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18.うちへ帰ろう
「母さん、凪にコーヒーよろしく」
煌星は階段を駆け下りながらリビングに向かって叫ぶとそのままバスルームへ直行した。
「あらあら……やっと外に出る気になったのね」
煌星の母親に促されてソファに腰掛ける。彼女はコーヒーとお菓子を用意してくれた。「あの子ったら昔から凪くんの言う事なら聞くんだから」と彼女も向かいのソファに座る。
「ごめんなさいね。凪くんもう体は大丈夫なの? 煌星のせいであなたも療養してたんですってね。本当に申し訳ないわ。美和さんにも電話でお話しは聞いてるんだけど」
美和というのは俺の母親のことだ。昔隣同士で住んでいたときから母親同士交流がある。詳細は伏せつつ、今回の件は洋一郎伝いに母にも連絡がいっていた。
「はい。この通りもうなんともありませんのでご心配なく」
「良かった。凪くんにしつこくしたら嫌われるわよって子どもの頃から言ってるのに、あの子ったらもう」
「いえ、大丈夫ですよ」
「ありがとう。私ね、昔を思い出しちゃったわ」
「昔ですか?」
「ええ。あの子、小学校四年生くらいから段々お友達とうまくいかなくなって……あとからDomのグレアのせいだったってわかったんだけど」
「そうだったんですか」
彼女は頷いた。
「喧嘩すると、周りのお友達が具合悪くなっちゃってね。先生に呼び出されたりして大変だったわ。原因がわからなかったから、田舎で過ごせば良いんじゃないかってお父さんだけこっちに残ってもらって引っ越ししたの」
――そういう事情があったのか。
「煌星はこっちの小学校にいるときはお友達に対しても結構高圧的だったんだけど、凪くんと会ってからすっかり穏やかになっちゃって」
「そうなんですか?」
高圧的だなんて、今の煌星からは想像できなかった。
「そうなのよ。今でこそ周りに優しくできるようになったけど、それも凪くんのおかげなのよね」
「いえ、俺は何も……」
「よっぽど気が合うお友達なんだって当時は思ってたわ。だけど凪くん実はSubで、きっとDomの煌星にとってはお守りみたいな存在だったのよね」
「俺が煌星のお守り……?」
「ええ。あの子にとって精神安定剤なんだと思うわ。赤ちゃんの安心毛布みたいにね」
俺は思わず吹き出してしまった。
――安心毛布……俺が……。
「あの子、外面がいいじゃない? 結構無理してるんだと思うの。元々は茜音みたいに気が強いところもあるし」
「気が強い?」
「そうよ。凪くんと会う前はお姉ちゃんとよく喧嘩してたんだから。だけど、凪くんと仲良くなってからすっかり姉弟喧嘩も減ってね」
「へぇ、信じられないな」
「でしょう? 本当に感謝してるわ。凪くんがいないとあの子、グレアをコントロールできなくてきっとトラブル続きな人生だったと思うの」
俺でも煌星の役に立ててたってことなのかな。
「こんなこと私が言うのは重荷になっちゃうかしらね。でも、母親の私でもどうすることもできなくて――凪くん、これからも煌星と仲良くしてくれるかしら?」
「はい、もちろんです。俺も煌星にいつも助けられてますから。あいつが料理とかしてくれるんで会社に通えてるってくらいで」
「ふふ、そうなのね。あの子家事もできるし、稼ぎもあるから凪くんいくらでも頼ってあげて。あなたの世話をやくのがあの子の生きがいなのよ」
するとその時風呂上がりの煌星がリビングに顔を出した。
「母さん、余計なこと言わないでよ」
「あら聞こえてた? でも本当のことじゃない」
「それはそうだけど――! 本人の前で恥ずかしいだろ」
「はいはい、ごめんなさいね」
「凪、今のは聞かなかったことにして」
煌星の顔を見て俺は立ち上がる。
「煌星ここ、剃り残し」
「えっ! どこ?」
「ったく、まだ寝ぼけてるんじゃないのか? ほら、剃ってやるから行くぞ」
母親に笑われながら煌星と二人でバスルームへ移動する。カミソリで顎の剃り残しを処理して、タオルで拭いてやった。以前のようなキラキライケメンに戻った煌星の背中を叩く。
「これでよし」
「ありがとう。でも、凪がかっこ悪い僕の方が好きならこれからは髭伸ばして髪ボサボサにしようか?」
「ばーか。お前はこっちのほうが似合ってるよ」
「そう? かっこいいって思ってくれる? 凪、僕の顔好き?」
「うるせえ」
俺は近寄ってきた煌星の鼻をつまんだ。そのときキッチンから声が掛かる。
「あなたたち、今夜はうちでご飯食べるわよね?」
俺は一瞬迷ったけど、その申し出を断ることにした。
「いいえ、すみません。今夜は行くところがあるので遠慮しておきます」
「あらそう? 残念。今度二人でご飯食べにいらっしゃいね」
「はい。そろそろお暇します、お邪魔しました」
「母さん心配掛けてごめん。またすぐ来るね」
「もう喧嘩しないのよ」
笑顔で母親に見送られ駅に向かう途中、煌星が尋ねる。
「凪、行くところって?」
「食いたいものがあるんだよ」
「食べたいものってなに? どこの駅? うちの近所?」
俺はそれを聞いてため息をついた。
「そんなの、お前の手料理に決まってるだろうが」
「えっ! な、凪……本当?」
「なんだよ。文句あんのか?」
「無い。まったく無いです! 帰りに一緒にスーパー寄ろうね。好きなもの何でも作るね」
「ああ」
はしゃいだ様子の煌星を見て俺は苦笑しつつ、悪戯心がうずいた。
「煌星、耳貸せよ」
「え、なに?」
長身の幼馴染がかがんで俺の口に耳を寄せる。その耳たぶを引っ張って小声で言う。
「飯のあとで、甘い物飲みたい」
「――っ! そ、それって……」
「炭酸とかじゃなくて、甘くてあったかいやつ」
俺は真っ赤になった煌星を置いて先に改札を通った。
「待って凪……え、え、いいの? 本当にいいの?」
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