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第6話 健康な身体
その夜は、いつの間にか眠っていた。というのが正直のところ。
リビングで先生の視線を感じながら、昔話や、僕の会社の話をしてる間にうとうとして眠ってしまった。朝、気が付くと自分にあてがわれた客室のベッドだった。
――――これで、先生といると眠れるってことが揺るがない事実となった。
ふう、と大きな息を吐く。でも、やっぱり眠れるって素晴らしい。頭だけでなく、体も軽い。軽い……で思う。どうやってこのベッドに来たか。
色々思うところはあったが、僕はとにかく出勤した。メトロで満員電車に遭遇したくない(赤坂から会社は自転車では遠すぎるので、今は駅まで自転車それから電車通勤している)。
ありがたいことに先生はまだ寝ているようだったので、こそこそとマンションを出た。
人の少ないフロアは好きだ。同じような趣向の同僚、もしくは仕事を溜め尽くしている気の毒な奴、少数だけが黙々とモニターに向かって作業をしている。
珈琲の香りがどこからか漂ってくるのも心地よい。かく言う僕も、デスクの右端に地下の店で購入したカップコーヒーを置いている。
実は、配属されてから珈琲なんて買ったのは初めてだ。ただでさえ眠れないのに、カフェイン投入するような暴挙に及ぶことはなかった。
「え? それ、どういうこと?」
すると、目ざとい隣人の声が頭の上から降って来た。いつも通りの時間に出勤してきた同期だ。
「おはよう。どういうことって?」
なにが言いたいのかわかってて、僕はとぼけてあいつの顔をみた。すると、あいつはぎょっとして後ずさった。
「おまえ、またあの医者と会ったんか、昨日は日曜日だぞ? クリニック開いてないやろ?」
おまえは僕のストーカーですか? 僕は呆れながら珈琲を口にする。
「眠れるようになった。それだけだよ」
これ以上三笠に妄想されるのも面倒だ。なんか、その妄想に引っ張られそうなのも怖いし。なので、僕はあいつに嘘を吐くことにした。
ちょっとばかり後ろめたさもあるが、正直に言えば、今まで打ち明け過ぎた。これもまた、睡眠による僕の脳回路の動きが良くなったおかげだろう。判断がはかどる。当然仕事も。
「嘘つけ……なんやねん」
三笠は僕の態度になにかを感じ取ったのか、それとも懸命に仕事をする僕に感動したのか(するわけないが)、その後はこのことに触れることなく、二人とも画面に集中した。
それから、僕は毎日きちんと睡眠をとり、どんどん元気になっていった。先生の言う、心身ともに健康な体が戻ってくる感覚。
それとともに、僕の先生への気持ちも少しずつ変化していった。
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