第41話

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第41話

「いやいや……やられ、ましたな」 「ジイさん、あんたは夏木の仇討ちかよ?」 「ほっほっほ。そこまで大時代的ではございません。これでも、レトラ連合に於ける諜報機関の、命を受けておりましてな。そこの御仁の、いわば先輩という訳ですな」 「諜報機関のスパイだったっつーのか? ンなのアリかよ?」 「夏木が、モーガンと、バーナードの両ファミリーに、コンタクトを取った、最初の頃……そう、二年ほども前に、潜り込むよう指令を受けた次第です」  思わず和音はエセルを見る。何も知らされずに潜入したエセルは柳眉をひそめていた。 「まあ、そんな顔をなさらずに。ご存じなかったのも、無理ありません。上層部も分裂・合併を繰り返しておりますし、結局、わたくしもこうして使い走りということですからな」  硬い表情をしたエセルの反応を窺いつつ、和音は滝井執事に探りを入れる。 「あんた以外にも国内地盤固め派の使い走りは送り込まれてるのか?」 「さあて。それは、どうでしょうな。しかし、ゆめゆめ油断はなされませぬよう」 「けっ、大きなお世話だ。あんたこそ枕を高くして眠れるよう、いい加減に引退しろよな」 「なるほど。では、老いた敗者は、お先に失礼すると、致します……か」  微笑んで言った直後その目から光が失われて躰が弛緩した。和音が脈を取ったが、もはや生の証しは触れない。あまりにあっさりとしすぎていて止めようもなかった。 「口の中に毒でも含んでたみたいだね」 「ふん。やっぱり大時代的な爺さんだぜ」  呟いた和音は春野本部長に携帯で連絡し事の次第を告げる。  まもなく県警捜査一課を代表する捜査員たちと鑑識班が現着し、現場は祭りのような騒ぎとなった。まずは鑑識作業が進められ、滝井執事の遺体が搬出されると実況見分が行われる。次に県警本部庁舎に移動し医務室で和音の耳の治療が済むと二人別々に事情聴取が始まった。  春野本部長の口添えがあった筈だが、県警本部を直接狙った事件という重要性から聴取は長引き、最後に第三SIT室での実況見分も終えて二人が釈放(パイ)されたのは二十時を過ぎてからだった。  唐突に人が失せて静かになった部屋で、二人は応接セットのソファに並んで腰掛ける。和音は数時間ぶりの煙草を咥えた。煮詰まったコーヒーを前にしてエセルの薄い肩を抱く。 「これでやっと話の続きができるな。んで、お前が俺の同僚になるって話は本当なのか?」 「確かにそういう話も一時は出たみたいだね」 「でも日本の警察は外国人を採用しねぇってのが不文律だぞ?」 「そうだね。だから僕はどう頑張っても和音のバディにはなれない」  さらりとエセルは言ってのけたがアメジストの瞳は一向に和音を見ようとしない。その白い頬には硬い色が浮かび、襲撃前の零れるような笑顔など何処にもなかった。  灰皿に灰を弾き落として和音は静かに訊く。 「そんなことを俺に伝えるために、わざわざここまで来たんじゃねぇだろ?」 「ううん、そのために来たんだよ。それと生きてるって報告をしにきただけ。きっと心配してるだろうなって思ったし、僕ももう一度アナタに会ってしっかりお別れを言いたかったしね。じゃあ和音。元気でいてよね。ちゃんと食べなきゃだめだよ」  まるで芝居のシナリオでも読み下すように、エセルはすらすらと早口でそれだけ言うと、微笑みひとつ投げることなくさっさとドアに向かって出て行こうとする。  慌てて和音は煙草を灰皿に放り込み、エセルを追うと細い手首を掴み引き留めた。 「おい、こら!『じゃあ』って何なんだよ。お前は何処に行くつもりなんだ?」 「爆撃もない国だもん、僕一人くらいどうにでもなるよ」 「どうにでもって、アパートの俺の隣に引っ越してくる話はどうなったんだ?」 「そんなの……そんなの知らないよ!」  突然大声を出したエセルと和音は揉み合いになる。全身で拒否し振り払おうと暴れるエセルを和音は力任せに抱き込んだ。俯いたエセルの顔をやや強引に上げさせて溜息をつく。 「お前エセル、また泣いてんじゃねぇか。俺には嘘なんかつくなよな」 「でも……僕は、ここにいたって仕方ないし」 「なあ、エセル。俺は二度とお前の背中を見送りたくねぇんだよ。お前が忘れたのなら何度でも言うぜ、『この俺をやるから、何処にも行くな』ってな」  低く甘く響いた声にエセルは思わず露を含んだ目を閉じた。そうして長く深い溜息とともに目を開くと、じっと見つめる切れ長の目に対してようやく口を割る。 「ホントは……アナタの同僚になる話は現実にあって、まだ活きてるんだよ」 「だろうと思ったぜ。だがそいつは異例中の異例だな」 「表面上は異例を作らないよう、書類上での僕の立場は『某国からの研修員』のまま、春野本部長の力技で第三SIT配属を打診されてる。僕自身も立候補した」 「けど立候補までしておいて気に食わなくなったと。俺のバディになるのが嫌だってぇのか?」  長い金髪のしっぽを激しく振ってエセルは否定した。 「嫌な訳ないじゃない! ずっと和音の傍にいられるって聞いて、息が止まりそうなくらい嬉しくて、隠れ家の人たちにも内緒で抜け出して、ここまで帰ってきたんだから!」 「じゃあ、どうしてだよ?」 「どうしてって……今日の襲撃で分かってる筈。敵はどんな汚いことでもやってのける諜報機関の上層部で、牽いてはレトラ連合政府の分裂一派っていう大物なんだよ? そんな敵に僕はこれから先も狙われる。でも和音だけなら危険は半分以下になると思うから……だから」 「さっきの襲撃で気が変わったってことか。でも狙われるのは俺も一緒だぜ?」  疲れたような表情をしてエセルはゆっくりと首を横に振る。 「一緒じゃないよ。アナタは僕が向こうでどんなことをしてきたか知らないから。もうアナタまで巻き込みたくない。和音が血を流すたびに胸が潰れそうになる。こんな思いはもう沢山。いつかもっと血を流してアナタが死んじゃったら、僕はこの国でどうすればいいのサ!」  またも昂ぶって涙を零すエセルを胸に抱き、和音はアメジストの瞳を見下ろし覗き込んだ。僅かに上がったその視線を捉えようとするも、涙に濡れたそれは逸らされたままだ。 「僕は後悔したくないし、和音が後悔するのも見たくない」 「後悔ならこの一ヶ月で一生分の後悔をしたさ。指を咥えてお前を見送っちまった後悔をな。それに今もまだお前独りに地獄を見させた後悔をしてる。これ以上俺に後悔させないでくれ」
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