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第12話 旅の宿
途中事故渋滞があり、予定した以上に時間がかかった。日の短い時期だ。僕らが目当ての場所に入る頃には、辺りはすっかり夜の帳が降りていた。
目当ての場所。それは僕が生まれた家のあった場所だ。けど、既に20年前の話でしかも夜とあっては探しようもない。それは明日にしてまずは予約した宿に入ることにした。
「さすがに見た覚えとかないか」
「さすがにないよ。しかも暗いし……母さんにそのころ撮った写真、もらってきたけど」
母さんたちが僕には見せなかった写真だ。美花が写っているのもあるし、一人だけのもある。家の前や、公園、河川敷と思しきものもある。
僕が草原と思っていたのは、この河川敷じゃないかなと予想している。きっと思ってるよりずっと狭いんだろうな。
「明日の楽しみができたな」
先生が言う。
「そうだね、うん」
焦るつもりはなかったけど、そんなふうに言ってくれる先生が好きだ。そうだよね。僕の過去を探す旅は始まったばかりだ。
それにこの旅は今回限りってわけじゃない。遠いけど、また来るチャンスはあるはずだ。訪れたいと思えば。
この旅行には目的があるけれど、そうはいっても二人きりの初めての旅だ。宿はそれなりの温泉旅館を予約した。一日目は特に豪華な露天風呂付の部屋だ。
「おお、なかなかいいな」
贅沢な旅ばかりしているであろう先生もご満悦だ。家族旅行ではもっぱらホテル利用ばかりだったから、僕はこんな純和風旅館、初めてだ。大学生のときも、友達と旅行に行くことすら滅多になかったからな……。
――――僕が人との接触が苦手だったのも、なにか理由があるんだろうか。まさか、美花の事件のこととは関係ないよな?
心当たりがあるわけでもなく、いつの間にかそうなっていた。ただ、今はその苦手意識も克服されつつある。まあ、ただ一人に限ってだけど。
「どうした? 風呂入ろうぜ」
「あ、うん」
え? もしかして一緒に入るってことかな……。まあ、普通に男同士で露天風呂入るのは、多分全く問題ないことだと思う。先生のマンションで一緒に入ったことなんかもちろんないけど。
――――でも僕らは恋人同士だし(少なくとも自分ではそのつもり)、一緒に入るのって少し緊張する。どんなテンションで入ればいいんだ?
僕は返事をしながらも、ぐずぐずしてる。先生はさっさと裸になって、どこかのプロサッカー選手みたいなバキバキの体を晒してる。思わず見とれちゃうけど、あからさまに凝視するのもどうかと思うよね? いやあ、でも釘付け。
「こら、穴が空くよ。見てないで光もおいで。日頃の汗を流そう」
とか言われてしまった。なにも構えることないか。せっかく温泉宿に来たんだ。ゆったり湯に浸かろう。
先生の後を追うようにして、風呂に向かう。庭に面した板敷きのバルコニーに、楕円形の檜風呂が豊富なお湯を揺蕩たせている。足からそろそろと入り、肩まで浸かると思わず声が出てしまう。
「ふうーーっ」
「はは、おっさんだな」
「おっさんだよ。先生よりは随分若いけどね」
既に肩まで浸かって気持ちよさそうな先生のそばに寄る。二人肩を並べて夜空を見ると、樹々の間から月が顔を覗かしていた。
「いい月だな」
言いながら、先生が僕の視界からその月を取り上げてしまった。
「月、見えないよ」
「大丈夫、なくならないから……」
言葉が終わる前に、先生は僕の唇を塞ぐ。温まった体がさらに熱くなる。蕩けるようなキスを交わした。
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