AI仇討ち事変

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私の部屋には低いテーブルしかない。フローリングは剥きだしだ。ベッドはない。冷蔵庫もない。ないない尽くしの私の日常に、生活補助AI「セイカくん」を導入したらどうなったか。そして、私の復讐の一端を担うよう命令したらどうなったか。  取り敢えず彼は、私にビーフシチューを作ってくれた。 「お気に召しませんでしたか」  目の前でもうもうと湯気をあげる皿を前にしても、私の心は揺れない。セイカくんがエプロン姿で尋ねてきても、私はスプーンを持つことすらしなかった。 「最初に私が言ったこと、受けてくれるの」 「殺人のご依頼ですか」  その単語を発することすら憚られるのだろう。セイカくんの声は心なしか震えていた。 「なにも君が殺すわけじゃない。殺すのは、私。君はそれまでの手伝いをして欲しいの」 「差し出がましいようですが、対人間用戦闘型ドローンの購入をお勧めします」  暗に断られているのだが、私はめげなかった。金がないから、定価29000円の君を買ったんだ、なんて言えばAIといえどもやる気が削がれる。言葉は慎重に選ばねば。 「君じゃなきゃだめなんだ」  どこかの映画で見たような台詞だ。恥ずかしさを隠すために腕を組む。すると、セイカはゆっくりと立ち上がりエプロンを外した。鼻の隆起しかないのっぺらぼうの顔が私を見下ろす。ホラー映画にありそうな凄みだと思っていると、彼の右手が引かれて私を狙う。 「えっ。ま、待ちなさいっ」 制止の声を言いきる前、その拳が私に目掛けて振り下ろされた。反射的に目を瞑り、身を屈めるが衝撃は来なかった。恐る恐る目蓋を開けると、殴る素振りのまま動かない彼は制止していた。 「家庭用サポートAIに、何が出来ると言うのです。殺人どころか、人間に危害すら加えられません」  至極まっとうなセリフだ。だが、それを購入者に試すのはAIとしてどうなんだ。 「びっくりした」 「貴女がキカンボウだから、です」  気を取り直し、再度私は腕を組む。威厳はなくとも、だ。 「君の言い分もわかるけど、私は仕事も辞めてこの計画に着手するつもりなの。手伝って貰わないと困る」 「私を創った製造工場の総責任者タマオは、家庭で簡単に組み立てれる低価格高水準のAIを普及させました。社会人としてこの上ない責任を果たしています。貴女が命を狙う理由が分かりません」  彼はどんな理由があっても梃子でも動かないつもりだ。しかし私は諦められず、家にあるテーブルの他、唯一ある備品を持ってきた。玄関の靴箱の上にあった、唯一の心の慰め。  写真立ての中で笑う父と娘だ。溌剌とした二人は、工場の前で屈託なく肩など組んでいる。 「貴女と、隣の方は父君ですか。鼻と目の形がよく似ています」  セイカくんは私の方を見ると、どことなく気まずそうだった。表情はないが、視線レーダーを逸らせる仕草から、気づかいを感じさせる。 「最初に言ったでしょ。仇討ちなの」 「もしかして、この工場はタマオ工芸ですか。ああ、過剰労働でお父様を失くされ、総責任者タマオ様を恨んでの殺害、ですね。動機はぴったりです」 「勝手に先走らないでくれる。そんな話じゃないわよ」 「仇討ちと仰ったから、Web上のミステリー作品を閲覧し推測しました」  ため息が出る。  理知的過ぎるのも考え物だが、ここまでおっちょこちょいもそういない。 「会社を乗っ取られたの、タマオに。オオタサイエンスが前の会社の名前。その万能OSで調べたらわかるでしょ」  なんたって、技術のほとんどはオオタサイエンスが土台になっている。タマオ工芸は簡易組み立て式AIを作り上げたが、AIの脳の中核を担うOSだけは譲れない。  この写真たての男が、そのOSをゼロから創造したのだ。 「お父様は、いま」 「殺されたわ」 「えっ」  セイカくんの素っ頓狂な声に、私の方が驚く。AIがこんなに感情豊かなのは、創作者のユーモアなのか欠陥なのか、私には分からなかった。 「だから仇討ちなの。協力してよ」  膝を立てて頬杖をつく私は、まだ湯気を立ち上らせるビーフシチューを覗いた。白い更に閉じ込められ、食べられてしまう運命の料理。黙って運命を受け入れることなど、私には出来なかった。 「タマオを、始末する手伝いですね」  了解しました、そのセイカくんの言葉は静かな部屋に染みわたった。海に落ちた雨の雫のようだ。私は彼に酷なことを命じてしまったのだと、今更ながら後悔してしまう。しかし、計画は変えれない。 「ありがとう」  私はせめてものお礼に、ビーフシチューにスプーンを突き立て口に運んだ。一言もしゃべらなかった。鍋の中に残っている分も口に含み、飲み干し、私は合掌する。 「こちら、よろしく」  セイカくんの差し出した薄っぺらい紙に、私は顔をしかめる。 「なにこれ」 「Webを閲覧しまして。復讐をテーマに検索すると優に10000件を超えてしまって」 「だから」  一拍置いて、セイカくんは澱みなく答えた。 「通信費です。この計画と貴女の思考をよく知るための、必要経費、です。」  紙には、セイカくんが計測した通信費の総額が書かれていた。想像できるだろうか。Wifiを解約してネットにアクセスした際の、金額を。悲しいかな、日本の通信費は高すぎるのだ。  私はあまりのゼロの多さに吐き気を催し、トイレへと駆け込んだ。  
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