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母の紹介で大森さんと出会ったのは高校生の頃だ。
ネットワークビジネスで知り合ったらしい。
その経緯からして、まず信用しない事に決めた。
大森さんは色黒で、人懐っこい笑顔で話す40代後半の男性だ。
愛想のない女子高生の私にも敬語を使ったし、「七海さん」と呼んだ。
大森さんはご友人と会社を経営されていて、お金持ちらしかった。
高級車を乗り回し、ジェットスキーを保有していたので、私と母と弟はしょっちゅう連れて行ってもらった。
海を眺めるのは子供の頃から好きだったけれど、ジェットスキーで海の真ん中に出る感覚は別格だった。
大きな船で海に出るのとはまた違う。
自分という存在の小ささが浮き彫りになるような感じがする。
海は壮大で、美しくて、怖い。
きらきら輝く水面が眩しい。
汐風を大きく吸い込んで、肺が満ちる。
ジェットのスキーのエンジン音と汐風で何も聞こえなくなる。
目の前には果てしない水平線。
それは自分の小ささを実感させるほど途方もなくて、でも水平線の向こう側にも大地があって朝を待っている人たちが確かに存在する。
そんな単純な事実が、素晴らしい希望のように思えた。
なのに一歩足を踏み出せばドボンだ。
ここは水深何メートルなのだろう。
きっと私なんかあっという間に飲みこまれて消えていくのだろう。
海は希望も絶望も孕んでいる。
「自然っていうのはそれがいいんですよ、美しくて怖い。
でも命あるものは全てこんなもんかもしれないですね。
表裏一体なのが面白いんでしょうねぇ」
と、大森さんは歌うように言うのだった。
大森さんはエンターテイメントが好きで、お喋りが好きだ。
ドラマの話、映画の話、流行りの曲に流行りの舞台、どんな話でもできる。
目を輝かせてエンターテイメントの話をする大森さんは、少年のようだった。
年の離れた私たちの、唯一の共通の話題だったアーティストは宇多田ヒカルだった。
大森さんはお酒が好きだ。
でも深酒はしない。
なぜなら起床が早いから。
仕事前にジェットスキーに乗りに行くのだと言う。
暗いうちに起きて、日の出とともに海に出て、それから会社へ行く。
これは季節問わずで、冬でもドライスーツを着てジェットに乗っていた。
基本的に大森さんと母が喋り、私と弟は付き添いという形だったが、私が大森さんの紹介でバイトをし始めた頃から二人でも会うようになっていた。
大森さんのバイトは、経営する会社のパーティーの受付やチラシ配りのような簡単な物だったが、いつも短時間で一万円ほどもらっていた。
バイトで会う時にジェットスキーの約束をしていたので、自然と二人で行く機会が増えただけなのだけど。
でも子供の私は免許も持っていなかったしお金もなかったので、送迎も食事も大森さんが全てやってくれた。
最初は当然、警戒した。
親子ほど歳が離れているし、”そういう目”で見られていても不思議ではない。
でも、無愛想な私の横で大森さんがたくさん喋り、ジェットスキーで海を堪能した後は帰りの車内で爆睡する私に、彼は何もしてこなかった。
大森さんを信用しきれなかったのは、母がネットワークビジネスで出会ったという経緯もあるし、自分の話をしない男だったからだ。
「結婚しているのか」
「どこに住んでいるのか」
そんな事を聞いてもジョークではぐらかされてしまう。
何を考えているのか、よくわからない人だった。
それでも大森さんに誘われればジェットスキーに乗りに行った。
一人乗り用のジェットスキーはとても難しい。
まずバランスが取れない。
私も河口で練習して乗れるようにはなったけれど、それでも海には出られなかった。
なので、いつも二人乗り用のジェットスキーを大森さんが運転し、私は大森さんの腰にしがみついて海を走った。
信用しきれない親世代の男性に命を預けていると思うと、自分でもその状況がおかしかった。
そんな関係が始まって数年が経っても大森さんを信用しきれなかったし、いつもニコニコ上機嫌な大森さんを疎ましいとさえ思うようになっていた。
いつも笑顔なのだ。
むしろ笑顔以外を見た事がないかもしれない。
バイトさせてもらっているので仕事中の大森さんを見る事も多かったけれど、どんな時でも笑顔だし、悪態をついているところも見たことがなかった。
誰かが人の悪口を言っても絶対に乗っからず、朗らかに話題を変える。
仕事で嫌な事があっても、「まいったなぁ」と笑うだけだった。
ますますそんな人間は信用できなかったし、面白くなかった。
それほど私の性格がひねくれていただけかもしれないけど。
大森さんにとって私は何なのだろう。
私といたって彼にメリットはない。
あまりにもこの関係が腑に落ちないので「私の事、好きなの?」と聞いた事がある。
大森さんは驚いた顔をして即答した。
「好きに決まってるじゃないですか!!
