第4話 寝物語

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第4話 寝物語

 強烈な返しに会い、皿を食洗器に落としてしまった。割れるまでには至らないが、カチリと音が。 「あ……」 「大丈夫? 手、切ったりしてない?」  先生がさっと手を伸ばしてきた。 「だ、大丈夫です。皿も割れてません」  僕の手首を取ろうとする大きな手。僕は慌てて引っ込めてかろうじてそれを躱した。頬が熱くなったのを感じ、さらに焦ってしまった。 「あれ? 誤解しないでね。妄想はあくまで、光の不眠症を治癒させる道のりだよ? ふふ、その様子だと、君の同期は困った妄想をしてるようだね」 「え……ああ、はい。そうなんですよ」  誤解してましたよ。がっつり。  なんかもう、全然関係ないけど三笠を殴りたくなってしまった。いや、殴りたいのは、先生の切り返しにまんまと引っ掛かった僕だ。 「でも、あいつの言うことも無視できなくて」 「どうして?」 「先生が『催眠術で催眠療法とかしてんやないか』って言ったのも同期なんです。僕が寝てる間によからぬことをしてるんじゃないかと心配してました」 「ほお」 「だから、あいつは先生のこと変態医者って呼んでます」 「なるほどね」  ちらりと先生の顔を覗き見る。先生はまた、顎に手をやり、すりすりと動かしている。先生もまた、良からぬことを考えていそうで怖い。 「それで、光は私に聞いたわけか。『催眠術をかけてるんじゃないか』って」  帰省の時、思い切って聞いたことだ。けんもほろろに否定されたけど。 「光はその同期を信用してるんだな。不眠症のことも話してるんだ」 「ああ、それはまあ。不眠症は産業医にも相談してるので、別に隠してるわけじゃないんです。上司からは何も言われてません。就業中居眠りしてないし、仕事はそれなりにアウトプット出来てるから」  就業中や昼休みに居眠りできるならしてる(は言い過ぎだけど)。眠気なんか全然やってこないのが現状なんだ。  けど、当然頭痛もするし苦しい。そのなかで考えながら仕事するのはマジで修行だ。  ――――だからこそ、先生に会って眠れた翌日は、仕事もはかどるし、楽しさまで感じる。より一層、先生に会いたいと思うんだよ。  これがマインドコントロールなら、もうそれでいい。そんな投げやりな気分にもなるってもんだ。 「なんとなく、会ってみたいね。その同期の子。彼は関西の人なの? 光の口真似だと、なんか亮市さんを思い起こさせるね」  後片付けを終え、僕らはリビングのソファーで寛いでいた。テレビは付けず、灯りを落として窓に広がる夜景を臨む。なんか贅沢な瞬間だなあ。 「亮市叔父さんに? どうだろう。顔は似てないですよ。叔父さんの方が数倍イケメン」  これは客観的に見て異論はないはずだ。ま、若さだけはあるな。けど、確かに言われてみると、あのエセ関西弁は亮市叔父の何となく関西弁風と通じるような。  母方の実家は遠方でなかなか帰省できなかった。亮市叔父さんにも何度も会えたわけじゃないけれど、話しやすい人だった。  特に僕が高校生になった頃は、進路や部活の相談もした。気安く話せるのは三笠も叔父さんも、あの調子のいいイントネーションのせいだろうか。 「そういえば……先生のご両親ってどこにいらっしゃるんですか? ご実家は」  一人暮らしの部屋に、家族写真があるわけもない。でも少し気になって部屋を見渡した。もちろん、家族を表すものは何もなかった。 「あー、うん。私の家族ね」  天宮先生は、少し間を置いた。それから、一つ小さく息をつく。 「私は伯父夫婦に育てられたんだ。子供のできない人で……」 「え……ああ、そうなんですか。あの、先生……」  無理に話してくれなくても……僕はそう言いかけた。聞きたいとは思ったけれど、話したくないことなら……と。 「いや、いいんだ。気を使わなくても。ま、寝物語と思って聞いてよ」  ね、寝物語……。どう取っていいかわからなかったけど、僕はとりあえず頷いた。
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