第7話 末っ子

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第7話 末っ子

 20年経った今も、姉を殺した犯人は捕まっていない。頻繁に起こっていた空き巣、居抜き事件も、あの日を境にぴたりと止んでしまったという。  ――――僕がなにか見ていたら。なにか聞いていたら。迷宮入りになんかならなかったかも。  僕は先生の手のなかの自分の手をぎゅっと握った。 「3歳児がなにか覚えていても、大した役には立たなかったと思うよ」  僕が考えたことがわかるのか、先生は耳元で囁いた。  今日は日帰りのつもりだったので、僕らは早々に退去した。 「このお仏壇は、実は美花のものなんだ」  帰り支度をしていたとき、親父が帰ってきた。天宮先生に僕の病状なんかを聞き、深く首を垂れた。そしてようやく、仏壇の真実を教えてくれた。  祖父が亡くなり、実家の仏壇を引き取ることになったとき、親父の姉、つまり僕の伯母さんが気を利かせてくれた。  両親がずっと表向きは実の娘を悼めなかったことに気の毒に思っていたんだ。 『父さんたちの仏さんは私が面倒見るから、あんたは美花ちゃんのための仏壇を用意しなさい。光くんにも、いつか本当のことを言う時があるだろうから』  両親は心底有難く思い、その言葉通りにした。  キッチンの食器棚から母が美花の写真を持ってきて、定位置であろう場所に飾った。アルバムにあった、向日葵のように笑う写真だ。僕がいないときのデフォルトだっていうから酷いよ。  僕はこの20年の想いを込めて、仏壇に手を合わせる。知らなかったなんて言えないけど、ごめん。本当に忘れていたんだ。ごめん……みーちゃん。 「もう落ち着いたか?」  帰りの車の中、先生が僕に問う。泣きつかれて眠気が目の周りに集合してる。まるで子供みたいだ。  いや、なんだか今日は一日、僕はずっと3歳の頃に戻ったような気分だった。 「どうして、こんなにも暗示が利いてたんだろうね。いや、もう暗示とかじゃなくて、本当に記憶から削除されてたのか」 「まあ、3歳児の記憶だからね。生まれて初めての記憶が植えられる頃のことだ。忘れていてもなんの不思議でもないよ」 「そうだ……よね」  これで、僕が不眠症に陥った原因が判明した。幼児の頃に発症したPTSDが、ストレスのかかるときを狙うようにして再発したんだ。  3歳の頃は、『寝ないで』という声が美花のものだとわかっていたけど、今の僕は誰の声すらもわからなかった。  ――――なんて不義理な弟だって思ってたかもな。 「あの……くっついていい?」  運転中というのに、僕は大胆なことを言ってしまう。天宮先生に触れたい。優しさに触れたいと願ってしまった。 「もちろん」  食い気味ではなく、一呼吸を置いてから先生は言ってくれた。僕はゆっくりと先生のほうに体を倒し、膝の上に横たえた。  少し狭いけれど、密着度が強くて嬉しいくらいだ。先生の少し甘いオーデコロンが心地よく鼻孔をくすぐっている。 「甘えん坊だなあ」 「末っ子だもん。一人っ子じゃなくて……」  先生の長い脚が見える。ふっと柔らかい息が吐かれ、先生の左手が僕の髪を優しく撫ぜた。
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