293人が本棚に入れています
本棚に追加
第21話 残念な気持ち
「あれ、お好み焼きせんべえやん。綾瀬、大阪行ってきたん?」
大阪には行ってないが、なんで大阪土産を見ただけで関西弁が強くなるのか。
「いや、行ったのは実家。大阪から叔父が来てさ、で、お土産もらってきた」
「ふうん。まあいいや。へえ、帰省したんや」
僕の机からせんべいを取り、早速食べてる。まあ、三笠の分でもあるのでいいんだけど。
「ああ。ずっと帰ってなかったからな。近いと意外に帰れない」
三笠は東京在住だから、帰省という概念は僕以上にないだろう。
「俺は残金乏しくなったら帰ってるけどな。洗濯物持って」
「迷惑な奴だな」
いい年して、洗濯くらい自分でやれ。嫌なら実家に戻ればいいのだが、絶対嫌だと言う。どうやら三笠のご両親は溺愛派のよう。
「新入社員だし、経済的には辛いよ。デートもしたいし」
そうなんだ。こう見えて(どう見えるかは置いといて)、三笠は彼女持ちだ。大学時代から付き合ってる彼女は、霞が関にいる。
「けど、もうこれではっきりしたな」
「え? なにが」
バリバリと音をさせながら喋ってる。色々器用な奴だ。
「綾瀬の睡眠とあの変態医者は関係ないってことだよ。実家でぐっすり眠れたんだろ? やっぱり気持ちの問題だったんだな」
青のりのついた唇と指をウェットティッシュで拭う。あいつはご満悦な感じだが、僕の方は胃のあたりがぐっと重くなった。
「なら……いいんだけど……」
「え? なんだよ。向こうで眠れたんやろ。今朝は目元がパッチリしてるぞ?」
昨日、先生が部屋に寄っていけというのを強硬に断って、僕はアパートの最寄りの駅で降ろしてもらった。車の中でまたまた熟睡した僕は、現状、水を吸った高野豆腐状態。
もっとも昨夜はほぼ一睡も出来なかったから、午後からは枯れてくるかもしれない。
「先生も同行したんだよ。帰省」
「へ? なに……それ?」
二枚目の袋に掛けた手が止まる。
「だから、天宮先生も一緒だったんだよ」
「な……まさか、一緒の部屋で寝たとか」
こいつがなにを想像(妄想)してるのが手に取るようにわかる。けど、否定するのも面倒だ。今、難しいとこやってるのに。
「色々タイミングが悪くてね。ま、僕の部屋広いから……」
「な、なんだとー! なんてことをっ!」
「三笠、なにを騒いでるんだ! 綾瀬の邪魔すんなっ」
思わず声を上げた三笠に、窓際に座ってる上司が窘めた。今日も出勤してる社員は半数くらい。だが、室長以上の上司は大体出社してるんだ。そこで室内とリモートの両方を管理(監視)している。
「すみません」
立ち上がって叫んでたら、そりゃ怒られるよ。三笠はすごすごと席に戻った。
「なんにもされなかったか? 何事もなかったんか?」
しかし、座ってからも三笠は声を顰めて話し続ける。
「ないよ。一晩ぐっすり眠れた以外は何事も」
「そうかあ……本当に何もなかったんかなあ」
二枚目をぼそぼそ食べながら、三笠はモニターに顔を向ける。なにもなかったんかなあ、ってどういうことだよ。なにもなかったに決まってる。はず……。
あの夜は、例の声も聞こえたなかったし、夢も覚えてないくらい深い眠りに落ちたんだ。だけど、触られたりしたらさすがに気付く。第一、先生は断言してた。僕の問いに即答したんだ。
『それ以上でも以下でもない』
僕のことは患者以外のなんでもないって。
あれ? なんでだろう。僕は今、残念な気持ちになってる。いやいや、そんなはずはない。三笠が変なこと言うから、意識してんのか?
見開いた両目はモニターを見ている。けど、目の前の数字は脳内へ投影されない。ストライプのシャツを着た天宮先生が、ずっと僕に意味ありげな笑みを投げかけていた。
最初のコメントを投稿しよう!