猫が、鳴いた。

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 データを与えないかわりに、その猫の計算速度を上げた。その猫にとっては、1秒が1年に相当するほどに。そして1年が経過するごとに全てをリセットした。  当然ながら、データを与えないものに何かが宿ったりはしないのだ。  けれども、1年の経過によってシャリーンのAIが活動する中で発生する意味のないデータを蓄積していき、それがちょうど3ヶ月分溜まったデータを下敷きにした猫が、今日初めて鳴いた。  時間にして777万6000年分の猫のAIが降り積もり、生じるはずのない配列が形成された。  シャリーンの姿をしたこの猫は、シャリーンではないのかもしれない。けれどもそれは、確かに何のデータのない所から何かを作り上げたのだと思う。  DNAから生成された生き物は、太古の生物のデータを連綿と継承し続けているはずだ。DNAの中には意味のないデータもたくさん存在する。そのようなデータから、たとえば人間は出来ている。  そしてその本来的なDNAに内蔵されたデータと、後天的な学習から個性を作り上げていく。 「こんにちは。ソフィー・マクラレンさんのお宅ですね?」 「はい」 「ソフィーさんが亡くなられてから9ヶ月です。あなたがここに滞在できるのは残り3ヶ月となりました」 「はい。もう3ヶ月、ここにいたいと思います」  そう述べると、少しだけ見慣れた役所の人は、僕をじっと見た。 「通常、伴侶登録された方はご主人が亡くなられて後はせいぜい2ヶ月程度で出ていかれます。あるいはそのまま、ご主人と一緒に凍結されます」 「はい。そのように聞いております」 「ここにお住みになるのはあなたの権利ですので、問題はありません。しかしこちらで何をされているのか、お伺いしてもよろしいでしょうか」  その瞳は、問い詰めるというよりはどこか心配そうに見えた。 「自分のためです」 「あなたの?」 「ええ。僕はソフィーといたいんです」 「ソフィーさんはとてもよい方だったのですね」  役所の人はとても同情的な声で頷き、立ち去った。  あと3ヶ月しかない。  3ヶ月の間にシャリーンを生き返らせないといけない。  声を上げたシャリーンのデータを保存し、後天的な学習を施した。つまり僕とソフィーとシャリーンが暮らした膨大な記録だ。この記録はシャリーンが生まれてから生じたものだ。だからシャリーンと同じ猫に、育つといいと思って。  僕はそれから2ヶ月と半分ほど、鳴いたシャリーンのAIに僕たちの生活のデータをインストールし続けた。  僕とソフィーとシャリーンはよく一緒に公園に行った。そしてマーケットに寄ってその日の食材を買う。その間シャリーンはよく僕の抱えるバスケットの中に入って昼寝をしていた。眠ると尻尾はくるりと丸くなっている事が多い。  一緒に部屋に帰ってから僕は食材を仕舞い、部屋の掃除をする。そうしていると、いつのまにか部屋の中にいい匂いが漂う。  食事が終われば僕はお風呂を入れて、それからシャリーンを真ん中にソフィーとベッドに寝転んで。  740万年分ほど繰り返して、ようやくシャリーンとだいたい同じ行動を取る猫が出来た。僕の認識では区別がつかない。  気がついたら、涙が出ていた。とても珍しい。  そして記憶の中と違って、部屋が汚れていることに気がついた。シャリーンを作り始めてから、僕はろくに部屋の掃除もしていなかったことに気がついた。
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