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彼が少し後ろに下がると、その顔を見せた。
私を見ていつもの笑みをくれる。
「耳を澄ましてごらん。本当にそれは怖いものかい?」
耳元を支配していた音がクリアになる。
途切れ途切れに聞こえていた音は、確かな声に変わり私の耳に届いた。
それは、温かくて、どこか切ない響きで……私を呼んでいた。
「違う……私……っ」
ぼろぼろと大量の涙が流れ落ちる。
涙が床を濡らす度、足元まで迫った闇が浄化され、弾け飛んだ。
部屋が明るく照らされる。
振り返ると、背後には光の道がまっすぐと伸びていいた。
「見える事だけを信じ、見えないことに怯えてはいけないよ」
彼の声に視線を向けると、もういつもの椅子に座っていた。
扉の向こうでは花たちが怒り狂ったように、彼の手足に巻き付く。
鉄の錆びた匂いが流れ込んできて、鼻を覆った。
さっきまでの楽園はもうどこにもない。
ただ一つ。
変わらなかったものは。
「君は君の世界で生きればいい。誰のでもない、君だけの人生なんだから」
彼の笑顔だった。
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