in water(イン ウォーター)

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「……ねぇ、人魚姫ってバカだと思うんだ」  青い瞳が、暗い情熱を(たた)えて私を見据える。 「オレだったら、わざわざ人間になろうなんて思わない。逆にオレが人魚姫だったら、魔女に頼むよ。王子様を人魚にする薬を作ってくれって」  うっとりを微笑む顔は、雨に濡れた花のように美しく、悲しげな影を落として訴える。 「だけど、人魚姫は幸せになれるよ。ずっとずっと愛する人を、自分の世界に閉じ込めることができるのだから。もう寂しい思いをしないように、自分なしでは生きていけないレベルにまで依存させて、永遠に近い長い時間を、海の底で二人っきりで過ごすんだ」  彼は夢をみるように語るのだ。  根底に流れる、孤独の痛みに気づかないで。  身勝手で独りよがりな願望を私に押し付ける。 「頼むから望んでよ。死にたくないって。この数百年、数多(あまた)の人間がオレに永遠を望んで、不老不死を渇望したんだよ。あなたがオレに望めば」    それが致死量の毒だと知っているから。  だから私は――。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  最近、食べることが休憩時間のうちに入らなくなって、自分の老いを感じた。  風呂に入る体力もなく、簡単にシャワーで済ませて、寝起きに体力をごっそり持っていかれる。  仕事の量と責任は年々増えて、けれども給料は上がることなく、今年はボーナスも出なかった。  電気ガス水道食費ネットの値段も上がり続けて、生活が苦しいというのに、上司はぼつりと零す。  給料が下がると、ちゃんと言葉に出来ないこの男は、申し訳なさそうな顔をしながら、かわいそうなものを見る目でわざわざ私を見るのだ。  うちの会社はダブルワークを禁止しており、支給されている給料に不満があるのなら、転職か生活保護の二択になる。  だがこのご時世で、今と同等かそれ以上の給料なんて望めない。生活保護は私よりも必要としている人間が受けるべきだと思うし、転職は年齢と足元を見られて、安く買いたたかれるのがオチだろう。 「厳しいことが続くけど、これからもよろしくね」  たぶん、上司の言葉が決定打だった。  私は会社にいくことが出来なくなった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ごほっ。と、空咳(からせき)が喉にわだかまった。  まるで冷たい砂が敷き詰められたかのように体が重たくて、起き上がるどころか、上体を起こすことも難しい。  症状が風邪に近いものの、うすうすと察するものがあった。  40代に入り、同年代の友達の訃報がポツポツ増えて、葬式に足を運んだ回数すら覚えていない。  次は私の番かな。  ホラー映画のように、強烈な苦痛にのたうちまわって死ぬよりは、まぁ上等な部類だろう。じわじわと海に沈むクジラのように、この身体は静かに朽ちていく。  死にたくないと願えるほどの未練なんて……。 「死なないで」  遮るような言葉によって、私の意識は浮き上がる。水面に顔を出す(こい)になった気分で、重たい瞼を開けると門倉翔真(かどくらしょうま)が心配そうに私をのぞき込んでいた。  視界に広がる堀の深い顔立ちに、銀色に近い長めの金髪と青い瞳を持つ青年――翔真くん曰く、これは隔世遺伝みたいなもので、自分は生粋の日本生まれの日本育ちらしい。  出会いはただ単純に、新宿駅の地下通路で迷っていたところを助けただけであり、そこから一方的に懐かれて気づけば五年が経過した。 「不法侵入」 「いいよ。あなたが通報しないのを知っているから」  あぁ、めんどくさい。  けど、悪くない。
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