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物心付いた時から夢は見ているのだから私は沢山の人と触れあってきた。
ほぼ全て何のゆかりもない他人だ。
長年夢を見続けて来て分かってきた事だが、基本的には本当にランダムで年齢や地域は関係なし。夜も昼も選べる訳がない。
幼かった頃の私はよく朝起きて両親に夢物語を夢中になって話したものだ。
両親はいつも聞いてくれたが、勿論幼児のただの夢物語だと思っていただろう。
年齢があがるにつれ、自分と他人がみる夢に違いがあると何となく分かり、でも違うという事を受け入れたくなくて戸惑った。
そして更に年を重ねて前述した通り、私の夢は現実とリンクしている事に気が付く。
激しく動揺したし、恐れて背けていた事が真実であるというショックにまず襲われた。
そして一時期精神科にも通ったが効果はない。
そして私はその特別を受け入れるしかなかった。
朝、人よりちょっと疲れている。そう思えばいい。
私は年齢的に行動力があがるにつれ、夢の住人をたまに訪ねる事がある。
でも初めのうちは隠れてひっそり確認していたものが、最近ではその住人の前に姿を現してみるのである。
初めてそれを実行した時かなり怖かった。
相手が私を認識したらどうしようって。
でもそれは無用な心配だった。
夢の中の住人と現実の住人は、私の中では同一人物だけれど、相手は私を全く認識しない。かなり安堵した。
もしかしたら?ともしかしたら相手も思っているのかも知れない可能性もあるが、それを証明する事は出来ないし、「あ、夢で会いましたよね?」なんて言える訳がない。
通常の人は一晩見た位の夢なんて忘れてしまうものだ。
実際友人達にリサーチした時も夢を見たけど覚えていない、というのが多かった。
例え夢を見たとしても知人だったりするらしい。
予知夢、白昼夢、夢遊病とも違う。
私は私だけが覚えている人の夢に干渉する人間なのだと。
初めはそれでいいと思った。
こんな訳の分からない出逢い、繋がり、失態や恋慕等、覚えていられても嫌だったし。
万が一、私を害そうとした人が私を覚えていたらそれはかなり嫌だ。
その一定の規則の元、私は毎日夢を見るのだけど、勿論恐怖を感じた時は冷や汗と共に目が覚める。夢で良かったと思う。
そしてその人が私の夢に現れる事はない。
ただ勿論逆もある。
殆どが1日、2日夢の中で連続して遊んだり話をしたりする事もある。
そういう場合は私が楽しいと思っている夢の場合だ。
幼かった頃、少し年上の男の子とリアルでは出来もやった事もない釣りを一緒にやったり、小石で水切りを教えて貰ったりして純粋に楽しかった。
施設で会った老婦人は常に笑顔を絶やさず私との手遊びを楽しんでくれた。
私が学校での話をすると凄く喜んでくれた。
母親位の年齢の女性が夏祭りで浴衣を着付けてくれてその地域の盆踊りを教えてくれたりして嬉しかった。
時には私よりずっと年下の女の子が遊んで!というので妹のいる私はその子を喜ばせようと色んな遊びを教えた。彼女の小さな小さな手の温もりは未だに覚えている。
夢の中の私は常にその年齢のままの私だ。
だから幼い時はおじさんやおばさん、おじいさんやおばあさん、同じくらいの年の子と無邪気に遊んだり、親戚のおじさんおばさん見たいに優しくもされた。
ただ、小学生の高学年位になると大人の男の人にたまに恐ろしい人が出る様になった。
中学生に上がると、その割合は格段に増えた。おじさんだけでなく、若い年上のお兄さんみたいな人も違った見方で私を見る様になった。
けれどそういう時は起きればいい。
私は知っている。
でもそのお陰で少し男性恐怖症になり、同級生以上の年齢の男の人が苦手になった。
小さかった頃は「また遊ぼうねー!」とバイバイすると次の夜の夢の中でもまたその子に会えて普通に遊んだ。
年齢が上がるにつれ私にも人を好きになるという自然の摂理の感情が芽生える様になった。それは幼かったそれとは違い、恋愛対象だ。
夢の中で散々な目にあっていた私は夢の中の人は絶対に好きにはなるまいと決めていた。
どうせ会えないし、会った所で相手は私を覚えていない。無駄だからだ。
中学生では一つ上の先輩に恋をした。
友人とも恋話は尽きない。
何だったら逆に好きな先輩や芸能人に会える夢になったらいいのに!と何度思った事か、、
まぁそんな都合のいい事は起こらない。
次第に私は自分の夢と現実の違いをコントロール出来る様になってきた。
それは都合のいいコントロールではなく、あ、これは夢の中なんだな、と意識して行動出来るという些細な物だった。
でもこれは非常に重要な事で、夢の中で割りきる事によって、私は翌日の朝の疲労感をだいぶ減らせる様になって来たのだ。
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