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第5話 どうして。
僕は3歳になる頃から、姉と一緒に寝るようになった。両親よりも姉と寝たがったのだ。姉はもう小学生だったけれど、嫌がらず自分の部屋に入れてくれた。
『寝ては駄目。起きていて』
それはどんなシチュエーションで言われたのだろう。けど、あれはきっと美花の声だ。それでもそれがいつ言われたのか、さっぱり覚えていなかった。
「あの日、なにがあったのでしょうか。ご両親は光君に美花さんを忘れるように暗示をかけましたね。その理由が、あの夜にあったのだと私は考えています」
母の思い出話と僕の涙がようやく収まったころ、いよいよ先生が核心をついた。今日の訪問のハイライトだ。僕は隣で、心臓が波打つのを抑えられない。母はまた一つ息を吐き、ゆっくりと頷いた。
「あの日は、なにも特別な日ではありませんでした。いつもと同じように一日が過ぎ、いつもと同じように、私たちは床につきました」
当時、母の実家から歩いて10分くらい(俗にいう味噌汁の冷めない距離)に、僕たちは暮らしていた。
僕は全く知らなかったが、父はその頃高校教師をしていたらしい。大学で出会った母の郷里での仕事を選んだ父。意外にロマンティストだったのかもしれないな。
そこは今住んでるところに比べれば、ずっと田舎だったけど、それでもぽつんとした一軒家に住んでいたわけではない。住宅街と呼ばれる場所に両親は居を構え、平穏な毎日を送っていた。
けれど、悲劇は何食わぬ顔をしてやってくる。僕らのところにも、突然それはやってきた。
「なにか音がしたんです。美花と光は二階に。私たちは一階の寝室にいました。まさか、二階の窓から侵入するなんて……」
母親は物音に驚き、親父を起こして二階に向かう。親父は『光がおねしょでもしたんだろ』なんてのんきなことを言っていたらしい。そしてそれを、一生かけて悔やむことになった。
「私たちが階段を昇る音に驚いたのでしょうね。名前も呼びましたし、今度ははっきりと窓から誰かが逃げ出す大きな音がしました。心臓が飛び上がるくらい驚いて……私たちは階段を駆け上がりました」
そこには、既に息絶えた姉と、熟睡していた僕がいた。泥棒は窓から逃げたようで、部屋にはもういなかった。
「どうして……」
僕は自分でも思いがけず声を出す。収まった涙がまた流れる。先生が僕の肩を抱くのを感じたけど、それでも涙は止まらなかった。
「どうして、僕は寝てたんだろう。起きて、大声で叫べば……」
「光はなにも悪くないの。本当に、生きててくれて……それだけで……」
母の声が涙で掠れてる。僕の濡れた指の下で、美花は向日葵のような笑みをカメラに向けている。
どうして、どうして……僕は寝てたんだろう。なにも出来なくても、姉を助けたかった。どうにかして、命を守ってやりたかった……。
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