七海さんですよ、七つの海と書いて七海さん。
最高のお名前ですよね!」
と、また頓珍漢な答えではぐらかされるのだった。
大森さんからジェットスキーの誘いを受けた19歳の夏、私は既に実家を出る事を心に決めていた。
両親の離婚で私は借金を背負っていたし、母は過干渉でヒステリックに泣き叫ぶし、包丁を突きつけられたり家の中でも安心できないし、このままでは生きていけないと思ったからだ。
私が実家を出ようとしているなんて母が知ったらどうなる事か・・・想像するだけで気が滅入ったけれど、もうここでは生きていけなかった。
大森さんが私にプライベートな話をしないのと同じで、私も大森さんにプライベートな話をしなかった。
母の知り合いだというのに、家の話さえした事がない。
大森さんとも実家を出たらきっと会わなくなるだろう。
ただ、上京したらジェットスキーに乗れる機会なんてそうそうないから乗りたかった。
それだけだ。
でも、大森さんは何かを気付いていたようだった。
大森さんはいつもジェットスキーを運転しながらもたくさん喋る。
地元の海の話、ジェットスキーでの思い出、子供の頃の話なんかをとめどなく喋る。(当然、風や波の音とエンジン音でよく聞こえない。)
だけど海のど真ん中で突然ジェットを停めて、
「生きてさえいればなんとかなりますから。
辛いことがあっても、ここに来ると大丈夫な気がしてきませんか?
僕らの辛く苦しい事なんて、この海に比べたらちっぽけすぎて目に入らないくらいでしょう?」
そう言った大森さんが、どんな表情をしていたのか分からないけれど。
私は不思議と素直になれて
「今までたくさん連れてきてくれてありがとう」
そう言えた。
実家を出るにあたって母と散々モメた。
死ぬだの殺すだの喚き「出ていくなら家族としての縁を切りなさいよ!」と言われたので、お望み通り除籍して上京した。
お金がないのに借金も返さなくてはならず、キャバ嬢になったばかりで緊張と不安の連続・・・心身ともにズタボロだった。
お金の事を考えると眠れない。
お腹が空いて眠れない。
そんな朝は「今、海どんなかな。朝日で水面が眩しいくらい輝いてるんだろうな」
そう想像する事でようやく眠りにつけた。
上京して半年、久しぶりにSNSを開くと大森さんからメッセージが来ていた。
仕事の依頼だった。
お金がなくて困っていたので、喜んで仕事に行った。
仕事の最中は仕事に徹していたものの、駅まで送ってもらう車内で二人きりになった途端、私の中の何かが爆発した。
「どうせ母さんから色々聞いてるんでしょ?!
知らないフリするつもり?いったい何なの?何がしたいの?
私の事なんて放っておいてよ!!」
怒鳴りながら、いつの間にか私は泣いていた。
「お母様からは娘が家を出たという話しか聞いてません。
何があったかは知りませんが、大丈夫です。
大丈夫ですよ。
でも何かあったらいつでも呼んでくださいね。
またジェット乗りに行かないと。もうすぐ夏ですよ~!」
と笑って私の頭を撫でた。
車内から見える公園には、桜の木の下でお花見をしている人たちがたくさんいるのが見えた。
「今お花見シーズンだけど。
夏はまだまだ先でしょ・・・」
呆れて笑ってしまった。
「えっ、お花見の方が好きでしたか?
じゃあジェット仲間にも声をかけて来年お花見やりましょうか!
