼下では、男性がプロポーズの言葉を口にしようと、顔を真っ赤にしていた。
「……空しいからだ」
僕はそんな男性の姿に好感を覚えてしまう。
「悪魔の存在理由はたしかに運命を破壊することにある。けれど、それは僕じゃない誰かが決めたことだ。僕がそれに従う道理はない」
天使は僕の言葉に黙って耳を傾けていた。
「僕は運命を破壊することに喜びを感じないんだ。他の悪魔は違う。そのことに喜びを覚える悪魔が多いし、天使と真剣勝負をすることを楽しんでいる悪魔少なくない」
「自分は他の悪魔とは違う。自分は特別なんだ。そう言いたいんですか?」
「違う」
僕ははっきりと否定する。
「別に、僕が特別であることを言いたいわけじゃない。そんなことはどうでもいい。興味もない」
出自が悪魔だった、というだけの話だ。悪魔だから、特別になるだけで、天使だったら普通のことだ。
「事実として、僕は運命が結ばれることに喜びを感じるんだ。運命を破壊することを想像しただけでも、吐き気がしてくる。悪魔にとって変だということは、僕にもわかる。だけど、それは揺るがない事実なんだ」
男性がプロポーズの言葉を遂に吐き出し始めた。男性のプロポーズの言葉は長い。正直、これまで見たプロポーズとは比較にならない程長い。演説を始めたのかと思う程長い。
でも、愛を感じた。それだけの言葉を紡ぐのに、どれだけ男性は考えたのだろうか。どれほどの時間をかけたのだろうか。それを思うだけで、胸が熱くなってしまう。
それは相手の女性も同じらしく、ただ黙って男性の言葉に耳を傾けていた。
僕はその二人の姿に泣きだしそうになっていた。そして、考えることをやめた。
悪魔という自分の存在理由のために、幸せになるべき二人の運命を破壊するのはやめよう。
運命を愛する自分の存在理由のために、幸せになるべき二人の運命を見守ろうと。
「……僕は運命が結ばれる瞬間を見るのが大好きだ。それは揺るがない事実なんだよ。誰に何を言われても、それは変わらない」
長い長いプロポーズの言葉が終わった。返答はもはや聞くまでもない。
「「これから、末永くお願いします」」
これで運命は結ばれた。悪魔ではもう壊せない。壊せるのは、もはやこの二人だけになった。
同時に、僕の悪魔としての存在も終わりを告げた。
寂しいな、と思う。僕の悪魔としての存在が終わるということは、そのまま、運命が結ばれる瞬間に立ち会うことがなくなるということでもあるからだ。
投獄期間は不明だ。重罪だから、もしかしたら、僕の存在が消えるまでずっと投獄されたままになるかもしれない。
でも、僕が力を行使しないことで運命が守られるのなら、それでいい。自分の心にそぐわないことをしたくない。
天使が僕の隣まで降りてくる。
「少し天使の話をしてもいいですか?」
少しだけ悪魔の世界に戻るまでに時間があった。僕の最後の時間を天使に取られることに、抵抗感はあったが、天使が話しかけてくるのも珍しいので、話をすることに決めた。
「天使は護る存在です。破壊する悪魔とは真逆の立場です」
今更何を? と思ったが、そのまま耳を傾ける。
「だから、基本的には攻撃する術を持ちません。悪魔との戦いの中で大きく傷ついてしまう天使も、決して少なくありません。それでも、わたしたちは人間の笑顔を護るために頑張っています。人間たちの幸せな笑顔のために奮戦しています」
眼下にいる二人は腕を絡めながら、幸せな笑顔のままレストランを後にした。
「……これは提案なのですが」
天使の白い瞳と、僕の黒い瞳が交錯した。
「あなた、天使になってみる気はありませんか?」
目が点になった。最初、何を言われたのかわからなくなる程度には、思考回路が停止した。思わぬ提案だった。頭の隅にすら思いついたことのない考えだった。
「あなたの考えは、天使に近いです。天使の中にも色々な考え方はありますが、最も根本的な考え方に近いと言えます」
僕は自分の唇を震えるのを感じた。
「悪魔であるあなたが、天使になれる可能性があるかはわかりません。あったとしても、険しい道のりであることは、言うまでもありません」
道はまだあったんだ。僕はもう投獄されてその人生を終えるものだと思っていた。諦めていた。諦めてしまっていた。
でも、それは間違いだった。諦める前に、道を探すべきだった。
いや、それも違うか。道がないなら作ればよかったんだ。僕が僕として生きることができる道を、作ればよかったんだ!
前例はない。堕天使という、天使が悪魔になる前例はあれど、その逆はない。
僕は不意に天使の手を取った。天使が戸惑いの表情を浮かべた。
「僕は天使になる」
白い瞳をじっと見つめる。本気だと、全身全霊を持って伝える。
「……余計な提案をしてしまいましたね、これは」
天使が苦笑した。
「でも、それが天使ってものですよね! 天使は誰かの幸せを護る存在。それが悪魔であっても! もちろん、悪いことをして感じる幸せはダメですけど!」
天使は僕の手を取った。
「さあ、いきましょう! みんなの運命を護る存在になりましょう!」
ふと、この天使の笑顔を見て思ってしまった。
これこそ運命だったんじゃないかと。
多分、この天使は変わっている。だって、悪魔を天使にできると考えたのだから。
でも、この天使がいたからこそ、僕は新しい扉を見つけることができたのだから。
天使は天使の世界へとつながる世界への扉を作り出し、それを開いた。
僕はそこに足を踏み入れる。
自分と他者が幸せになる世界へと、足を踏み入れた。
~fin~
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