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私のご購入者様は、おかしい。私が言うのもなんだが。
家庭用の生活補助AIを、あろうことか殺人の計画に使うなんて馬鹿げている。亡き御父上の開発したOSを持つAIで仇を討ちたいと言うのは、理由としては納得できるが。そういう因果応報的な復讐譚を、人間は古くからよく好んだそうだ。
エモい、とその作品のコメントにも書かれている。
「ごめんね、本当に」
ご購入者様の、オオタマキ様は私が殺害依頼を受諾しても、浮かない顔ばかりだった。そんな時は手製の料理を作るよりも、会話をする方が彼女は落ち着くようだった。
彼女は秘密が多いらしい。
それでも、彼女と暮らす時間のなんと安らぎに満ちたこと。まあ、人を殺す相棒なんですが、私。それでも、必要とされることは嬉しいものです。暗い工場で出荷を待っていた時に比べれば、なんて自由なんだろう。
彼女は、その自由を失ってでもこの計画を成さなければならないのだろうか。
「やめましょうよ」
真夜中。工場の茂みの中で、私は小さく提案した。しかし、声を掛けられたオオタ様は見向きもしなかった。
彼女の体が起き上がり、周囲を見渡す。彼女の手には拳銃が握られ、仇のタマオ総責任者が夜番をしている小屋を睨んでいた。
「ここからは私だけで行く。君は、ここで待っていて」
「私も行きます」
私の方を見もせず進もうとするオオタ様の袖口を、私は掴んだ。彼女は嫌な顔ひとつも見せず、暗い瞳で私を見下ろした。彼女は躊躇せず引き金を引いて、肉塊が砕け散るのも恐れないだろう。
一か月の時間の中で、ひと時だって見せなかった彼女の顔だ。
「よく聞いて。ゲートのセキュリティに侵入する、その痕跡を使い捨てのAIで済ませたかっただけなんだ。もう、何もしなくてい」
何でもないようにそう言うと、彼女はあっさりと小屋に侵入して行った。私の制止など関係ない、そう決まっていたことだったのだ。
胸を満たしていた温もりが、さっと冷めるのを感じる。怒りではない。干からびた大地につるはしを穿つような、空虚な後悔だった。
私はおかしなAIなのだろうか。こんなに辛い思いを、他のAIも感じているのか。暗い夜に動けなくなって惨めったらしくしゃがむしかない、そんな時が。
「マキ様、私は」
言うと同時に、足が前に出る。そこからは、造作なかった。もう一歩目を出す。
いざ走って駆け寄ろうと言う時、銃声が小屋から聞こえた。そしてもみ合うような二つの影が、白い光の中で踊る。
乾いた空気を切って走り、私は小屋のドアを開ける。
「来るなって言ったのに」
私が動いた時には、すべてが終わっていた。
裸電球が照らす小さな小屋には、タマオ総責任者が胸から血を流して倒れている。作業服に赤いシミが広がり、瞳孔をかっ開いて絶命していた。
マキ様の手にある銃からは、硝煙がたなびいている。
すべてが手遅れなのに、私はその小屋にある唯一の備品に手を触れた。何もない部屋に唯一ある棚、その上にある写真立て。私がマキ様の部屋で見たものと同じ風景が写されている。
「彼は、ここで何をしていたんでしょう」
「知るか。あの男、この部屋の私物はほとんど捨てたな。こんちくしょう」
殺風景なこの小屋は、何のためにあったのか。AIを家庭に普及させたタマオ総責任者が、何故この部屋を保管していたのか。この写真を。
「後悔していたのでは」
マキ様の顔は嫌悪で歪む。
「懺悔しても、もう遅い」
私は何も言えず、粛々と彼女の傍に近寄った。そして、腹部に突き刺さっている整備用のナイフに触れ、容赦なく引っこ抜いた。彼女は顔色を一切変えず、私は腹部の穴を覗き込んだ。
「OSに支障がなければ、体のパーツを入れ替えるだけで済みそうです」
「いつから気づいていた」
「最初から、です」
彼女は多少動作に支障をきたしながらも、懸命に体を動かした。しかし、やはり無茶は出来ない。マキ様は腹部を抑え、壁に背中を預ける。私が手を貸そうとしても、受けようとしなかった。
暗い瞳のまま、私を見つめる。
「私はこの工場で作られた、AIだ。君と同じ」
腹部からは鮮血ではなく、電気の火花と剥き出しの配線が見える。不穏な空気に耐えれず、私は口を開いた。
「そのお姿は、よく似てらっしゃいますね。写真のお嬢様と」
「私が似せたのだ。だが、君にはバレてしまった」
口を開けて笑う口元の動作がいやに遅い。私は彼女に駆け寄って、腹部を抑えた。意味はなかった。何かしなければと、咄嗟の行動だった。
私もおかしなAIだが、この人も随分と奇妙だ。主人の仇討ちを考えるAIなんて、これからもこれまでも現れることはない。
「早く替えのパーツを。損傷が」
「私の体に、君のOSを使ってくれ。私の体を受け継いで欲しいんだ」
君に、と動く彼女の唇が異様に遅い。焦燥感に駆られ、彼女の頬を何度も叩いた。瞳の焦点が合っていない。
「貴女はどうするんです」
「助けてくれる人が、いる。人の社会で、生き延びて」
「喋らないで」
私の手を、最後の力を振り絞って痛い程握り締める。
「工場の裏手に、お嬢様と御父上の遺体が埋まっている。掘り出して、正しい所に戻して。あまりにも不憫だ」
彼女の口からオイルが漏れ出る。痙攣が始まり、私はアルミニウムの硬い体で抱きしめるしかなかった。全てが唐突で、私には処理しきれない。何処にも載っていない情報だ。
「私のビーフシチュー、どうでしたか」
答えは知っているのに、聞いてしまった。
初めて会ったあの晩、彼女がトイレに私の料理を吐き出したのを知っているくせに。あの時から彼女が人間ではないと確信していた。それでもいいとも思えた。奇妙な私には、ちょうど良い友人だと思えたからだ。
彼女は笑う。答えはない。
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