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~19年前~
放課後、私に声を掛けたのは、隣のクラスにいる田嶋修介。幼稚園からの幼馴染で、小学校、中学校とずっと一緒に育ってきた。
修ちゃんは大人しくて勉強が出来て、すごく真面目な性格だった。お父さんがお医者さん、お母さんは元看護師さんだったから、それもそのはずだった。
いつも勉強を教えてくれたりして、いつも私と一緒にいた。
内向的で、インドア派なのは私とは合ってなかったけど…
私はどちらかと言うと外で遊んだり、スポーツをしたりするのが好きだった。勉強は修ちゃんがいなければ、全くしてなかったと思う。
修ちゃんのおかげで受験は無事に終わって、第二志望に合格した。
私は県外の「ザ・普通」な学力の大学に進むことになったけど、修ちゃんは県内の国立大学に合格した。
受験の終わった私達は毎日が楽しかった。
遊び呆けてもいい特権が、あの時期の私たちにはあった。
「香奈、母さんが今日シフォンケーキ作るから寄ってっくれって言ってたよ」
「うそ! やった!」
放課後、隣のクラスの修ちゃんがそう言って私に声を掛けてくれた。
おばさんの作るケーキは本当に絶品だ。最近めっきりおばさんのケーキを食べる機会もなくなってたし、今日は貰って帰ろうかな?
「それだし今日は一緒に帰ら…」
「黒川。今日も帰り寄ってけよ」
修ちゃんを遮って話に入って来たのは、同じクラスの北川樹という生徒。
サッカー部に所属していて、少し不良行為が目立つが根は優しい人だ。
「あ、うん…ごめん、修ちゃん。やっぱり今日はやめとくね」
ここ1ヶ月くらい放課後は北川の家に寄っている。勉強をするわけでも遊ぶわけでもなく、することをして少し休んで帰宅する。
初めてはちょうど1ヶ月前くらいだった。二次試験が終わった次の日に北川に声を掛けられた。それまでは少し話したことがあるくらいの仲だっただけに驚いた。
そこから帰りにファーストフード店に行こう、と誘われたのだが最初は断った。
誘ってくれたということは、私に何らかの気があったからだ、というのは分かっていた。
だから正直内心嬉しかった。北川は顔もスタイルも良かったし、女子の間でも人気だったから。
けどタバコの臭いがして、やっぱり不良っ気のあるところが少し怖くて断った。
誘いを断った私だったが、北川は笑顔で“じゃあまた今度行こう”と手を振って去っていった。
思いの外爽やかで、実は真面目なんじゃないかと思ったくらいだ。
“悪いことしちゃったかな”。私は罪悪感を覚えた。
その翌日、北川は私のところには来なかった。ただ単に遊び相手になるかどうかを見ていただけだったのか。何かが始まったわけでもないのに、私はがっかりしてしまった。
その一週間後、北川は私を家に誘ってきた。
いきなり過ぎてかなり戸惑った。けど、また誘ってくれたのは嬉しかった。それと同時に、一途に私を気にかけてくれているんだと悟った。
家に行くのは怖かったけど、二度も私を誘ってくれた。この前は断っている手前…
私はその日初めて修ちゃんと一緒に帰るのを断って北川の家に行った。
北川は家にいく途中始終嬉しそうに話していて、可愛かった。
家はアパートの2階。家はお世辞にも綺麗とは言えなかった。
充満するタバコの臭い。カーテンも閉め切られて暗い部屋。
廊下から北川の部屋に行くまでに居間の横を通ったが、机の上には灰皿があり、その灰皿が見えないくらいタバコが盛られていた。
「母さん夜中まで帰ってこなくてさ」
これはそういうことだと理解した。
“可愛いの着てきたっけ”とか“どう始めるんだろう”とか、そういうことばかりで、“しない”という選択肢はその時は浮かんでこなかった。
多分周りの人…特に部活のメンバーが早かったこともあって、焦っていたし、早くしたいと思っていたからだろう。
ついにその日がきた。
私はそう思うと緊張で北川の顔が見れなくなった。
今まで、初めては初恋の修ちゃんと。そう思っていた。
修ちゃんもそうだったと思うし、私のことを好きなのも態度を見れば分かってた。
けどいつまで経っても修ちゃんは行動を起こさない。周りがどんどんと大人になっていくのに、私だけは大人を知らなかった。
あの時の私は大人になるのを焦るあまり、修ちゃんを待っていられなかった。
午後7時。
お母さんからのメッセージが来た。
“遅くなるの?”