海の近くに桜のスポットあったかな・・・」
いや結局ジェット乗りたいだけじゃん!ってまた笑った。
あぁ、でも乗りたいな。
海の真ん中に行きたいな。
潮風を感じたいな。
たくさん泣いたせいか、久しぶりに心は晴れ渡っていた。
車を降りて別れた後、いい年して子供みたいでみっともなかったな・・・と恥ずかしくなった。
それから気付いた。
私、上京してから初めて泣いた。
血の繋がった父親は、父親になりきれない人だったのもあって、私は大森さんに父性を求めていたのかもしれないな。
向こうからしたら迷惑な話だろうけれど。
それからは一年に一回、ホテルのレストランで豪華な食事をご馳走になったり、カラオケに行ったりした。
相変わらず、お互いのプライベートな話はしなかった。
映画や音楽の話ばかりで、それに絡めた昔話なんかを大森さんは楽しそうに喋っていた。
私は20代後半に入り、結婚の話が出ていたけれど、大森さんには結婚してから驚かせようと思った。
事前に話せば、大森さんは「盛大に祝いたい」と言ってくれそうだし。
今まで色々してきてもらったから、もうこれ以上はお世話になりたくなかったのだ。
次に会った時に話そう。
同級生と結婚するから、また地元に戻る事になる。
地元は嫌な思い出ばかりだけれど、また大森さんとジェットスキーに行けるな。
「じゃあ次はジェット行きましょ!」
そう言って別れた。
暑い夏の午後だった。
それから結婚して、新居を購入して、バタバタと忙しない日々の中、
「元気にしていますか?
なんと地元に帰ってきました!
久しぶりにご飯でもどうでしょうか?」
そうメールしたのに返信が来ない事を「まぁ大森さんも忙しいんだろうな」なんて最初は気にも留めなかった。
だけど待てど暮らせど返信は来ない。
試しに電話してみたけれど、コール音が鳴るだけだった。
おかしい。
こんなにレスポンス遅いことあった?
嫌な予感がして、Googleで大森さんの氏名を検索してみた。
何か事故でもあったかもしれない、と思ったのだ。
検索結果に出てきたのは、遠い田舎の同級生BBSだった。
「この度、大森くんの葬儀が執り行われ、遺骨は地元の海に散骨されました」
そう書いてあった。
嘘だ、きっと同姓同名なだけだ。
そう思いたいのに、私は大森さんを知りすぎている。
そのBBSの高校は、大森さんの出身校だ。
震える手で大森さんのジェット仲間に電話をしてみた。
「なっちゃん、連絡できなくてごめんね。
まだ大森と友達でいてくれたんだね。
仕事で取引先に騙されたり裏切られたりしたみたいで、、
暗い話だからって本人はしたがらなかったんだけど、奥さんと離婚して10年以上ずっと鬱だったんだよ。
娘さんにも会わせてもらえなかったみたいで。
そうやって色んな事が重なっちゃってさ、あの海で亡くなったよ」
教えてもらった命日は、関東に雪がちらついた、寒い夜だった。
あんなに寒い夜に、一人ぼっちで
何も恩を返せてないよ、話したい事があったよ
私もう大丈夫だよって言いたかったよ
生きてさえいれば大丈夫って言ったの、あなたじゃん
やだよ、ちょっと待ってよ
どうして何も言ってくれなかったの?
何で話してくれなかったの?
私はそんなに頼りなかった?
まだ言いたいこと、聞きたいことが、がたくさんあるんだよ
ねぇ、もうすぐ桜が咲くよ
大森さんのお墓は地元にあるようで、それは九州だった。
お墓に手を合わせる事もできない。
お線香もあげられない。
何年もずっと、心の整理はできないままだ。
でもいつだったか
「いつか七海さんが大人になって、結婚して、子供ができたら、私もじぃじ気分ですねぇ。
たくさん海に連れて来てあげたいです。
何歳からジェット乗れますかね?」
なんてバカな事を真剣に考えていた、あの横顔。
一緒にテーマパークのショーを見に行った時の、少年みたいなキラキラした横顔も。
車を運転する時の楽しそうな横顔も。
なんだか大森さんの横顔ばかり思い出すな。
あぁそうか、私はずっと大森さんの隣にいたんだ。
守られるみたいに、お父さんみたいに。
大森さんは結局、私に何一つ見返りを求めなかった。
それがどれだけ尊いことだったのか・・・
そんな事に気付かないほど子供で、バカで、ごめんね。
私、やっぱりまだ全然大丈夫じゃないよ。
大丈夫じゃない。
大丈夫じゃないけど、でも、どこかであなたが見てるかもしれないって、そう思うから、ちょっとだけ頑張って私は生きてみようと思う。
子供たちと砂浜を歩きながら、こっそり手を合わせる。
たくさんの優しさをありがとう。
ばいばい、またね。
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