2つの選択肢

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 住宅道路を前からよたよたと歩いてきたそのお婆さんは私の顔を見つめながら近寄ってきた。  “あんた、悩んでいるね”  突然そう言われて、最初は私に話しかけているだなんて思ってなかった。  少しやつれたような顔でしっかりと私の目を見ながら、そのお婆さんは復唱した。  “あんた、悩んでいるね”  いきなり見ず知らずの人に話しかけられてあたふたしていた私に、さらにこう言葉を続けた。  “男の関係だね?”  お婆さんは不気味な笑顔を浮かべて、不揃いな黄ばんだ歯を見せつけた。  絶対に応えてはいけない。そんな不気味で危険な雰囲気を醸すお婆さんだった。  けど、お婆さんの言うとおり「男の関係」で悩んでいるのも確かだった。  “私はね、あんたの運命の人を2人言い当てることができる” “1人はあんたに天国にも上るほどの幸運をもたらす男” “もう1人はあんたを地獄に落とすほどの不幸をもたらす男” “世界で一番あんたを幸せにする男と不幸にする男の名を今この場でなら教えてやれるが、どうする?”  私はお婆さんが何を言っているのかが理解できなかった。  胡散臭い占い師か何かかと思った。 “けどね、2人のうちどちらが良くて、どちらが悪いのかは私には分からない”  お婆さんは私の反応を待つことなく、話を続けた。 “どちらを選ぶのか、それともどちらも選ばないのか、あんた次第だ”  そしてお婆さんは私のお腹を指さした。 “あんたのお腹の子のためにも今、良い答えを考えるんだね”  その言葉に鳥肌がたった。  私は北川以外の誰にも妊娠のことは言ってない。自宅にいる北川がこんなお婆さんに言うはずがない。 “聞きたいかい?”  お婆さんは私の反応を見て、その運命の2人を口にした。 “1人は北川(いつき)” “もう1人は田嶋修介(しゅうすけ)”  その言葉に私の言葉は跳ね上がった。 “どちらがいい男だろうねぇ?”  お婆さんは不気味に微笑むと、私の横をよたよたと通り過ぎていった。  その晩私は考えた。  嘘だと思いたかったが、あの雰囲気と、私の妊娠を言い当てたことがそれを否定した。  私の運命を握っているのは、修ちゃんか北川のどちらか。  そんなの修ちゃんに決まってる。  性格、ステータス、私の初恋。どれをとっても修ちゃんの勝ちだ。  北川ほど顔は良くないが、それでも顔は整っている方だ。  それに今、修ちゃんは私に告白しようとしている。  絶対に修ちゃんだ。  絶対に修ちゃ…  その時私は背後から肩を引っ張られた。  慌てて振り返ると、そこには北川が立っていた。  荒い息使い。走って追いかけてきたのだろう。  北川のことだ。無責任に孕ませた彼の取る行動は予想がついていた。  堕ろしてくれ、金は出すから。  そう言うんだろう。  あのお婆さんに会う前の私なら、葛藤した挙句、拒否していただろう。  だけど北川が世界で一番私を不幸にする男だと分かった今、むしろ良い機会だと思った。  あんたの望むとおり、堕ろし… 「黒川! 俺、大学卒業したら目一杯働いて絶対に黒川とその子に不自由させないように頑張るからさ!」 「あの……卒業したら俺と結婚して、その子を産んでほしい」  なんだよそれ。  今そんなの求めてないよ。  私は修ちゃんと結婚して、最高の人生を送るんだよ。  なのに、なんで……  今そんなこと言うのよ…  取り乱す私を北川は抱きしめてくれた。  彼の肩を濡らしながら、私は……  大学の卒業式が終わって2日が経った。  修ちゃんは卒業祝いということで、私の家に来て祝ってくれた。  修ちゃんは(かしこ)まってシワの伸びたスーツを着てきた。  心なしか顔も緊張を帯びていた。  分かる。  