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「今時の人間は『足るを知る』ことを知らねえ」
太平のオヤジはよくそう言って嘆いていた。
「今あるものは当然で、もっともっとと欲をかく。過ぎた欲が身を滅ぼすと分かっているはずなのにだ」
それは人間の背負う業なのかも知れない。この島にいると都会から隔絶されるからビール1缶でも貴重だと思うが、コンビニで見たら『当たり前』と思うだろう。
刑務所に入るまでは単なる不動産の営業職だったが、ここにきてからは何でも「経験を積んでおけ」とやらされた。
力仕事は言うに及ばず、塗装、防水、簡単な電気工事や大工仕事。磨きとか、清掃なんかも。
豪華クルーザーはひとつのホテルみたいなものだから、あらゆる要素が必要になる。初めてやることばかりで戸惑うことも多いが、まあこれも勉強だ。
「とにかく事故だけは気をつけろ」と、羽根田さんがよく注意する。落下とか、刃物とか、感電とかだ。
「ここは本土から遠い。多少のことなら藪先生が何とかしてくれるが、大きな怪我だと救急車を呼ぶってわけにもいかんからな。命に関わるぞ」……と。
普段は感じないが、改めて考えると『無理はできないな』と思わざるを得ない。
そうしてずっと俺の面倒を辛抱強く見てくれた羽根田さんだが、ある日いきなり「私は本土に帰るよ」と言い出した。
「どうしたんすか、急に!」
突然のことに驚いたが。
「最近、妻や子どもの夢を見るんだ。辛くて、1人布団で泣くんだよ。もう、心がもたない」
そう言って、両眼を赤く腫らしていた。
「家族がどうしても恋しくてね。いや、手紙や仕送りはしていた。私がいると世間体が悪いから別居しているんだが、妻や子どもも寂しいと言ってくれている」
新天地で新たな生活を始めたいのだそうだ。……そうだな。いつかはそんな日がきても悪くない。俺は笑顔で「お疲れ様っした」と送り出した。
ここではそうしてポツリポツリと、まるで古着の裾が擦り切れるみたいに古参たちが消えていく。
最初に俺を案内してくれた玖珠根のヤツもそうだ。「いつまでも待っているから」と約束したはずの彼女が他の男と結婚すると聞いて、酷いショックを受けたようだ。やがて仕事が手に付かなくなり、「新たな出会いを探したい」と本土へ去って行った。
何れも、太平のオヤジは何一つ文句を言うことなく送り出していた。
何もせず一日中ぶらぶらとしていたオッサンが、山の中で首を吊っているのが見つかったこともあった。本土から警察もきたが「元々鬱病の気があった」ということで自殺扱いになった。そういう『消える』もある。
その代わりと言っては何だが、新たな人材もやってくる。相変わらず、どいつもお天道様に顔向けできなくなって逃げ込んでくるヤツばかり。
だが。
何か妙だと思う。何か共通点がある。『根からの悪人とは言えないやつばかり』という……。何なんだ、これは。
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