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第2話 クリニックペガサス
受付でアンケートを記入し、待合室に案内されて僕はまた驚いた。徹底的にプライバシーを守るためか、待合室も個室になっている。
予約制だから三室しかなかったけど、なかは三人がけのソファーと小さなテーブル、雑誌が置かれていた。壁には趣味の良い風景画(多分レプリカ)が飾られている。
内装はネーミングからもっとキラキラヒラヒラしてるかと思ったが、意外にあっさりしていてセンスは悪くなかった。
「お待たせしました。綾瀬さん、診察室にお入りください」
スピーカーから聞こえた声は、低音の柔らかい男性の声。僕はあわてて返事をして個室を出た。すぐ前にある扉をおずおずと開ける。甘い香りが鼻孔をくすぐる。なにか花、バラ? のアロマだろうか。
「初めまして。医師の天宮翔(あまみやかける)です。どうぞ、そこにかけてください」
――――あれ、え?
僕は慌てて瞼をパチパチさせた。寝不足が祟ってか、幻でも見たのか。扉を開けたその先に、白いペガサスの横に佇む、王子様みたいな人物が見えてしまった。
「どうしましたか?」
落ち着いたピアノ音楽が、静かな音量で流れている。さすが心療内科のクリニック。重ねて尋ねられ、ようやく我に返った。
白い馬に見えたものは、置台の上、白い花瓶に活けられた花々、薔薇やユリだった。その横に佇む天宮医師が、穏やかな笑みを作り僕を見ていた。
「よろしくお願いします」
王子様は言い過ぎだが、天宮先生は端正な顔立ちをした高身長の男性だった。スタイルがよくて、ちょっとモデルみたい。ストライブのシャツに青いネクタイ。白衣は着ていなかった。
清潔に整えられた黒髪と縁なし眼鏡がインテリジェンスな感じ。年齢不詳だなあ。若くも見えるし、落ち着いてて三十代後半にも思える。緊張してたのもあるけれど、僕は無駄にドキドキしてしまった。
若草色のソファーに浅く腰掛ける。診察室といいながら、ソファーにテーブル。天宮先生の背後には大きなデスクとPC、モニターが置かれていたが、今はそれの必要はないよう。先生はモバイルを持ち、僕の前に座った。
「クリニックペガサスとういのは、先生のお名前からだったんですね」
「え? ああ、そうそう。ふざけてるでしょ? まあ、スポンサーのご意向だから嫌と言えなくてねえ。けど、変わった名前だからか、ふわふわしてるからか、目に留まるみたいで悪くないんだよ」
「なるほど……」
見た目以上にフレンドリーな先生だ。スポンサーというのは、どういう関係の人だろう。別に両親かもしれないけど……こんな見た目の先生だと、良からぬ関係を想像してしまう。
「さて、早速だけど……紹介状は拝見しました。眠れないんだって?」
おっと、僕はここに何しに来たんだ。藁をもすがる思いでドアを叩いたんだ。ちゃんと話をしなければ。
「はい。最初は平日の夜だけだったんですけど、ここひと月は……厳密に言うと、今の部署に配属されてから休みの日も眠れなくて」
「それは辛いね。睡眠薬は?」
「飲んだり飲まなかったり。平日は会社で眠くなるのが怖くて飲めなくて……。でも、休日飲んでも眠くならないんです」
市販の睡眠薬だからだろうか。考えてみれば、もっと早く医者に行くべきだったかも。僕は先生に説明しながら考えてしまった。
――――なんでだろう。なぜか、そうしなかった。
「腕を。話しながら、脈を診ますので」
「あ、はい」
先生が手を出す。思いの外大きな手だ。いや、体が大きいんだから当たり前か。けど、僕はすぐに自分の左手を出せなかった。少しの間、僕と先生の間に微妙な沈黙の時が流れてしまった。
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