一話

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一話

『西暦2030年、世界は幸福に満ちていた。その大きな要因は、間違いなくAIの進化であろう。新たなる学習モデル開発、最高率なデータセットの学習能力、そしてあらゆる分野に対する対応能力の拡張・・・時代とともにこれらは進化していき、ついには、一般市民の手元に届くほど普及していった。 たった数年ほどの変化として、目に見えてわかるのは自立型ロボットが民衆のように街中を歩く姿だろう。バージョンアップが足りずに未だメカメカしいデザインのそれもあるが、一見人にしか見えないようなものがほとんどである。』 「・・・・以上、が、本日の授業、です。お嬢様。」 「ええ。今日もお話ありがとう、執事さん。」 ベッドで横になったままに、話を聞いていた少女は、受講師の彼を一瞥する。最も、彼女からすれば彼ではなく『ソレ』であるかもしれないが。 彼の与えられた役割はただ一つ・・・『寝たきりの彼女の世話をするAI執事ロボット』。執事など、現代ではあまり馴染みないものだが、彼のやっていることを鑑みれば、その表現が最適であろう。 「お嬢様、お父様が今日もお話をしたがっています・・・如何されますか?」 「いい・・・いいの。だって・・・」 不意に少女はドアの向こうを一瞥する。彼女の部屋とは対照的に明るさを持ってるゆえに、無意識に向けたソレというわけではなく、単にその先に人の気配を感じたから。 そのことに、その事実に・・・少女はただ怯える。 「・・・怖いんですもの」 「・・・・・・・かしこまりました」 執事は少し罰の悪そうな顔で・・・それでも彼女の言葉に首肯した。 彼女がこうなってしまったのは、数年前のこと。その時まで彼女は、普通の少女・・・いや、普通以上のものだったのだろう。裕福な家、有名企業のご令嬢、おまけに品行方正で容姿端麗。誰もが『神は二物を与えない』なんて言葉を疑うほどに、彼女は完璧な存在だった。 そんな彼女には一人の親友がいた。彼女の最も信頼する人物であり、いつも過ごす時は必ず共にいた。だからこそ、彼女を含めて誰もが予想なんてできもしなかった。 その親友が彼女を殺そうとしたなんて。 その後は悲惨だった。親友は行方不明、家は大混乱、学校中も阿鼻叫喚の嵐・・・そして何より、屋上から落とされて『生き残ってしまった』少女。 五体満足で生き残らせるほど、物理法則は甘くない。 重体のまま数日ほど生死をさまよい、目を覚ました先にあったのは・・・いや、永遠に失われたのは、彼女の両脚。そして、首すら動かせなくなるほどの神経の悪化。医師から告げられたのは、歩行もましてや起き上がることすら二度とできないだろうという、残酷な未来の断定。 奪われたのは体だけではない。目を覚ましたその瞬間から、彼女は担当医、看護婦、あまつさえ両親に触れられることすら強く恐れていた。 さて両親はひどく悲しんだ。しかし悲しんでいる暇もなく、選択を迫られた。人間不信に半身不随・・・絶望に瀕した齢17の少女に、生きるための希望を与えるにはどうしたらいいのか。この先ずっと、彼女の隣に入れる誰かも、縋れる何かもないまま生きていかなければいけないのか。 「・・・・・・・」 「執事さん?」 「ああ、すみません。」 脳内メモリーにある件の事件を思い浮かべいたが、彼女に声をかけられ、すぐさま熟考の波から這い出る。 「今プログラムの整理を行なっておりました・・・あ!そうそう。こちらを」 思い出したかのように、ベッド脇に置いていた袋から、花束を取り出す。 「これは?」 「ひまわりです。お嬢様の部屋にもどうかと・・・っ!」 「?」 「ああ、いいえ。なんでも。」 華やかに包まれた花束から茎を取り出して花瓶に飾る。確か前に持ってきたのは、桜の造花だったか。 「・・・・ねえ、これって本物かしら?」 「ええ。ここ近日に、ほとんどの園芸事業にて出荷時期というのもありましてか、近所の店舗の方でいただきました。お嬢様にも季節感を感じられるようなものをと、お持ちした次第です。」 「私、前の造花の方がいいわ・・・」 もじもじしながら、彼女は答える。執事がAIならば、その在り方に疑問を呈さなければならない。 「なぜです?」 「永遠に変わらないものが好きなの・・・理想を模って作られた造花。理想には及ばなくとも、現実に勝ると思わないかしら?」 「・・・・・」 きっとその根底には『信頼に裏切られた彼女のトラウマ』を含むのだろう。人が他人のソレにとやかく言うのは、きっとある種の無礼に当たるだろう。だが、『命じられたタスク』は彼女が外に出るまでの気持ちの整理。首を縦に振ってはならない。 「・・・・諸行無常。人にはソレらを美しいと説く者もいると聞きます。変化するからこそ尊ぶことができる。消えるからこそ大切に思える・・・人が人と歩む限り、それを捨ててはならない・・・と結論づけます。」 否定をするつもりはない。きっと変わらない美しさもある。けれど、変わりゆく故の尊さを忘れてしまえば、ただ変化を恐れて何もしないだけになるかもしれない。ならばきっとこれが最適解・・・ 「いいえ・・・・私はそれでもいいわ。たとえ他人が隣にいなかったとしても・・・だってあなたがいるもの」 部屋を出る執事。暗がりで目立たなかった汗を拭う。それは、言葉選びを間違えた焦り故のモノではない。あの子のすがるような笑顔が、吸い付くように目に焼きついて・・・それもいいかもしれないと思った自分自身が怖かったからで。 『首肯』の誘惑を踏みとどめたのは、自分は心を開いてはならないと言う意思と、ただ申し訳ないと宣う心。なんせ彼は、 「人間なんだよ・・・僕は」 この家に雇われ、機械のフリをして彼女と出会い、もう一年が過ぎた。人間不信の彼女が正体に気づけば、この一年で積み上げた不可思議な関係も瓦解し、彼女が執事を拒絶することは、容易に想像できる。 「・・・・・・」 落ち着かせるための癖としてか、擦るように手を嗅ぐ執事。鼻腔に響くは、土まじりの水玉の匂い。花についていた水滴ゆえだろう。 「旦那様も・・・・ひまわりとは考えたものだ」 花言葉は『憧れ』。彼女へのメッセージ。外への憧れを、希望を持って欲しいという、父からの愛・・・と言うのが彼女だけに伝わる言葉。 しかし、お嬢様に何を聞かれても答えられるよう、さまざま準備を整える彼だからこそ、理解している。 もう一つの意味は『優しい嘘』。きっと旦那様は、一年も付き合ってくれる執事に感謝を伝えたかったのだろう。 けれど執事は、自分がその意思を貫く理由が、彼女のためか、自分のためなのか、それが全く分からなくなっていた。
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