安寧の鶏

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 俺はすぐに船に乗せられ、本土まで搬送されることになった。藪先生も同行してくれる。   「はぁ……はぁ……」  次第に息が荒くなってくる。酸素が上手く吸い込めていない気がする。  ……このまま死ぬのかな。  不思議と、そんなに怖いとは思わなかった。  まぁ、俺も『人殺し』だからな。ならば死んで当然の身かも知れない。  離島だから病院まで時間が掛かるというリスクが現実になっちまったが、これも運命だろう。 「港だぞ! しっかりしろ!」  船足が落ちると同時に救急隊員が船室に飛び込んできて、ストレッチャーで運ばれる。……救急車のベッドって、案外揺れるんだな。  何か、もう覚悟がついた気がする。これでお終いなんだなと自然に理解できる。 「バイタル、微弱です」  病院に着いたのか看護師らしい声が聞こえる。もう、目は見えなかった。 「臨終です。心臓の停止を確認」  若い医師の声が耳に届く。 「残念だな」  藪先生の声は意外に冷静だった。まるで他人事のような物言い……? 「『この被検体』は今までで最も安定した結果が出ていたから期待していたのに。心筋梗塞がでなければいいが」  被検体? 副作用? 一体何の話だ?  「ですか……」  若い医師がぼそりと呟く。 「ああ。私は太平さんの『人類が持続可能な発展を遂げるためには、欲に支配されない強い脳が必要なのだ』という理念に賛同して『この実験』に参加しているんだ」  ……強い脳? 実験って何だ? 「人間の感情や欲望を司る大脳は、理性を司る大脳新皮質より生理的に優位ですからね。だから人はときとして常軌を逸した強欲に取り憑かれてしまう、でしたっけ?」 「うむ。そこで薬を使って大脳の暴走を抑えるんだ。これが機能すれば、激情や強欲に支配されなくなる」  『薬』だと? 俺たち社員全員にか? いつの間にそんなものを?! ワクチンの類いにでも混ぜたのか? 「脳の働きをコントロールする……難しいですね。脳は未知の領域、何が起こるか分かりません」  若い医師が声を落とす。  そうか。急に心が折れたり、或いはやる気を失って自死する社員が出たりしていたのは! 「ああ、しかもこの薬は遅効性だから根からの悪党には試せない。薬効が出るまでに問題を起こされては困るからな」 「だからですか」 「そうだ。彼らによって、完成まであと一歩という処まできているんだ」  鶏だと? そうか、鳴き声ひとつ聞いたことがなかった『鶏の品種改良』ってのは俺たちのことかよ! 「しかしその薬が完成したとして、人類はその接種を素直に受け入れるでしょうか?」  若い医師の疑問に藪先生は「接種ではない」と低い声で答えた。 「薬扱いはハードルが高い。許認可やコンセンサスの問題とかな。食品扱いならまだマシだがそれでも厚労省がうるさい。そこでハードルの低いに混ぜるんだ。自然に、さりげなく少しずつ」  そうか、藪先生や太平のオヤジがをしていたのは……!  なるほど、離島暮らしは薬が周囲を汚染しないための隔離だったか。これが本当の『いっぱい食わされた』ってヤツかよ。ちくしょうめ!  だが……ダメだ、もう意識が消える。 「この薬が配合された飼料や肥料が世界に広がれば、人類はやがて真の平和と安寧を手に入れるだろう。それが私と太平さんの夢なんだよ」  藪先生の、それが最後に聞こえた強欲(セリフ)だった。 完
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