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遠見の家
やめたい、でもやめられない。そんな癖が誰にでも一つや二つはあるものだ。
「センセー、お疲れ様ぁ」
仕事を終えた若い医療事務と看護師が外来ブースから出ていくのに手を振り、いなくなるのを見届けてから、俺は一息ついた。午後五時。外来前に待つ患者はもう一人もいないが、目の前には片付けるべき書類の山がある。
一日中外来をしていると、頭が疲れて、なかなかすぐに書類仕事に取り掛かることができない。だからまぁ、俺は息抜き代わりにあれをついついやってしまうのだ。褒められたことではないと、わかってはいるのだけれど。
まずはあいつだ。あの香水お化けのクレーマー。太った図体にぴちぴちのヒョウ柄のTシャツを着て、予約時間に遅れてきた挙句、ほんの少し待っただけで受付と俺に食って掛かってきた。
あいつの住所は……なるほど、パチンコ屋街にある、あのおんぼろアパートか。どうせパチンコで身を持ち崩したんだろう。今はグーグルマップがあるから、住所さえわかれば、患者がどんな家に住んでいるのかなんて丸わかりだ。お、家の前にゴミが積みっぱなしじゃねぇか。偉そうに人に説教してたくせに。
そんな感じで、俺はまず一つ、溜飲を下げた。ムカつく患者、気になる患者の生活をグーグルマップを通じて垣間見る。理不尽な言いがかりをつけられても謝るしかない俺にとっての限られた娯楽であり、やめたくてもやめられない癖だ。
……で。本題は、こっちだ。
「胃が痛いんです」
と彼は突然言い出した。
鍵山隆司、四十三歳、男性。
今日が初診の患者だった。年齢より老けて見える外見の男。古びたグレーのスーツに、七三分けにした髪。髪は少し脂ぎっていて、ポマードをつけているようだった。体格は中肉中背。顔はなんというか、茫洋としていた。とらえどころのない薄い顔。大した大きさのない一重瞼の眼に、普通の大きさの鼻。さっき会ったところだというのに、「特徴がなかった」ということ以外、すでに俺も殆ど覚えていない。
「いつからですか?」
「一か月前からですね。このあたりがじくじくします」
と言いながら、鍵山は上腹部のあたりを指し示した。
胃カメラや超音波検査を勧めたが、鍵山は断った。「……あ、すみません。胃薬と痛み止めだけ欲しいんです」
検査しないと原因はわからない旨を伝えたが、
「……ああ、僕はいいんです。そーんなに、長生きする気はないんでね。あと少しだけ、のんびり過ごせたらいいんですよ。それが僕の目標です。はっはっは」
これが八十代の患者の口から出た言葉だったら、俺は何も思わなかっただろう。だが、四十代の患者が言うにはあんまり達観している気がして、妙に引っ掛かったのだ。
保険証に表示された住所を、グーグルマップに打ち込んでみる。
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