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俺宇宙人なんだよね、とアキラは言った。丁度パフェを一口放り込んだタイミングだったので返事をせずにいると
「って言ったら信じる?」
と続いた。そこから更に二秒の間を置きーーその一口には白玉が含まれていたのだーー僕は答えた。
「どうやって?」
「そこが問題なんだよな」
と言いながらアキラはフォークでケーキを一口分掬い口へと運んだ。それを咀嚼しながら、信じると言えば信じたことになる訳じゃないと鬱陶しいドヤ顔を僕に向けた。
「食べながら喋るな」
「俺が宇宙人だって信じれば、何でも願いを一つ叶えてやるよって言ったら、信じられるか?」
僕はパフェグラスの底に溜まったパフェ滓をスプーンで掻き集めながら、これは大変なことになったかも知れない、と思った。
「さっき言ってただろ? AIがどうのって。それだって、俺なら解決できるぜ。たとえば電気を分解しちまうとかな。そうすりゃもう、AIがいくらお前の真似をしたくたって、物理的にできなくなる」
「電気を分解なんかしたら、僕らだってお釈迦だろ。人間の脳も電気で動いてんじゃねえの? シナプスがどうとか。そういうのも全部分解されちゃう訳?」
「それは心配ない。俺たちは神じゃないけど、人間の文明レベルからすると神と呼んでも差し支えないくらい圧倒的な科学技術があるんだ。だから俺たちの手に掛かれば生命と機械の区別なんてね、スマホのスワイプくらいちょちょいのちょいよ」
「へえ。そいつぁすげえ」
それで、そんな凄い科学技術の持ち主であるお前は、一体何だって今僕の目の前に居るんだ?
「だからさ、信じるって言ってみろよ。それで信じられるかどうか、試してみりゃいいじゃん。どっちにしたって、お前が失うものは何もない訳だし」
「そうだな。うん、信じるよ。僕はアキラが宇宙人だって信じる」
「言ったな? それで、何が欲しい?」
「じゃあ、まあ、そうだな。アキラが宇宙人だっていう証拠をくれよ」
たった三日前、アキラとお茶したファミレスの横を歩きながら、僕はどうしてこうなったのかと自分に問うた。生まれてから何万回目かの自問だった。しかし例によって例の如く答えは出なかった。アキラは僕に何を伝えたかったのだろうか? あるいはアキラには何かしらの目論見があって、世界はその為の生贄として捧げられたのだろうか? そして神に生贄を捧げたのは、他ならぬ僕だったのだろうか。つまり、僕はアキラが宇宙人だと信じたのだろうか?
街灯は夜道を照らす代わりに月に照らされていた。月明かりは、普段街灯が隠蔽する闇そのものを照らし出すらしい。そこに括り付けられたロープの先で命の灯が消えていた。何故。どうして。死ななくて良かった筈だ。しかしそれを言うなら、そもそも生まれなくて良かったということだろうか。背広を着て街灯にぶら下がる男の口角は、心なしか上がっているように見えた。
AIは滅んだだろう。僕の望み通りに。この地球上で、AIが人の真似をすることは恐らくもう二度とできない筈だ。せっかく事務所に受かったんだ。僕の人生はまさにこれから始まろうとしていた。その矢先にAIが爆発的に普及して、役者という職業を人間社会から絶滅させようとした。堪ったもんじゃない。一日分の日当5000円で写真を撮られたら、その写真を元にAIが作った"役者"が僕の代わりにあらゆるドラマや映画に出演することになる。僕が磨いた演技力は期限切れのコンビニ弁当よろしくゴミ箱に捨てられるしかないし、そもそも演技力を磨く機会すら二度と与えられない。冗談じゃないんだよ。僕は絶対にサラリーマンにも教師にも親にもなりたくなかった。とにかく今まで一度でも目にしたことのある大人には死んでもなりたくなかった。見たことがないのは役者かミュージシャンだけだった。だから僕は役者になることにした。演劇部には入らなかった。ずっと家で映画を見ながら練習した。中学二年生の夏に決意して、今は高校三年生の春だ。普通はもうみんな受験勉強を始めてる。アキラだって塾に通い出した。それであまり遊べなくなって、僕は事務所に受かって、こないだは久々に遊んで。そう、それで事務所に受かったって報告したんだ。おめでとうって言ってくれたその言葉は絶対嘘なんかじゃない。嘘だとしたら、宇宙人だなんて、そっちが絶対嘘だろ。嘘だった筈なんだよ。なのに、何で今自転車のライトすら点かないんだ? 街灯は消えているんだ? ネットは繋がらないんだ? スマホは文鎮程度の役にしか立たないんだ?
ニュースなんて流れない。世界の終わりは唐突にやってきた。いや、突如世界は終わった。誰もが、何が起こったのか分からないまま、電子空間の消滅により電子的な手段に依存していた人間社会の情報の流通は止まり、物流も止まり、人々は呆気なく己の物理的な生を維持できなくなりつつあった。僕がこの終末を既に三日ほど生き永らえていられるのは、やはりアキラのお蔭なのだろう。誰もが何が起こったのかも分からぬまま死んでいった。だけど僕だけはその原因に心当たりがあった。機械を動かす為の電気が分解されてしまったのだ。どうやったのかは知らない。だけど多分、アキラはアキラが言ったように僕らからすれば神に等しき科学技術を持つ宇宙人で、だから僕の為に、AIを滅ぼす為に、そして自らが宇宙人だということを僕に証明する為に、地球上から電気を文字通り"消した"のだろう。
だけど考えようによっちゃ、これは神が与えたチャンスかも知れない。二度と電気が使えないなら、人は芝居が見たけりゃ生の役者を見るしかない。もしも人類がこの一ヶ月で滅ばなければ、誰かが生き延びれば、そいつは一年後には退屈している筈だ。その時、そいつは僕を見るだろう。僕はそいつに見せるだろう、とびきりの笑顔を、泣き顔を、屈託を、羞恥を、謙遜を、朴訥を、憐憫を、破壊を、そして信仰を。
いつか来るその日の為に、僕は割れたファミレスの窓ガラスに向かって、眉尻を少し下げてみた。
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