修ちゃんは私に告白をしようとしている。  やっとだ。  北川との辛い話を乗り越えて、この瞬間を迎えた。 「加奈、卒業おめでとう」    やはり修ちゃんは緊張していた。 「実は言いたいことがあって…」 「加奈、俺と結婚を前提に付き合って欲しい」  私の目の前に突き出された右手は震えていた。  私の前には最高の幸せが待っている。  そして私は左手で修ちゃんの右手を取ると、左手で包み込んだ。 「ありがとう。待ってたよ」  気づくと私の頬には涙が流れていた。 「けど、ごめんね」  修ちゃんの手を私のお腹に優しく当てた。 「私、妊娠してるの」 「えっ?」  修ちゃんは驚いていた。それもそうだ。彼が予想していたのは、“よろしくお願いします”か“ごめんなさい”、“考えさせて”のどれかだったからだ。  君が好きになった女の子が私でごめんね。 「私ね、大学を卒業したら結婚するんだ」 「だ、誰と…?」 「北川。北川(いつき)。私達この数ヶ月間、毎日逢って、毎日体の関係を続けてたの」 「もう少し早かったら、修ちゃんだったのかもね。修ちゃんは私の初恋だったから」  そう、あなたは悪くない。  修ちゃんは行動を起こせなかっただけ。何も悪くないよ。 「でもね、もう私は北川のものなの」 「わがままでごめん。修ちゃんの気持ちを聞いてから吹っ切れたかった」 「どうしても修ちゃんのことを精算してから、この子に会いたかったんだ。本当に自分勝手でごめんね」  修ちゃんは文字通り、膝から崩れ落ちた。  修ちゃんにとって一番不幸をもたらす運命の人は、きっと私だと思う。  本当にごめんね。  そして子供を産んでからは後悔の連続だった。  (いつき)は会社で人間関係が上手くいかず、1年も経たずに辞めた。  現実逃避で酒とギャンブルに溺れ、その悲劇のキャラクターと端正な顔を活かして、何人もの女性と関係を持ち、その女性の家を転々としてヒモとなった。  そしてそのまま行方知らず。  私はというと、金を稼ごうにもスキルもなく、周囲に理解もされず、子育てもうまくいかない。  気づくと泣き喚く娘を殴ったり蹴ったりしていた。    近隣の誰かが通報したらしく、子供は施設に取り上げられた。  まぁ、もうどうでもよかった。一人の方が楽だ。  そして25歳のときにできた彼氏に薬を勧められ、現実から目を逸らしたくて、一度だけ使った。  もちろん一度で済むはずはなく、辛くなれば使うようになった。  そのうち効果が切れると死にたくなり、その感情を紛らわせるため使用する。  手に入れるには金がいる。彼氏の分も買おうと思えばそれなりの金が必要になった。  金をすぐに手に入れるため、私は自分の体を売った。スタイルはよく、出るところは出ていたため、それなりに稼ぐことができた。  SNSで相手を募り、公衆トイレで済ませる。  手なら何円、口なら何円、本番はプラス何円。そういう感じで稼いでは薬に変えた。  それでも苦しくなると、体を売っていることを知った彼氏が美人局を企てて、何度かやった。  金持ちそうな会社役員みたいなやつを引っ掛けてホテルに入っては彼氏が怒鳴り込む。  そしてキメながら彼氏としているときに、警察がガサ入れにきて、恐喝の罪で逮捕された。  その後には薬の共同所持で逮捕され、使用でも再逮捕された。その後も何件かの美人局が事件となり起訴され、一発で実刑となった。  そして数年を刑務所で過ごし、仮釈放を得て塀の外へ出ることができた。  もうこんな馬鹿なことはしない。  気づくと私は、注射器を持っていた。  どこで…  どこで間違えたのか。  やっぱり私を幸せにしてくれる運命の人は修ちゃんだった。  あのとき修ちゃんを選んでいれば… =End=
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