0人が本棚に入れています
本棚に追加
「ちょっとお母さん、湯飲みだしっぱにしたまま新しい湯飲み出さないでよ」
お茶が入った2つの湯飲み(母と私の分)の横に、新しく出した湯飲みを取り上げて棚に戻す。
それを黙ってみている母ではなく、諦めずに湯飲みを出そうとする。
「お客さんの分出さないとでしょ」
「この人ーーこれはAIロボットだから飲まないの」
ちゃぶ台を挟んだ向こう側に目をむけると、精巧な人型のロボットは不思議そうに微笑みながらこちらを見ていた。
彼女ーー見た目が中学生くらいの女の子なので、便宜上そう呼ぶーーはつい昨日来たばかりの試作型介護用AIロボットだ。
少し認知症が入り始めた母の介護の不安を友人に漏らしたところ、友人の会社でAI搭載の介護用ロボットを制作中で、そのテスターとして三ヶ月ほど私の母と会わせてみないかと言われた。
介護用とはいえ重量を支える作りにはなっておらず、基本的な身の回りの補佐ーーたとえば会話や物を取って渡したりする動作ーーに着目した仕様を目指しているという。
自宅に来たのが昨日の昼間。友人が設定し、定期的に様子を見に来るという。
「自宅に置いたままにするの?」
「ううん、朝の十時に自宅に送って、十七時に自社の人間が回収に行くよ。土日はお休みで平日のみね。そうそう、AIロボット3号機、AI3(アイさん)は目にカメラが付いているけど、プライベートなところは後で確認してもらって、記録に残らないように消すから安心してね」
「そういうことじゃなくて・・・・」
うっかり壊しやしないか心配していたが、それもそこまで心配しなくていいという。
「これでもそう簡単には壊れない設計にはなっているから。それに、毎日夕方に整備するし」
母一人だとまた誰かわからなくなるだろうと、私が在宅勤務なのもあり、毎朝玄関でお出迎えをすることになった。「アイさん」が帰る夕方まで、母の相手をしてもらう想定だという。
そううまく行くだろうかと心配なまま、その日を終えた。
「アイさん、お菓子は食べる?」
「すみまセン、今はお腹が空いていないのデ」
「ゼリーなら入るかしら」
通い一日目。今日は事前に有給を取ったので、母と「アイさん」の過ごし様をみてみることにした。
「アイさん」を遊びに来た子どもと認識したらしい母は、先ほどからこの調子でお菓子を勧めている。それをそれらしい言葉で丁寧に辞退するAIロボット、めげずにお菓子を勧めようとする母・・・・端から見ると異様な光景ではある。
やはり彼女も例外ではなく食べ物飲み物は受け付けないらしい。思い出したようにお茶を出そうとする母を何度止めたことか。
流石に昼食はごまかせず、母は出すように最後まで聞かなかったので素麺を大皿に盛ってめんつゆが入った器を出した。もちろん彼女は口にしないが。
私はというと、食欲が無いと言っても母の気は済まず、渋々私も素麺を口にした。
「それならお茶を出そうかね」
「だからお母さん、アイさんはロボットだから・・・・」
「でもお客さんになにも出さないなんて失礼でしょう!」
またお茶を出そうとする母をため息を吐きながら止めようとしたら、ついに怒られてしまった。
お供えでもいいから出させれば満足するのだろうか。先ほどからちゃぶ台に手も付けない物が並んでおり、それらを片づける方の身にもなって欲しい。
それに、まだ意識ははっきりしているとは言え火傷しないかとか、湯飲みを落としたりしないかとか側でこっそりみているが心配で仕方ない。
「サトコさん」
立ち上がろうとする母を呼び止めたのは意外にも「アイさん」だった。
「アイさん」はパチリと瞬きすると、ゆっくり立ち上がった。
「今日はもう時間なので帰りまス。明日またお邪魔しますね」
「あら、そうなの。また来てね」
結局、母はごきげんで「アイさん」を見送り、ちゃぶ台のお菓子はそのままに部屋に戻ってしまった。
片づけながら夕食のことを考えたが、昼食で食べた素麺がまだ残っていて体が重かった。
「アイさん」が通い始めて五日目。土日はお休みなので、明日明後日は来ない予定だ。
母の様子はというと、毎日不思議そうに「アイさん」を出迎え、昼頃には打ち解けて夕方にはご機嫌ではあるが残念そうに送り出す。
「サトコさん。明日と明後日は来れまセン。その代わり、お手紙を書いてきまシタ」
帰り際、封筒を母に渡すといつものように帰って行った。
「まぁ、お手紙ですって」
ふふ、と嬉しそうに手紙を携えて茶の間に戻っていったが、翌日になると忘れてしまったのかちゃぶ台に置いてあった。
