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「甘いもの食べたい」
ここ暫く新薬の開発に掛かりきり、三徹目。ようやく薬が完成し、車持は達成感と開放感に満ちていた。度を超えた疲労は眠気ではなく食欲を呼び覚ます。彼女は甘味を求め、昼の街をフラフラ歩いていた。月の昼夜は十五日で切り替わる。太陽の光を浴びる大地は輝いているが、空は暗く宇宙の色をしていた。
華やかな街を闊歩する、永遠の若者達。彼らは皆楽しく人生を謳歌しているように見えるが……近年、月では自殺率の増加が問題となっているらしい。
不老不死は“死ねない”訳ではないのだ。肉体の丈夫さは地球人と比べ物にならないが不死身ではない。例えば三日三晩、体を焼かれ続ければ死ぬ。そのような恐ろしい方法をとってまで自死を選ぶのは何故か。それを短命な地球人による悪影響ではないかと考える月人は少なくなかった。地球人が穢れを持ち込み、思想を汚染しているのだと。そして地球人留学生は時折いわれもなく絡まれる。……このように。
車持の前に、強面の二人の男が立ちはだかる。
「地球人留学生の車持だな」
「そうですが」
彼らはよく難癖をつけてくる様な“輩”ではなかった。皇宮兵士の正装である軍服に羽織という出で立ちで、帯刀している。あまりに剣呑な雰囲気に車持は後ずさり――後ろから現れた三人目に捕らえられた。車持はその腕から何とか抜け出そうと暴れ、彼らに後頭部を強打され気を失うのだった。
車持が目を覚ました時、そこは暗く冷たい……実際に体験したことは無いが、すぐに牢獄の中だと分かった。外の状況を探ろうと鉄格子に近付くと、すぐ近くで『グガァ』と形容し難い獣のような声が響き、車持は驚いて牢の奥に引っ込む。息を潜めて周囲に気を配ると、この牢獄には自分以外にも“何か”が捕らえられていると分かった。それは引き摺るような音を立て、潰れるような声を上げている。
その時足音が聞こえ、青褪めた車持の顔に影がかかった。彼女をここに連れて来た兵士の一人である。
「起こす手間が省けたな。さあ、洗いざらい吐いてもらおう。薬はどこにやった?」
「薬?」
「とぼけるな!お前が有死薬を作っていることくらい調べがついて、」
男の声が不自然に途切れる。
「誰に許可を得て、そいつに手出ししてるんだ?」
聞き慣れた声に、車持は力が抜けるのを感じた。カッコつけた台詞の似合わない輝夜である。彼は兵士の後ろから剣をその首に宛がい、カッコつけた台詞の似合う顔をしていた。
「輝夜様……あなたの父君、皇帝陛下ですよ。この女を捕らえよと仰せつかっています。邪魔するなら、誰であっても容赦しません」
男がニヤリと笑い、金属の手甲で剣を弾く。輝夜の細腕で握られていた剣は、手元をすっぽ抜けて地面に刺さった。
「いや~気配を消すのはお上手でしたが、噂通り非力なんですね」
男がハハと笑い、輝夜が悔しそうに顔を歪める。しかし次の瞬間、男は時が止まったようになり、顔面から勢いよく地面に衝突した。輝夜はポカンとする。男が立っていた場所には、牢の中から注射器を持つ手を伸ばしている車持。
「熊にも効く気絶薬は、月人にも効くんですね。成程」と、研究者顔で飄々と言った。
「持ち物検査は、下着の中までしないと駄目ですよね」
車持はどこから注射器を取り出したのか、はだけた胸元を直す。輝夜はその様子に目を泳がせ、誤魔化すように男の腰から鍵を奪い、車持を解放した。
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