それだけのメッセージ。
私は暗い部屋の中、スマートフォンを伏せて置くと、北川の方に向き直った。
布団は一人で入るよりも暖かく、少し汗ばんでいた。
制服はシワになるのを避けるため、椅子にかけてある。
午後7時18分。
暗い部屋の中、バラエティ番組の音声が流れている。
その中でうっすらと響く粘液が絡まる音。
こんなものか。
それが私の感想だった。
お母さんには大学に向けてファミレスで友達と勉強しているって嘘をついた。
お母さんは能天気に喜んでいたと思う。
私が勉強に目覚めたと思って嬉しかったんだろう。
それから私は北川に誘われるがまま彼の家へ行き、欲に身を任せるだけだった。
それ自体は嫌いではなかったし、北川を受け入れるくらいには好きだった。
けど、修ちゃんに少し悪い気もした。
最中に“修ちゃんとだったら”と考えてしまうくらいには罪悪感に似たものを抱いていた。
北川にも同じく罪悪感を抱いた。
あなたが一生懸命になっているのに、今私は別の人のことを考えてる。
考えてはいけないと考えれば考えるほど、北川との最中に修ちゃんを思い浮かべてしまう。
私の心は二人の間で揺れていた。
修ちゃんは今も私を想ってくれているのだろうか。
そんなフワフワと漂う私にある契機が訪れた。
大学も四年生になるというのに、私は依然として北川の家へ行き、すべきことをしていた。
北川は酒が入っているときや、深夜帯に私を呼び出しては欲望の捌け口にしていた。
かく言う私も、暇つぶしにはちょうどよく、相性も良かったため満更ではなかった。
北川もそうなのだろう。相性がいいのはお互い認めていたし、私は顔こそ中の中くらいだが、スタイルは抜群にいい自信があった。
だから北川も私を手放せなかったのだろう。
そんな私たちの関係は“することをする友達”と変わらなかった。
修ちゃんはというと、国立の医大で頑張っていたらしい。友達伝てで聞いた話だ。
昔から一途に思っている人を迎えに行くため日々頑張っているらしい。
まぁおそらく私のことなのだろうと気づいてはいた。
だからこそ、北川にぞんざいな扱いを受けても何とも思わなかった。
私には修ちゃんがいる。
就職が決まってあとは残りの大学生活を謳歌するだけだった12月。
私のお腹には小さな命が芽生えた。
その時は北川としかそういう関係になかったから、相手はすぐにあいつだと分かった。
大丈夫な日だったし、《なし》でも問題ないだろうと思っていたが、結果はこうだった。
外に出さなかったから当然の結果なのかもしれないが。
私は元々、そうなったらその命は諦めようと思っていた。
こんなに若くして命を育むなんて私には無理だと思っていたからだ。
けど、自分の体の中に生きようとしている命がいる。私と血を分けた命だ。
そう思い始めると、私の価値観は一瞬で変わった。
どうしても顔が見てみたいと思った。
私はすぐに北川にそのことを伝えた。
北川も心当たりがあったのか、相手は自分で間違いないと認めていた。
私達はただ体を重ね合わせるだけの友達だったから、北川は無責任に逃げると思っていた。
けど、北川から返ってきた言葉は意外なものだった。
「考えさせてほしい」
拍子抜けした私は“お願いします”と敬語で伝え、呆然として帰宅した。
何も考えられなかった。
というより、何も考えたくなかった。
現実に目を向けて、現実を考えるとこの命を諦めそうになるのが怖かったから。
言い表せない不安で押しつぶされそうなとき、スマートフォンにあるメッセージが入った。
“香奈元気?”
修ちゃんだった。
そこからは救いを求めるように修ちゃんとやり取りを続けた。
修ちゃんはあと2年医大に通って、卒業したら実家の病院で働くらしい。
そして2日にわたるやり取りを経て、修ちゃんが久々にメッセージをくれた理由がわかった。
修ちゃんは私にやっと告白をしようとしてる。
私は嬉しかった。やっと行動を起こしてくれた、と。
それに実家の病院を継ぐともなれば、高給取りになるのも間違いない。
院長夫人という肩書も悪くない。
その相手が初恋の修ちゃんというのが何とも奇跡に思えた。
そんな私に悪魔の考えが浮かび上がる。
まだ手術はできる時期だ。
まだなかったことにできる。
今なら手遅れじゃない。
私は葛藤した。
北川は顔こそいいが、三流大学でパッとしない就職先。運動神経はいいが、そんなの何の役にも立たない。
女遊びも激しく、金遣いも荒いし、計画性もない。唯一のメリットは体の相性がいいだけ。
一方の修ちゃんは真面目で女遊びもするような性格じゃないし、私を一途に思ってくれている。
将来性もあるし、生涯の相手として不足は全くない。
問題はお腹の子だった。
この子がいなければ、すぐにでも修ちゃんのところにいくのに。
けど、この子に愛情を抱き始めていることも無視できなかった。
そんな葛藤をしながら帰宅していた時、70歳は超えていそうなお婆さんに声をかけられた。背中は曲がり、杖をついていた。
住宅道路を前からよたよたと歩いてきたそのお婆さんは私の顔を見つめながら近寄ってきた。
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