「お母さん、手紙読んだの? 折角書いてくれたんだから読んでみたら?」
「手紙? 誰から?」
「ほら・・・・ここ最近来てくれてるアイさんよ。昨日の帰り際に手紙くれたじゃない」
名前だけで通じるだろうか、と不安に思いつつ彼女の名前を出すと、不思議そうではあるが手紙を手に取る。
その表情からしてあまり覚えてなさそうだ。
「・・・・あらあら」
「えっ!」
手紙を前にする母の反応に首をひねり、手紙を覗くと驚いたことに、字が字ではなかった。まだ字を習っていない幼児と大差ないミミズの羅列だったのだ。
「ねえ、読んでちょうだい」
「私でも読めないわよ。ちょっと待ってて」
友人に連絡すると、字は読めるが書き方は教えていないのだという。
「ただ、この間整備の時に「お休みで行けない間、私のことを思い出してもらえるように手紙を書きたいでス」って言ってたからレターセットとペンを渡してみたんだけどね。やっぱりダメだったかー」
からからと笑う友人は次にとんでもないことを口にした。
「アイさん、ここはとめ、ではなくはらい、ですよ」
「ハイ、分かりまシた」
「聡子さん、すみません、見ていただいて」
「良いんですよ」
ちゃぶ台を囲んで私と母と「アイさん」、今日は友人もいる。
土日が明けた月曜日。友人は「様子を見に」と言いながら、菓子折りを持って母にあることをお願いした。
「いつも彼女ーーアイさんを通わせていただいて、ありがとうございます。実は、彼女は字は読めても書くことができないんです。聡子さんは昔、書道教室を開かれていたと伺いました。大変厚かましいお願いなのですが、もし良ければアイさんに、ひらがなの書き方を教えてあげてくれませんか?」
断るかと思っていたが、意外にも母は二つ返事で引き受け、先ほどからひらがなドリルを元に「アイさん」に字を教えている。
しかも張り切り始めた母は昔の書道の道具を取り出すと、「あ行」から順番にひらがなを書いて見せている。体が覚えているのか、母が書く字は変わらず綺麗だった。
「飲み込みが良いわね。ええと・・・・」
「アイさんのこと?」
「そう、アイさん」
何度となく「アイさん」の名前を聞いては飲み込みの早さを褒めていた。これで今日は五回目だ。
「ありがとウございます」
毎度そうお礼を口にする「アイさん」は口元を緩め、本当に嬉しそうだ。表情もプログラムで管理されているのだろうが、この日初めて彼女が人間の女の子のように見えた。
事前に字が読めただけあるのか、AIだからなのか、それとも母による根気強い教えによる物なのか、アイさんはひと月後位にはひらがなが書けるようになっていた。それだけではなく、最近は使用頻度の高そうな漢字の書き方も母に質問しては教えてもらっている。
その頃には私が常に見ていなくても済むことが多く、仕事に専念できる日が増えていた。それに、母がアイさんにお茶を勧める回数が減り、アイさんの名前を私に聞く回数が減った気がする。
アイさんが帰った後も翌日教える内容を考えていたりと、明らかに様子が変わっている。
ただ、友人は会社で「介護が目当てなのに、支える側が勉強を教わってどうする」と怒られたらしい。
どうやら字を教えてもらう件は友人の独断だったようだ。先日、再度菓子折りを持って上司だという方と一緒に、そのことで母に謝罪に来たことがあった。
だが、母の変わり様に私はむしろ感謝していた。母も「最近は調子がいい」とアイさんをつれて近くの公園に散歩に行くこともある。(もちろん友人がお供についているか、友人の会社の人がこっそり後を追っている)
その旨を伝えると、友人はホッとした顔をしていた。
「実は、テスターの期間を三ヶ月からもう少し延ばすって話も出ていたんだ」
もしアイさんが来ても母の認知症に改善の傾向がなければ三ヶ月で終了するが、改善の傾向が出れば可能な限り期間を延長する算段だったという。
「私の相談なしに?」
「ごめんなさい。でもこれで貴女も休めるでしょ? アイつー」
「いざ休みに入ると思うと寂しくなるわ、アイわん」
私が胸からお腹のあたりを擦ると友人は苦笑した。
「多少の防水があるからって、無理して素麺なんか食べるからよ。お父さんたちに言われてたじゃない、私たちロボットはご飯は食べれないって」
友人の苦言に返す言葉もなく、タンスの上に置かれた写真に目を向けた。そこには何名かの男女が各々誇らしげな顔で写っていた。
最初のコメントを投稿しよう!