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空気に溶けるようにして残された言葉もまた、消えていく。手に触れられない体はどんどんその色を薄くしていき、最後にその場に溶け込むように消えた。弧之善様、と、彼の名を呼んだ光月の声もまた、空気に溶けた。
「弧之善様……!!」
消えゆく影を追いかけて、光月が上体を起こす。しかし指先に何も捕らえることも出来ず、光月ははらはらと涙を流した。いつの間に姿を現したのか、ミズサワだった沢口が人の姿で、水路の脇に立っていた。
「光月ちゃん……」
自分を呼んだ声に振り向き、光月はまなじりをきつく釣り上げた。
「沢口さんの所為で、弧之善様が居なくなっちゃったのよ!」
わああ、と泣き崩れる光月の傍に沢口が片膝をつき、ごめん、と謝罪する。
「……本当に君は、満希じゃないんだね……。以前は感じなかった、満希とは違う魂の光を感じる。君が弧之善に恋をして、満希との違いがはっきり出たのかな……。弧之善のことは、悪かったと思っている。彼のことは、僕に任せてくれないか」
沢口はそう言うと、水に濡れてぐしゃぐしゃになった、揚げシューのリーフレットに手を伸ばした。するとそこに書かれていた『月のけわい』という流麗な文字がインクの赤の色に輝きながら浮かび上がった。
「弧之善は自分の力を名づけに使ってしまったんだね」
沢口が文字を見つめながら、その文字に手をかざす。文字と手の間に光の球が生まれ、それがどんどん大きさと光量を増していった。そして、せいっ! という沢口の掛け声とともに、光の球が文字に押し込まれ、吸収されていき、浮かび上がった文字が消えていくのに反して、その赤の光は弧之善の形を取っていった。やがて景色の中にふわりと浮き上がった弧之善が姿を現し、閉じていた瞼がゆうるりと持ち上がる。ぱちぱち、と瞬けば、消える前の弧之善だった。
「弧之善様!」
光月は喜びの余り、弧之善に抱き付いた。光月殿? と弧之善が困惑した様子で光月を呼ぶ。
「弧之善様、私を残して消えたりしたら、一生恨みます!」
自分に抱き付いたまま、わんわん泣く光月を、弧之善はそうっと抱き締めた。
「月湧の名と共に生きると決めたのに……。ミズサワ、お前……」
そう言って振り向くと、沢口がきまり悪げに佇んでいた。
「力を得過ぎてしまった。貴様が居ないと、水路(俺)は成り立たないというのにな」
苦笑する沢口に、弧之善は眉尻を下げた。
「おぬしの力、ありがたくもらう。月湧が栄えるために使わせてもらおう」
沢口が弧之善の前で跪き、こうべを垂れた。弧之善が沢口に対して手を差し伸べると、沢口がその手を取る。いびつだった力の主従が改められ、二人は口元に笑みを浮かべた。
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